3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

ルーツのメッセージ

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広島市安佐南区緑井に住む叔父(母の妹の旦那)と9月15日MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島での広島-巨人 21回戦を観戦する約束をしたことを前々回の記事にした。予定通り3連休の最終日に尾道の実家から広島に向かう際、新尾道駅ではカープの赤いビジターユニフォーム姿で広島に向かう家族を多数見掛けた。私と同様におそらく天王山の試合になると予測し、早い時期からチケットを確保したのだろうが、実際に試合当日を迎え必ずしも当初の目論見通りではなかった。

赤道直火

この時点で、首位 巨人と5ゲーム差も離され、文字通りの“首位攻防戦”と云える状況とは言い難い。カープは9月2日長野・3日前橋・4日長野での巨人3連戦で3タテを喰らったことで追撃ムードを断たれ、数字的にも心理的にも相当なダメージを受けている。しかしその後の戦いで何とか勝ち越しながらこれ以上引き離されないよう粘り強く頑張ってきたことで、辛うじてこの3連戦はスポーツ新聞等で“最終決戦”などの見出しの中で迎えることが出来た。

広島-巨人 21回戦チケット
広島-巨人 21回戦チケット 2014.9.15

前回の巨人との直接対決はまさかの3連敗であったが、本拠地による優位な状況での直接対決で逆に幸いにも3タテを喰らわすことができれば、一気に2ゲーム差まで肉迫できる。しかし逆に負け越すようであれば、殆どリーグ優勝への可能性は途絶えてしまい、実質的にペナントレースは終焉を迎えることになる。言ってみれば優勝への希望を繋ぐラストチャンスの対戦カードとなのである。

2014 hiroshima carp 2014

今シーズンのカープは、8月までは巨人と互角若しくはそれ以上の闘いを繰り広げ、2つ勝ち越していた。前回のカードでは3連敗したものの、このホームゲームのカードで3連勝すれば、6年振りに巨人戦の勝ち越しが確定する。カープが長らく低迷してきた要因のひとつでもある巨人に対する“苦手意識”を払拭する上で、勝ち越すことの意義は計り知れない。

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 外観 2014.9.15①(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 外観 2014.9.15①(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 外観 2014.9.15②(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 外観 2014.9.15②(平行法)

東方面から広島駅に到着する寸前の新幹線からMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の全容が見えてくる。14:00広島着の便からは、開場を待つ人はまだまばらであった。広島駅に着いてから、球場近くのホテルにチェックインし、叔父さんとの待ち合わせの約束時間15:00に球場に着いて驚愕した。開場待ちの人で既に長蛇の列ができていたのである。頻繁にこの球場で観戦している叔父さんもこれ程までの行列を見たことないとのこと。

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15①(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15①(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15②(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15②(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15③(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15③(平行法)

我々自由席は16:00に開場となり、二階席の一塁側寄りの席に何とか座ることができた。グラウンド全体が見渡せ、思った以上に良い席である。巨人のバッティング練習後にカープのシートノックが始まるのだが、二階席からでも一際身体の大きい背番号55の選手が見えた。ブラッド・エルドレッド(Brad Eldred)が8月31日以来、一軍に合流したのである。スターティングメンバーでは、6番ファーストと発表され、先発ピッチャーは広島 前田健太(マエケン)、巨人 杉内俊哉の両エースの投げ合いとなった。

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 国歌斉唱 2014.9.15(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 国歌斉唱 2014.9.15④(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 始球式 2014.9.15(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 始球式 2014.9.15⑤(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 試合開始 2014.9.15(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 試合開始 2014.9.15(平行法)

国歌斉唱、始球式を経て、試合開始となった。初回のマエケンは四球を含めて球数が多く、二塁に走者を背負った投球であったが、何とか後続を断つことが出来た。一方、杉内は三者凡退の危なげない立ち上がりで、投手戦になるのかな、と思った2回裏、4番のライネル・ロサリオ ※愛称おさむ(Rainel Rosario)が、レフトスタンド上段へ先制ホームランを叩き込んだ。杉内との対戦がこの打席まで8打数4安打2本塁打であるロサリオの真価が発揮された。

ロサリオ先制本塁打
広島-巨人 ロサリオ 2014.9.15

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 ロサリオ先制本塁打 2014.9.15(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 ロサリオ先制本塁打 2014.9.15(平行法)

石原 追撃安打
広島-巨人 石原 2014.9.15

更にこの2回1死後、1軍再昇格となった6番エルドレッドはストレートの四球を選び、7番田中広輔が一二塁間を抜けるヒットで出塁し、8番ベテラン石原慶幸がレフト前にタイムリーヒット、しかも亀井善行の後逸エラーにより二者が生還して、広島3-0巨人となった。最近、残塁の山積みの様な試合を見せられていた鬱憤もあり、テンポの良い得点シーンが実に心地良かった。

菊池 ダメ押し二塁打
広島-巨人 菊池 2014.9.15

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 菊池ダメ押し二塁打 2014.9.15(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 菊池ダメ押し二塁打 2014.9.15(平行法)

5回のカープの攻撃は、先頭打者の1番堂林翔太が二塁打、2番菊池涼介が初級のバントを珍しく失敗してファールになった後、右狙いのファールなどで粘るが、野村謙二郎監督が自らベンチを出て菊池に直接アドバイス(相手を欺くポーズ?)した直後、左中間に鋭い打球のタイムリー二塁打を打ち、広島4-0巨人となる。先制、中押し、ダメ押しと理想的な攻撃展開となり、3万1830人の観衆が入ったスタジアムは最高潮に盛り上がった。

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15④(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15④(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑤(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑤(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑥(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑥(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑦(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑦(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑧(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑧(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑨(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑨(平行法)

一方のマエケンは、初回~2回と球数が多かったが、3回以降はテンポの良い投球に変貌し、最速151キロのストレートと切れ味鋭いスライダーを低めに集め、5回まで許した走者は初回の四球の一人だけ。6回に先頭の片岡治大の左中間への打球をロサリオがグラブに触れながら捕殺出来ず二塁打となるまで、外野への打球すら許さなかった。二死三塁とされたこの回も最後は橋本到を空振り三振で無失点に抑え、エースの称号に相応しい投球だった。

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑩(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑩(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑪(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑪(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑫(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑫(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑬(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑬(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑭(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑭(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑮(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑮(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑯(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑯(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑰(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑰(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑱(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑱(平行法)

9回はキャム・ミコライオ(Kam Mickolio)が先頭打者に安打を許したが、危なげない投球で後続を断って抑えた。マエケンは115球を投げ、8回を2安打、7奪三振1四球の好投で今季巨人戦初勝利となり11勝目を挙げた。巨人戦は今季ここまで5試合に登板し0勝3敗だったが、6度目の対戦で圧巻の投球を披露し、意地を見せた。

広島-巨人 マエケン 2014.9.15 広島-巨人 ノムケンマエケン 2014.9.15

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 試合終了 2014.9.15(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 試合終了 2014.9.15(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑲(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2014.9.15⑲(平行法)

ヒーローインタビューでは、8回零封のマエケンと杉内から先制ホームランのロサリオがお立ち台に登場した。マエケンは、「巨人になかなか勝てなかった。(巨人3連戦の初戦に)自分が投げることに意味があると思った。勝ててよかった」とコメントし、唯一のピンチであった6回に関しては、「ロサリオが取ってくれなかったのでピンチになりましたけど、ベンチでホームラン打ってくれたからチャラだよって話をしました。」と答え、カープファンは爆笑した。

ロサリオが捕殺出来ず、初安打となったマエケン
ロサリオが捕殺出来ず、初安打となったマエケン

広島-巨人 マエケン・ロサリオお立ち台 2014.9.15
広島-巨人 ロサリオお立ち台 2014.9.15広島-巨人 マエケンお立ち台 2014.9.15

一方、ロサリオはファンへのメッセージを求められると突然、歌い始めた。「オ~オ~オ~、♪関係ないから~、関係ないから~、フォーフォー」永井祐一郎の「問題ないから♪問題ないから♪」をパクってアレンジした山崎邦正(月亭方正)のネタなのか。一瞬、訳が分からず静寂に包まれたスタンドは、和やかな笑い声に包まれた。

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 ヒーローインタビュー① 2014.9.15(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 ヒーローインタビュー① 2014.9.15(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 ヒーローインタビュー② 2014.9.15(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 ヒーローインタビュー② 2014.9.15(平行法)

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 外観 2014.9.15③(交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 外観 2014.9.15③(平行法)

一昨年、東京在住時での横浜スタジアム以来の野球観戦だったが、首位巨人との3連戦に先勝し、残り15試合ではあるが、ゲーム差を4に縮め、僅かではあるが期待が繋がった試合となった。私自身、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島での観戦は二度目となるが、この球場でのカープの勝利は初めてだけにとにかく嬉しかった。

『アスリートの軌跡』前田健太
『アスリートの軌跡』前田健太

前夜、尾道の実家で『アスリートの軌跡』(BS日テレ)なる番組で、マエケンを焦点にした回の放送を観た。同世代ライバル(田中将大、坂本勇人 等)の存在への想いとともに「優勝したい。優勝から遠ざかっているカープでやることが格好いい。僕らより長く悔しい想いをしている人がたくさんいる。このチームを優勝させたら喜びも大きい。」と熱き想いを語ったマエケンが、目の前で迫力あるピッチングを繰り広げたことも喜びを倍増させた。

MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 模型(交差法)

MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 模型(平行法)

しかし無残にもカープは翌日からの巨人との残り2試合に敗北し、6年連続巨人戦の負け越しが確定、巨人のマジックは一桁台になり、優勝へのカウントダウン段階に突入しただけでなく、カープは2位の座も危うい状態に陥り、直接対決で尽く敗れてきた悔しさで落ち込んでいる余裕さえ無くなってきたのである。

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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島① (交差法)
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MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島① (平行法)

今シーズンのカープは得点差の少ないゲームに強く、勝ち越しカードが続き、極めて連敗が少ない傾向があった。交流戦では泥沼に陥り思わぬ苦戦を強いられたが、その後は確実に持ち直し、強さは本物かとさえ思えた。カープは優勝を狙える位置には迫ったが、自ら引き寄せる力には及ばず、そこに今後の課題が残った。結局9月での首位巨人との直接対決は6戦1勝5敗、唯一の1勝の試合を観戦できたことは幸運と云う他ない。

広島 古葉ヘッドコーチ(左)・ルーツ監督(中)・巨人 長嶋監督(右)
古葉・ルーツ・長嶋

長らく悔しい想いのシーズンを味わうたび、1975年(昭和50年)に日本球界初のメジャーリーグ出身者としてカープの監督として指揮を摂り、僅か15試合で監督を辞任したジョー・ルーツ(Rollin Joseph Lutz)の言葉を思い浮かべ、噛み締めるようにしている。ルーツは、日本ハムから大下剛史をトレードで獲得して主将を任せ、衣笠祥男の三塁コンバートなど改革を断行した。ルーツ退団後のカープは、後任の古葉竹識監督に率いられてリーグ初優勝を達成するなど、ルーツの企てた革命は、カープの黄金期の礎を築いたと云われる。

ジョー・ルーツ インディアンスコーチ時代(左)/カープ監督時代(右)
ジョー・ルーツ インディアンスコーチ時代(左)/カープ監督時代(右)

ルーツはクリーブランド・インディアンス(Cleveland Indians)のコーチ時代、米アリゾナ州でキャンプを行ったカープを指導した縁で、1974年に打撃コーチとして来日したが、熱血的な指導者故にチーム内で浮いていたルーツは、来季の契約を既に諦めて帰国の準備をしていたところ、低迷する球団の現状を打破する為、ルーツという劇薬による改革が必要であると重松良典球団代表が決断し、森永勝也前監督辞任の2日後に監督就任を要請された。

1975年のクリーンアップ 3番ホプキンス(左) ・4番山本(中)・5番衣笠(右)
山本・衣笠・ホプキンス

ルーツは紺色のチームカラーを勝利への執念の色として燃える赤に変えた。赤色の導入は、’70年代に全盛期を迎え“ビッグレッドマシン(The Big Red Machine)”と称された頃のシンシナティ・レッズ(Cincinnati Reds)を連想しがちだが、実際には、ルーツが1971年~1973年にコーチとして所属したクリーブランド・インディアンスのユニフォームデザインを踏襲している。

ウォーレン・スパーン インディアンスコーチ時代(左)/カープ臨時コーチ時代(右)
Warren Spahn Coach 1972 ウォーレン・スパーン臨時コーチ

インディアンスのコーチ陣では、左腕投手歴代1位(通算363勝)のウォーレン・スパーン(Warren Edward Spahn)がいた。スパーンはカープの春季キャンプに臨時コーチとして招かれ、日本でも赤い帽子を被ってルーツと再会し仕事を手伝っている。インディアンスは当時のカープの状況に酷似し、1960年から1993年までの33年間で3位以上が1968年の僅か1回と長く低迷しており、大好きな野球映画『メジャーリーグ』(Major League 1989年作品)でもインディアンスの弱小球団ぶりが印象的である。。

『メジャーリーグ』(Major League 1989年作品)
MajorLeague.jpg

初優勝するまでのカープは、“西から陽が昇ることがあっても広島カープが優勝することは無い。”と揶揄され、1968年に僅か1回だけ3位になり、1972年~1972年においては3年連続の最下位であった。ルーツは負けても悔しがらない選手に喝を入れ、「勝利への執念がないのは、勝利の喜びを知らないからだ。」と勝つことへの執念を説き続けた。又、ルーツは精神論のみならず、練習方法の工夫や投手分業制の採用、用具運搬バスの導入などのチーム運営の合理化も推進した。

ルーツ監督の退場試合(左)/ルーツ監督と重松球団代表(右)
ルーツ監督の退場試合 ルーツ監督と重松球団代表

1975年、ルーツは開幕直後から日米の野球観の違いで審判と衝突を繰り返したが、甲子園球場の対阪神戦で、ルーツの猛抗議に対して退場を命じても応じなかったため、審判団は重松球団代表にルーツへの説得を要請し、グラウンドから立ち退かせた。フロントの人間が試合中のグラウンドに介入したことを権限侵害と捉え、ルーツは僅か15試合で監督を辞任した。ルーツはアメリカに帰国する際の退団会見で「秋に優勝したら祝福に駆けつけるよ」とナインと約束し、更には次の内容のメッセージを選手に託している。

1975年の広島市民球場
広島市民球場75

君達一人一人の選手には、勝つことによって広島
という地域社会を活性化させる社会的使命がある。
可能性に富んだ毎日に向かって頑張って欲しい。
ベストを尽くせ。
カープのファンは素晴らしい。
彼らにいい試合を見せなければならない。
ファイトこそが勝利への基本である。
勝つことがすべてではない。
しかし、勝たねばならない。


ルーツは優勝の祝福に駆けつけるために秋には再び来日し、ナインとの約束は果たされた。原爆が投下され、70年間は草木も生えないと云われた広島の街は、被爆30年目にして歓喜のV1を味わうことが出来た。

チャンピオンフラッグを掲げる古葉監督
広島初優勝 古葉監督 1975

今シーズンのカープは近年にない闘いを見せ、シーズン終盤まで全国のカープファンを沸かせ、期待に溢れた応援を贈ることができた。しかし残念ながら今季も栄冠(リーグ優勝)を手中に収めることはできなかった。既にルーツは2008年に83歳で永眠したが、1975年にカープに残したメッセージが、悔しい想いが長らく続く現在のカープに、時代を超えて勝利への執念を説き続けることを祈る。勝つことがすべてではない。しかし、勝たねばならない。

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 ジェット風船 2014.9.15(交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 ジェット風船 2014.9.15(平行法)

広島へのエール

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“夏休み”として東京で一人住まいの大学生の息子が帰省し、お盆過ぎ頃まで10日前後の滞在予定であったが、急性胃腸炎で高熱が出たので、病院で処方された薬を飲み暫く様子をみることにした。帰阪して数回は大阪の友人に会いに出掛けていたが、暫くは終日家でゴロゴロしている。折角のお盆休みなので、家族でどこか食事に出掛けるなどの計画もしたものの、天気が安定せぬこともあり、我々夫婦も結局息子の状態に呼応して家でゴロゴロする夏休みを過ごした。

広島土砂災害⑥

久しぶりに息子と多くの時間を共有し、他愛もない会話ができることは、ある意味で有意義なのだが、家の中で過ごすとテレビのニュースを頻繁に見るようになる。今年の夏は、ギラギラと真夏の太陽が照りつける日が少なくて気象の変化が激しく、各地豪雨に見舞われ、広島では大変な土砂災害も発生している。その中で報道の“安佐南区 緑井”と云う地名に嫁さんは敏感に反応したのであった。

広島県MAP

広島県MAP

私の両親は広島県で生まれ育ち、父の実家は尾道だが、母方の親戚は広島市内に住んでいる人が多い。その中でも私の母の妹の旦那である“叔父さん”には、私が小学生の頃から何かと可愛がって戴き、いろんな場所に良く連れて行って貰った。母の妹(叔母)が二人目の子供を産む際には、長女を我家で三か月間預かるなど、最も親しい間柄の親戚なのだが、その叔父の家の住所が“安佐南区 緑井”だったのである。

広島土砂災害

叔父夫婦は、普段から定期的に尾道の私の実家を訪れ、一人暮らしの母の様子を気遣って戴いており、その御礼として近年では御中元を欠かさず贈るようにしていた。今年の夏に限っては、「尾道が好きで勝手に行っとるんじゃけぇ、あんまり気を使いんさんな。」と恐縮され、逆に広島のお酒が届いたので御礼の電話をすると、叔父から「今年こそ、カープの応援に一緒に行こうやぁ。」と言われていたところであった。

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑪ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑪ (平行法)

奇しくも広島に豪雨が襲うことになる19日の夜に、私は叔父の家に電話をしている。9月16日に広島出張が決定したので、前日(敬老の日)のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島での巨人戦を一緒に観に行こうとのお誘いの連絡だったのである。今年のカープが首位争いしていることもあり、チケット入手は先々まで困難だが、何とかWEBで確保することにした。

広島土砂災害①

翌日、会社から帰宅するや否や、嫁さんから広島の豪雨による土砂災害での叔父の家の安否確認を催促された。19日深夜~20日未明、広島市安佐南区・安佐北区で局地的豪雨となり、土砂崩れや土石流が発生し、住宅街を襲って多くの死亡者を確認するほど大変な被害に及んでいたが、嫁さんに御中元の手配を任せていたので、叔父の家が“安佐南区 緑井”だということを覚えていたのである。

広島土砂災害②

電話口の叔母の説明では、土砂災害場所は500m程度離れており、家の周りは何も被害が無かったらしく、叔父も当日の朝は予定通り出張に出掛けたとのこと。「野球観戦の夜は、ビジネスホテルじゃなくてウチの家に泊まりんさいや。」と云われ、本当に無事だったことが確認でき、まずは一旦安堵した。しかしテレビのニュースの映像は見る度に凄まじく、500m程度の距離感が、果たして被害の無い状況であるのか、俄かに信じ難く感じられた。

広島土砂災害③

翌日の早朝にも広島には激しく雨が降り、ニュースでは捜査活動が難航するだけでなく、被害も拡大する恐れがあると報じられ、昼休憩時間に念の為、連絡してみた。「ありがとね。ホンマに大丈夫なんよ。」と叔母の言葉が返ってきた。叔父の家には、私が高校生の時に訪れたのみだった為、周囲の様子をあまり詳しく憶えていないが、JR可部線 緑井駅の近くの平地で、近くに山が迫るような環境では無かったので、被害が及ばなかったのだろう。

試合前の哀悼の黙祷 2014年8月22日 広島―阪神17回戦
マツダスタジアム黙祷

その日の夜のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島での広島―阪神17回戦で両チームの選手らが喪章を袖につけ、試合前には球場全体で犠牲者への哀悼の黙祷が捧げられた。鳴り物を使った応援は自粛され、球団旗などが半旗で掲揚された。広島東洋カープ球団は監督・コーチ会、選手会、球団で出し合った義援金1000万円を中国新聞社会事業団に寄付し、球団は広島市に1000万円を寄付したと云う。

12奪三振 完封勝利の前田健太選手
前田健太 力投

この日のカープは以前から企画されていた“赤道直火ユニフォーム”と称する上下赤いユニフォーム姿で試合に臨んだ。オールスター戦以降、好投出来ず勝ちに恵まれなかったエース前田健太は、ただならぬ気迫で12奪三振の投球を見せ、去年の6月30日以来の完封勝利を挙げた。試合後のヒーローインタビューでは、被災された方々に少しでも力になりたいという想いを述べている。

前田健太選手のヒーローインタビュー

前田健太ヒーローインタビュー
翌日の試合もカープは連勝し、球団から9月15日の巨人戦のチケットも届いた。ペナントレースも佳境に入る9月の巨人戦となれば、指定席は既に売り切れ、早速、叔父に電話し、内野自由席(2階席)なので、当日は早めに球場に行き“野球好き”として、バッティング練習やシートノックから見学することを確認し合った。こうして来月の野球観戦の会話をしているが、叔父は心配させぬよう決して口にしないが、家の周囲に於いてはおそらく大変な想いもあるだろうと推察している。

1970年代の広島市中区
(交差法)
広島市中区70年代(交差法)
(平行法)
広島市中区70年代(平行法)

1975年(昭和50年)私が小学6年生のとき、広島東洋カープは、紺色から赤色の帽子に変えて“赤ヘル軍団”と称され、球団創設26年目(原爆投下から30年目)にして初優勝した。その記念すべき年に叔父のお誘いで今は亡き父と三人で、旧広島市民球場で行われた中日戦を観戦した。中日 星野仙一、広島 池谷公二郎の先発投手で始まったこの試合は、前年のセ・リーグ覇者の中日と最後まで優勝を争ったことも併せ、今振り返っても感慨深い想い出である。

広島市内旧太田川を渡る山陽新幹線
旧太田川を渡る山陽新幹線

この年の3月10日に山陽新幹線は岡山から博多まで延長開業し、広島への新幹線停車が可能になったが、尾道~広島(当時は三原から一駅区間)間では、まだまだ新幹線を利用する人は少なく、山陽本線では結構時間を要していた。しかし、叔父が夏休み期間中に絶対に連れて行きたいと誘ってくれたことで、私と父にとって生まれて初めてのプロ野球観戦が実現したのである。

1975年の旧広島市民球場
広島市民球場75

ナイター照明に照らされた芝生は色鮮やかで、当時の広島市民球場独特の下品で強烈にえげつない野次や、プロ野球のスピードや華麗な守備など、テレビ観戦では味わえない臨場感を堪能した。試合は惜しくもカープが負けたが、試合終了後にこの試合でホームランを打った大好きな衣笠祥雄選手を“出待ち”し、赤いカープの帽子を被った私を含めた少年達に「カーブをうまく打てたよ」と話しかけながら、一人一人にニッコリ笑って手を振ってくれたことが今も鮮やかに記憶に刻まれている。

1975年シーズンの衣笠祥雄選手

衣笠祥雄

話は変わるが、戦時中に他の都市が次々空襲で焦土と化す中、広島が爆撃を免れていたことを“米国には広島から移民した二世が多いため”、“安芸門徒の多い宗教都市であるため”、“占領軍の別荘地・保養地用として残すため”、などの都市伝説的のような憶測が拡がった。しかし結果的に広島は無傷だったことで、原子爆弾の威力の確認に適した都市として候補に挙がり、人類史上初の原子爆弾の被爆都市として歴史に刻まれた。

1945年 被爆直後の広島
被爆直後の広島

斯様な状況に関連付けるのは些さか不謹慎だが、広島の街は瀬戸内海に位置するために降水日が少なく、歴史的に自然災害に見舞われる印象を抱かず、災害に対する意識が比較的希薄であったとも云われている。しかし実際には広島市は周辺人口に対する平地が少なく、近年は山を切り開いて開発した新興住宅地が多いことと併せ、広島県は花崗岩が風化してできた“まさ土”と呼ばれる地質が広がり、水分を多く含み易いため大雨による崩落が起き易く、土砂災害の可能性を秘めていたとの報道番組での解説があった。

広島土砂災害③

皮肉にも「土砂災害防止法」は、1999年(平成11年)6月の広島豪雨災害をきっかけにして翌年制定され、このときの死者・行方不明者は32人だったが今回はそれを上回る惨事となった。各都道府県は、「土石流危険渓流」「急傾斜地崩壊危険箇所」「地すべり危険箇所」を総称する「土砂災害危険箇所」は全国に52万箇所以上を公表している。中でも広島県は約3万2千カ所と全国で最多で、被害が大きかった広島市安佐北区は2千カ所を超え、安佐南区も千カ所近い。

土砂災害危険箇所 1時間降水量80mm以上の年間発生回数

今回の件で、土砂崩れなどで人命に危険が及ぶ恐れがある「土砂災害危険箇所」は、全国32都道府県が土砂災害防止法に基づく基礎調査(実地調査)を終えていないことも明らかになった。高度成長期以前には今回のような災害は少なく、急速な都市化がもたらしたと云われている一方で、1時間降水量80mm以上の年間発生回数は、1976年から1997年までの平均が10回前後だったものが、1998年から2007年では18.5回に増えている事実も深刻である。

広島土砂災害④

15年前の被害も市郊外の山を切り開いた住宅地に集中し、危険性は専門家も指摘したが、住民の防災に対する認識、以前の教訓への対応、広島市の避難勧告の遅れや伝達の不備、近年傾向の報道で云われる「未曾有の大雨」など突発事態への対応、地質を理解し重視すべきである居住区開発、行政における危機管理体制やシステム構築、など、あらゆる面で検証すべき課題が浮き彫りになった。

1975年広島東洋カープ初優勝
広島市民球場75V

500m程度の距離差は、地球規模で云えば、ピンポイントの僅かな差でしか無いのかも知れないが、自然災害の結果としては、生命に関わる差が生じる。今回、幸いにも身内に被害は無かったが、自然災害の恐ろしさと併せ、亡くなった方、未だに行方が分からない方、家を失った方、その家族や親戚の方々の心情を想うと心が痛む。

MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島

原子爆弾投下という悲劇により、広島の街は70年間は草木も生えないと云われたが、壊滅的被害からの復興のシンボルとしてプロ野球球団を結成した広島市民の熱意は、その歴史を理解するほどに目頭が熱くなる。広島は今回の土砂災害で悲しい現実に直面したが、来月、叔父と一緒にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を訪れ、広島の歴史に伝承されてきた復興への不屈の闘志に支えられたカープの闘いを期待している。

聖地からの祈願

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時間軸として去年の出来事ではあるが、12月20日に広島~福岡の日帰り出張があり、午前中の広島での取引先を出て、博多行きの新幹線の時間まで多少時間の余裕があったので、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を数年振りに訪れることにした。奇しくも手を挙げて留めたタクシーは、“カープタクシー”との表記で、何でも運転手はカープの選手や球団関係者と何名か専属契約しており、自宅まで迎えにいくこともしばしばあるとのこと。なかなか面白そうな話が聞けそうである。

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島① (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島① (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島② (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島② (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島③ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島③ (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島④ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島④ (平行法)

私が広島県出身で筋金入りのカープファンであることを説明すると、「先週は達川さん(野球解説者 達川光男氏)を乗せましてね。今度、中日の(バッテリー)コーチになるでしょう。その用事で名古屋に向かうと言うとりましたよ。」「達川さんは、もしかしたら最後の現場復帰になるかも知れんけぇ、中日に骨を埋める気概で行こう思うとるらしく、広島には当分戻らんようなこと言うとりましたよ。」と懐かしいイントネーションの広島弁で話かけてくれた。

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑤ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑤ (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑥ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑥ (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑦ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑦ (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑧ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑧ (平行法)

さらに運転手は、「ドラフトでええピッチャー(大瀬良大地 ※大学No.1投手と云われている広島のドラフト一位指名選手)も来てくれたし、ピッチャーはだいぶ(随分)メンバーが揃うてきたでしょ。カープが優勝するにはあと何が足らんのかねえ?」と訊かれ「やっぱり真の四番打者ですかね。キラ(カアイフエ ※2013年シーズンの四番打者)もいい打者ですけど、長い目で見たらチーム生え抜きの不動の四番打者を固定できたら、相手に与える印象もかなり違うと思いますよ。」と答えた後、「栗原(健太 ※嘗ての四番打者)には是非とも完全復帰して欲しいけど、彼は意外に打率が高い打者で、ホームランをガンガン打つタイプでないので(12年間通算成績 打率.293 本塁打153本 打点586点)、四番打者向きじゃないのかも知れませんね。」と言うと、「実は栗原も専属契約しとりますけど、普段はプロ野球選手とは思えんほど、真面目でおとなしい感じの人なんですよ。」と説明してくれた。

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑨ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑨ (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑩ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑩ (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑪ (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島⑪ (平行法)

カープファンとしていろいろ興味深い会話をしているうちにタクシーは、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に到着した。思えば開場初年度の2009年8月11日の対巨人戦に嫁さんと一緒にこの球場で初観戦して以来である。その際に宿泊したホテルのロビーで、野球解説者の江本孟紀氏と偶然遭遇し、ほんの少しだけ会話したことが記憶に新しい。その前年には、建設中の新球場の様子を確認する為に二度も現地を訪れており、いつのときも特別な想いが込み上げてくる“聖地”であることには変わりない。

2009年8月11日 対巨人観戦
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2009.8.11①

MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 観戦 2009.8.11②

2008年5月3日 建設現場
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 8建設現場 200.5.03①

MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 建設現場 2008.5.03②

2008年12月20日 建設現場
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 建設現場 2008.12.20①

MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 建設現場 2008.12.20②

三塁側では、メインゲートに直結するエレベーター増設工事が行われているようだが、その他はシーズン中と変わらない全容が眼前に拡がってきた。通路を進むごとに球場内の様子が見えてくる設定は、シーズン中の試合観戦前であれば、尚更、球場へ近づくたびに興奮してくる演出効果に繋がるはずである。

私が所有するMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の模型
(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 模型① (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 模型① (平行法)

(交差法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 模型② (交差法)
(平行法)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 模型② (平行法)

暫くすると警備員の姿が見えてきたので、「すみません。球場の中を見ることってできますか?」と訊くと「グランドまでは見えんかも知れんけど、あそこ扉の位置までなら自由に見て下さい。」と気軽に答えてくれた。やはり子供の頃に馴染んだ広島弁は親しみが涌き、ニュアンスも伝わりやすい。既に私は大阪生活が最も長くなったので普段は関西弁で喋るのだが、広島弁を連続で聞くとついつい引き込まれて昔の感覚が蘇ってくる。

MAZDA Zoom-Zoom スタジアム

残念ながら、自然芝のグランドまでは見えなかったが、三塁側ゲートブリッジ付近から、スコアボード、パフォーマンスシート、パーティフロア等を見渡すことが出来た。過去、この地を訪れたときには、未だ3Dカメラを入手しておらず、今回、部分的ではあるものの、初めて3D撮影することができたことに満足した。いつまでも球場を眺めていたい気分であったが、博多への新幹線の時間もあるので、そろそろ広島駅に向かうことにした。警備員は既に先程の人と交代しており、目の前を通り過ぎる際に「どうもありがとうございました。」と言うと、「ご苦労様でした。」と大きな声で挨拶された。

MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島のスタンド断面図
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 スタンド断面図

思えばこの球場の完成までには、長年の紆余曲折があり、進みかけた計画が立ち消えになりご破算になったり、コンペを通過した球場建設案に対して、広島東洋カープ球団が違和感を示してコンペのやり直しが行われたり、又、旧広島市民球場の立地に拘り、現在のヤード跡地への建設反対論が起こったりなど、何度も新球場建設を諦めかけた経緯を鑑みれば感慨深いものがある。このブログを立ち上げた頃にも記事にしたことがあるが、当時、東京在住時に地元の中国新聞の『夢球場(新球場アイデア募集)』なる企画に応募し佳作入選したことなどもあり、長年夢見てきた新球場完成に対して並々ならぬ想いがあるのだ。

中国新聞の『夢球場(新球場アイデア募集)』に応募した私の広島新球場案
『夢球場(新球場アイデア募集)』に応募した私の広島新球場案

最初は“広島にもドーム球場を”という声が挙がるところから、新球場建設への検討をスタートしたのだが、時は既にバブル経済崩壊後、特に地方における都市開発は必然的に消極的にならざるを得ない状況となり、結果として、日本では珍しくオープンエアでメジャーリーグのような自然芝の球場が完成し、ドーム球場よりも注目を浴びることになる。既にメジャーリーグはドーム球場時代は斜陽となり、ベースボールはオープンエアで且つ自然芝がベストとされ、多くの球場が次々に建設される時代に回帰した。このような時代風潮もあり、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島は、韓国、台湾の新球場建設の模範例として視察されることもある。

建設現場事務所に展示されていた最終決定案模型
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 模型①

MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 模型②

広島ボールパークコンペ
i広島ボールパークコンペ案

MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の近景空撮
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島 空撮

個人的には、理想に近い新球場が完成したのだが、残念ながら肝心の我が広島東洋カープは、1991年以来リーグ制覇を成し遂げておらず、果てしなく長い祈願の年月が経過している。2013年は初めてクライマックス・シリーズ進出となり、シーズン終盤までカープファンは熱い声援を送ることができることが出来ただけに今年のペナントレースへの期待は膨らむ。しかし一方では、まだまだ優勝を掴むには課題も多いチームであることは間違いない。まだキャンプインもしていない時期だが、2014年オーダーを希望的観測を交えて考察してみた。

1 中堅手 丸    (天谷・赤松・中東)
2 二塁手 菊池  (東出・安倍・小窪・上本)
3 左翼手 岩本  (エルドレッド・松山・迎)
4 一塁手 キラ   (栗原・松山・エルドレッド)
5 三塁手 栗原  (堂林・小窪・木村)
6 遊撃手 梵    (安倍・木村・田中)
7 右翼手 堂林  (広瀬・松山・鈴木・下水流)
8 捕手   石原  (倉・會澤・白濱・磯村)
9 投手  
  先発  前田・バリントン・野村・中村・中崎・大瀬良・九里・今井・小野
  中継  久本・横山・フィリップス・河内・篠田・上野・福井・大島・梅津・江草・一岡
  抑え  ミコライオ・永川・今村

広島ボールタウン整備事業計画(平成25年12月)
広島ボールタウン

ここ数年はこの時期から開幕までに上記のようなオーダーを頭の中で模索しながら、期待を膨らませるのだが、シーズン終盤には、既に来季への展望を模索するペナントレースの連続であった。MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を訪れ、久しぶりに粘りある闘いを観せてくれたペナントレースの余韻に浸りながら、2014年も最後まで熱く応援できるシーズンであり、願わくば長年の鬱憤を晴らすべく、悲願の栄冠を勝ち取るペナントレースとなることを祈願してやまない。

野球の本

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昨今のパソコンの浸透の影響により、メールなどの便利な機能と引き換えに日常業務においても文字を書く機会が少なくなってきた。更には、老眼の進行による活字離れとなれば、事態は深刻なのかも知れない。このブログを始めた理由の一つとして、文章を書くことを習慣化することにより、“国語力”を維持したい想いも多分に含まれている。そうなれば、どんなジャンルでも良いのでたまには本を購入し、活字を追う機会も作らねば、という想いになり、会社からの帰宅途中に思い出したようにフッと本屋さんに寄ってみることにした。

まずは、当然のようにハードカバーのコーナーから見ていくのだが、なかなか興味をそそられる本が見当たらないと、いつもの事ながらあっさりと雑誌のコーナーに移動して、いつものように野球の本を物色してしまっていた。そういえば今シーズンのメジャーリーグのガイドブックを購入していなかったので、取り敢えず購入しておこうと手にしたとき、驚くべき数冊かの本が、視界に飛び込んできた。それらの本は、我が広島東洋カープに関する本だったのである。

【るるぶ広島カープ】
るるぶ広島カープ

まず最初に視界に飛び込んできた本のタイトルは、『るるぶ広島カープ』(JTBのムック)。本の内容を見ると、5周年を迎えるマツダスタジアムを完全ガイドやカープの名選手の思い出や名シーンや、期待の新人、注目選手についても紹介。試合後にお勧めのグルメ店、ファンが盛り上がれるお店、カープOBのお店などグルメ情報やキャンプ地、東京でのビジター観戦ガイドなど、"るるぶ"ならではの切り口でガイドする広島カープ応援号なのだそうだ。"るるぶ"自体、過去の旅行のときにも愛用しており見慣れていたので、とにかく反射的に迷わず手にした。

【カープルール】
カープルール

二冊目の本は、『カープルール』(鯉党制作委員会)。カープファンなら誰でも知っているネタやコアなファンしか知らないマニアックなネタ、さらにはディープなファンも知らないネタまで、広島カープファンにはたまらない「あるある」ネタが満載の一冊。平和記念公園のためなら西日もいとわない。応援前にはとりあえずカープうどん…など、本物のカープファンなら知っておきたい50のルールが記載されている。

【広島東洋カープ ドラフト1位のその後】
広島東洋カープ ドラフト1位のその後

三冊目の本は、『広島東洋カープ ドラフト1位のその後』(別冊宝島編集部)。地元・広島のファンの熱い思いを背負って、ドラフト1位で入団した選手たちは入団後どうなったのか。裏切り移籍の真相、“炎のストッパー"の短い人生、輸入代理店経営者への転身など、広島東洋カープの80年代以降のドラフト1位の「活躍→その後」を完全追跡し、前田健太、佐々岡真司のインタビューも収録された一冊である。
東京でも大阪でも、書店にてこれほどまで一度に広島東洋カープに関する本に出くわしたことが無く、それほど規模の大きい書店で無いにも拘らず、これは何か縁起の良い前触れに違いないと思って、結局、メジャーリーグのガイドブックと併せてカープの本、三冊も同時に購入したのである。レジでは取り敢えず堂々とした態度を意識して精算した。家に着くや否や、鞄から本を取り出すと、嫁さんから「何よ、カープの本の大人買い?」と云われ、この場合も“大人買い”に相当するのだろうか、とあらためて驚いてしまった。

【Major LEAGUE 2013年度版 30球団 選手名鑑+球場ガイド】
Major LEAGUE 2013年度版 30球団 選手名鑑+球場ガイド

夕食後、いつものようにテレビやパソコンの前に座らず、自分の部屋に閉じこもり、早速、一冊ごとに読み始めることにした。さすがに『るるぶ広島カープ』は雑誌なので、写真記事が多く、“活字を追う”と読み方にはならない。興味あるページや写真をサラッと見通すに留めた。二冊目に選んだ『カープルール』は、見開き1ページごとに一つのルール内容が記載されており、どこで中止しても次から読みやすい設定になっている。誠に残念なことに、幼少の頃から長い年月、カープファンでいたので、50のルールの中で、“へぇ~っ”と唸るような内容は皆無に近かった。どちらかと言うとカープファンビギナー用の内容になっている。最後に選んだのは、『広島東洋カープ ドラフト1位のその後』だったが、これも内容は殆ど熟知できているだろうと高を括っていたが、以外にも覚えていないことや裏事情等が満載の内容で、読み始める前の想像を凌ぐ、興味深い内容であった。各々の内容にもドラマはあるのだが、期待されてプロ入りし、最低10年間一軍で現役を続けることが、如何に難しく、確率の低い稀なことだということをあらためて思い知ることになった。

【野村ノート 野村克也】(左)/【采配 落合博満】(右)
野村ノート 野村克也  采配 落合博満


三冊目を読み終えたのが、午前零時を超えていた。相変わらず、一気に読む癖は顕著だが、あらためて、野球の本が多くなっていることを痛感している。昔から野球が好きなので、その傾向が強いのは已むを得ないが、ここ数年は、以前はあまり興味を示さなかった野球人が書いたハードカバーの本を買うようにもなった。『野村ノート』(野村克也 著)や『采配』(落合博満 著)などは、各々、野球の達人と云われる両名の視点や理論や心理など、一見、強烈な個性を感じるが、突き詰めれば基本に忠実であることの重要性が書かれており、常に頭を使うべきと説く野村克也と常に練習で鍛えて準備を怠るなと説く落合博満の各々持論の対比も興味深く読めた。無論、素人には深い面までは判りようもないのだが、多少のエッセンスが加わった状態になれば、野球中継や野球観戦も一味違った楽しみ方ができるのかも知れない。

(交差法)
マツダスタジアム模型(交差法)
(平行法)
マツダスタジアム模型(平行法)

近年、野球の本の中で突出して面白く読めたのが、『野村克也解体新書 ノムさんは本当にスゴイのか?』(江本孟紀 著)であった。辛口で大胆な発言が多い江本孟紀の印象なのだが、実は、2009年に、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に巨人戦を観に行った際、宿泊先の広島のホテルのロビーで偶然居合わせたことがあり、“アッ、江本孟紀だ!”と反射的に会釈をすると笑顔で会釈を返すなど、実に気さくな印象だったことを思い出す。私は緊張して何も喋りかけれなかったが、嫁さんは逆に度胸が据わっていて、「今日は解説のお仕事ですか?」と尋ねても丁寧に受け答えしてくれたのである。最初は、外国人と思い込むほど身体の大きな人物だったので、なかなか江本孟紀とは気付かなかった。しかし、今年のWBCの解説でその江本孟紀が清原和博と並んで映った際、あまり大きく見えなかったので、あらためて清原ってどんだけ大きいのだろうと想像を掻き立てられた。

【野村克也解体新書 ノムさんは本当にスゴイのか? 江本孟紀】
野村解体新書 江本孟紀

さて肝心の『野村克也解体新書 ノムさんは本当にスゴイのか?』は、著者の江本孟紀が、世間で野村克也を“知将”とか“名監督”などと呼ばれることに関して冷静に分析し、次々に否定していく内容で、更には野村克也の性格的欠陥にまで分析が至り、その性格が形成される根源には、野村克也の生まれ育った地域特性や貧困な少年時代に起因し、ひねくれていったことにまで及んでいる。私は、野村克也が阪神監督のとき、シーズンオフに実際に講演会に行ったことがある。野村克也は最下位だったシーズンを振り返り、自軍選手への愚痴が止まらなくなり、熱狂的な阪神ファンが激怒して会場を出て行ったハプニングに遭遇している。この本の後半には、江夏豊と共に野村克也に関する痛快な“悪童対談”も挿入される。とにかく野村克也本人にとっては、“余計なお世話”的な内容なのだが、江本孟紀の文章が秀逸でキレもあり、終始、面白く読むことが出来る。更には、全体的に悪口のオンパレードで褒める箇所は極めて乏しいのに、何故か、野村克也に対する著者の愛情を確実に感じられる内容になっている。野村克也と江本孟紀、更には、この本の後半で野村克也について江本孟紀と対談した江夏豊を含めた各々の人物の繋がりや因縁をあらためて整理してみることにした。

南海ホークス時代の野村克也と江本孟紀のバッテリー
野村克也江本孟紀2


江本孟紀は、法政大学中退後、社会人野球熊谷組へ進み、1970年のドラフト外で東映フライヤーズに入団。初年度の1971年は中継ぎしか出番がなかったが、同年オフに南海ホークス監督の野村克也が江本の才能を見抜き、トレードで南海に移籍し、期待の証として背番号16を与えられ、移籍初年度の1972年に背番号と同じ16勝を記録する。先発・中継ぎを無難にこなし、1973年には前期最高勝率及びプレーオフ進出に貢献、プレーオフ第5戦9回2死に一打同点の場面で救援し、見事空振り三振にとって胴上げ投手となった。1974年にはオールスターゲームへの出場を果たして第2戦に先発。阪神タイガースの江夏豊と投げ合い、翌1975年オフに両投手はトレードされたが、南海で血行障害が見つかり長いイニングの投球が困難となった江夏に対して、野村克也はリリーフ投手への転向を勧め、その後の江夏のリリーフエースとしての伝説に繋がっていく。

江本孟紀 現役最終登板試合
江本孟紀 現役最終登板試合

一方、阪神に移籍した江本は、1981年の対ヤクルトスワローズ戦で、「ベンチがアホやから野球がでけへん」と当時の阪神監督の中西太を批判したことで、同年限りで現役を引退した。トレードの際には、江本と江夏との間でマスコミを通じた激しい舌戦を交わしているが、後に和解し、1993年に江夏が覚せい剤取締法違反で逮捕された際には、江本も法廷で情状陳述を行い、服役中も度々刑務所に面会に訪れて江夏をサポートするという間柄になった。

野村克也と江本孟紀 近影
野村克也江本孟紀

因みに野村克也は、江本、江夏に門田博光を加えた三人を指し、個性が強く自己中心的で我侭で取扱いの難しさに対して、親しみを込めて「南海の三悪人」と呼んでいる。以前、NHKの『ザ☆スター』という番組で、野村克也がメインゲストのときの放映で、この「南海の三悪人」が集まり、野村克也に関して対談するコーナーがあったが、気持ちのいいぐらい悪口の言いたい放題だったのが、相当面白かった。印象的だったのは、江本、江夏は、投手故に“バッテリー”という関係上、多少の愛情はあるのだが、門田に関しては、同じ打者という関係上、ライバル意識からか愛情の欠片もなかった、とのくだりである。多少誇張しているとは云え、VTRを見せられた野村克也が苦い表情をしていたことで、結構、核心をついた会話だな、と感じた。この『野村克也解体新書~ノムさんは本当にスゴイのか?~』を読んだ後にこの番組を観ただけに余計に面白く感じられた。何れにせよ、江本孟紀は辛口故の“笑いのツボ”も心得ており、文章にしろトークにしろ、他のプロ野球OBにない才能を感じている。残念ながら、野球理論に関しては、あまり印象はないのだが…….。


南海の三悪人
南海の三悪人

このように、私は昔から雑誌からハードカバーに至るまで野球に関する本をたくさん購入しており、何れも出来る限り大切に保管しているが、その中でも大変印象深い本を紹介してみる。

【球場物語】(左)/【球場物語2】(右)
球場物語 球場物語2

『球場物語』、『球場物語2』は、比較的、最近に発刊されたベースボールマガジン社の特集号だが、野球選手や印象的な試合に関する本は数多くあれど、意外に野球場に関する本は少ない。その中でこの二冊は、新しく広島に新球場を建設する計画段階の特集記事を掲載した『球場物語』と、その新球場の概要が確定し、ミニチュア模型と共にメジャーリーグ仕様を意識した新球場の特性と期待に関する特集記事を掲載した『球場物語2』の二冊は、その当時ならではの内容である故、大変、貴重な資料と捉えている。『球場物語』はメジャーリーグの球場の特集もあり、『球場物語2』は、自然芝球場の特集があるなど、野球場マニアの私のツボを確実に押えた本なのである。

【Forever広島市民球場】(左)/【ありがとう!栄光の広島市民球場】(中)/【さよなら ぼくらの 広島市民球場】(右)
Forever 広島市民球場 ありがとう!栄光の広島市民球場 さよなら ぼくらの 広島市民球場

MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が完成する前後(2009年4月1日開場)では、旧広島市民球場を偲ぶ特集号的な本も数多く発刊され、その中から何冊か購入している。何度も観戦に訪れた球場だけに感慨もあるが、新球場完成に向けたワクワク感もあった。実際に中国新聞の『夢球場 アイデア募集』に自身の新球場案を応募し、佳作入選しただけに尚更である。

【建築技術 2009年6月号】
建築技術 2009年6月号

なかでも『建築技術』は建築専門雑誌故に内容は極めて専門的で判り難いが、当時の様々な建築技術の駆使により、極めて短い期間での建設工事の遂行の仕組みが解説されており、書店を数件巡っても見つからなかったので通販で購入した一冊である。


1977年ワールドシリーズのレジー・ジャクソン
1977 World Series

メジャーリーグへの興味は、私が中学一年生だったときに、1977年のワールドシリーズ ヤンキースVSドジャースの中継を観て以来、前年に新装オープンされたヤンキースタジアムや両チームのユニフォーム、個々の選手の個性やプレースタイルなど、魅力満載の中継画像に釘付けになってしまったことから始まる。特にこのシリーズは、ヤンキースのレジー・ジャクソン(Reginald Martinez Jackson)が第6戦で三打席連続本塁打を放つなど、ミスターオクトーバーの真骨頂を発揮した強烈な印象が残った。

レジー・ジャクソン 三打席連続本塁打
Reggie Jackson

この放送が好評だったのか、翌年からNHKとフジテレビは積極的にメジャーリーグ中継を放映するようになり、その放送を見込んで、『大リーグ 26球団 総ガイド 』(ベースボールマガジン社)が、1978年に発行された。当時、メジャーリーグはまだ“大リーグ”と呼称されていた頃で、この『大リーグ 26球団 総ガイド 』こそが、メジャーリーグへの扉となった私のバイブルでもある。

【米大リーク 26球団 総ガイド】
米大リーク 26球団 総ガイド

表紙には、当時のスター選手である、レジー・ジャクソン(Reginald Martinez Jackson / New York Yankees)ロッド・カルー(Rodney Cline Carew / Minnesota Twins)、スティーブ・ガービー(Steven Patrick Garvey / Los Angeles Dodgers)、ノーラン・ライアン(Lynn Nolan Ryan / California Angels)、ピート・ローズ(Peter Edward "Pete" Rose Sr. / Cincinnati Reds)らの写真が懐かしいが、これらのスター選手のすべてが、その後に他球団に移籍していることが、如何にもメジャーリーグらしい。その他には、各球団の歴史、ホームタウン、ユニフォーム、スタジアムなどの解説もあり、現在のガイドブックのベースになっており、それ以降、来日する助っ人外人選手をチェックする上で重宝したことも現在のガイドブックと同様である。スポーツジャーナリストの福島良一氏が、当時メジャーリーグに憧れる大学生として、アメリカ各地で野球観戦したときのエピソードやお宝を紹介する特集記事などもあり、読み物としても興味深いものが多い。さすがに多少傷んではいるが、今でも大切に保管し、時々読み返すこともある一冊なのである。

(交差法)
ヤンキースタジアム模型(交差法)
(平行法)
ヤンキースタジアム模型(平行法)

会社からの帰宅途中にフッと立ち寄り、野球の本を購入したことから、ブログ記事ネタに展開する過程で、各々の本の表紙写真を検索しているうちに『YAKYUJO.com』と云う大変興味深いWEBサイトに出くわした。このサイトの管理人は、プロのグラフィックデザイナーで、古今東西の野球場の平面図を専門にアップしており、球場のみならず、芝の生え方や土の状態まで、精細に描き分けている。球場ごとのデータに基づき、球場のグランドの広さの比較をグラフィックに表してくれるのである。本と同様に、野球場に関するWEBサイトが少ない中で、『球場物語』、『球場物語2』同様、私のツボを確実に押えており、ツイッターを通じて、早速、管理人にリンクの申入れをしたところ、“はい!よろこんで!”と快諾を得ることができた。

その他、今まで購入した数々の野球の本
野球の本

ときには野球ばかりでなく、軍記ものやビジネス本を読むこともあるのだが、野球に関する本は、必ずしも広島東洋カープに限定されておらず、歴史や球場のみならず、ユニフォーム、トレード、背番号、などの特集号もあり、多岐に亘っている。我が広島東洋カープは久しく優勝できていないが、万一、悲願の栄冠に輝くことでもあれば、おそらく間違いなく、新しく本棚を購入しなければならないであろう。しかし……その日は、果たして来るのだろうか?

広島東洋カープの永久欠番 山本浩二と衣笠祥雄
山本浩二衣笠祥雄

【追記】
少年時代に生まれて初めて購入した野球の本、『ぼくらの入門百科 野球に強くなる』(昭和40年 秋田書店発刊)をヤフオクの頁で発見。数十年ぶりに表紙デザインと再会した。長嶋茂雄の写真とタイトルロゴがノスタルジックだが、内容は結構専門的で難易度も高い。当時の阪神監督だった藤本定義氏の監修の本だけに表紙を開くと、当時、全盛期の江夏豊投手(江夏は藤本監督のお気に入りだったと云われている)の写真が掲載されている。藤本定義が選ぶ強打者”9人のサムライ”では、まだまだ全国区でなかった背番号28時代の衣笠祥雄が選ばれていることが、とても嬉しかった記憶が蘇る。

【ぼくらの入門百科 野球に強くなる 藤本定義監修】
野球に強くなる

球史を偲ぶ空間

Edit Category 野球
今はなき関西のプロ野球球団、南海ホークス、阪急ブレーブスの歴史を偲ぶ空間がある。共にかつてはパシフィクリーグに所属し、関西の鉄道会社を親会社とした球団であり、球場跡地は親会社系列の大型商業施設として再開発されたことなど、こうして文章に表現してみれば、殆ど同じような軌跡を辿るのだが、各々の球団を偲ぶ展示空間を実際に訪れ、二つの球団の栄枯盛衰の歴史と重ね合わせてみれば、感慨深い想いが湧き上がってくる。

大阪球場
大阪球場

南海ホークスの本拠地である大阪球場は、正式名称は大阪スタヂアムと云い、大阪ミナミのど真ん中に位置することからナンバ(難波)球場と呼称されることもあった。かつて大阪球場があった場所は、現在、『なんばパークス』として生まれ変わり、9階の一角に『南海ホークスメモリアルギャラリー』と称する南海球団の歴史の展示空間がある。

南海ホークスイメージ

南海ホークスは、1938年(昭和13年)南海鉄道を親会社とする南海軍が結成され、関西の私鉄界では阪神電気鉄道、阪神急行電鉄(阪急)に続く三番目のプロ野球球団である。近畿グレートリンクを経て、1947年(昭和22年)旧南海鉄道の事業一切が近畿日本鉄道から南海電気鉄道へ譲渡され、球団の親会社も南海電気鉄道へ移行。これに伴い、南海ホークスに球団名を改称した。終戦直後、選手のスカウトまで任された若きプレイングマネージャー鶴岡一人は、「グラウンドに銭は落ちている。それを拾うのはおまえらや」と選手を激励し、西鉄・大毎と共に常に優勝争いに加わり、パ・リーグの黄金時代を築いた。杉浦忠の4連投・4連勝もあり、1959年(昭和34年)には巨人を倒し、念願の日本一になった。南海ホークスは鶴岡親分のもと、「鶴岡一家」と呼ばれる結束だった。

なんばパークス
(交差法)
なんばパークス①(交差法)
(平行法)
なんばパークス①(平行法)

(交差法)
なんばパークス②(交差法)
(平行法)
なんばパークス②(平行法)

驚かされるのは、当時、立教大学の長嶋茂雄と杉浦忠は、立教OBの南海選手である大沢啓二の強烈な勧誘により、南海入団は確定的であったことだ。結果として長嶋茂雄は巨人に入団し、杉浦忠のみが南海に入団したが、もし、長嶋茂雄が内定していた南海に入団していれば、球団は巨人を凌ぐ強豪として君臨し、現存していたのかも知れないし、或いはプロ野球全体及びセ・パ両リーグの歴史は、現在とは別の経緯を辿っていたのかも知れない。

杉浦忠監督のユニフォーム
(交差法)
南海ホークス メモリアルギャラリー 杉浦忠ユニフォーム(交差法)
(平行法)
南海ホークス メモリアルギャラリー 杉浦忠ユニフォーム(平行法)

南海ホークスとして、後期の最も中心的な人物は、間違いなく野村克也である。戦後発の三冠王に輝いた四番打者の正捕手であり、プレイングマネージャーとして監督も務めた野村克也は、1973年(昭和48年)に南海として最後のリーグ優勝を果たすだけでなく、この年、打者としても打率.309、28本塁打、96打点の活躍でシーズンMVPを獲得している。又、南海時代の野村克也は、阪神から南海にトレードされた江夏豊をリリーフ投手へ転向させたことは有名だが、それ以前にも他球団で燻っていた江本孟紀、山内新一、松原(後、福士)明夫を戦力化させるなど、当時から“野村再生工場”としての片鱗を覗かせていた。

鶴岡一人監督のスタジアム ジャンバー
(交差法)
南海ホークス メモリアルギャラリー 鶴岡一人スタジャン(交差法)
(平行法)
南海ホークス メモリアルギャラリー 鶴岡一人スタジャン(平行法)

1975年5月13日、後楽園球場で行われたロッテ対南海戦の第3打席で野村克也は、成田文男投手から遊撃内野安打を放つ。これが日本プロ野球初の通算2500本安打達成となった。1954年にプロ入りして以来、21年目にしての快挙である。しかし、この大記録達成にも関わらず、当日の観客はわずか6000人で、野村克也の大記録を知っていて安打の瞬間、拍手をしたのはわずか数十人であったと云われている。長嶋に負けているのは人気と年俸だけという自負から、有名な野村の月見草発言が出たのは、試合後の記者会見でのことである。後述の阪急ブレーブスでも触れるが、当時の球界は、巨人を中心としたセ・リーグにマスコミが偏り、パ・リーグの各球団はその悲哀を味わっていた象徴的なエピソードである。

南海ホークス メモリアルギャラリー展示物①
(交差法)
南海ホークス メモリアルギャラリー 展示物①(交差法)
(平行法)
南海ホークス メモリアルギャラリー 展示物①(平行法)

現地を訪れた南海ホークスファンならすぐに気が付くのだが、この『南海ホークスメモリアルギャラリー』には、不思議なことに野村克也の写真はおろか、活字さえ一切登場しない。何故なら、野村克也監督は、1977年(昭和52年)に前代未聞の理由で、南海ホークスを解任された歴史があったのだ。

南海ホークス メモリアルギャラリー展示物②
(交差法)
南海ホークス メモリアルギャラリー 展示物②(交差法)
(平行法)
南海ホークス メモリアルギャラリー 展示物②(平行法)

野村克也の打撃フォーム
野村克也


元々 野村監督は続投が決まっており、8月末に川勝オーナー自らの発言で、来季も野村体制を打ち出したが、この発言が解任へのキッカケとなる。野村克也監督は川勝オーナー就任以来のお気に入りで、それがチーム内の不満の声を押さえつけていたのだが、野村の反対勢力派がオーナー発言を受けて動き、球団レベルを超えて南海グループの問題として会議が開かれることになったのである。 議題は、野村監督と愛人に関する公私混同に関して言及され、球団関係者だけでなくグループ百貨店社長、宗教界から有名寺院の住職も招かれ、野村監督の勝手な行動などが報告された。このときの愛人こそ、現在の沙知代夫人である。

映画『野球狂の詩』(1977年 日活作品)の野村克也(左から二番目)
映画『野球きょうの詩』の野村克也


会議の結果、野村監督の続投は取り消され、野村と並ぶ南海生え抜きでいながら、そりが合わずトレード候補とされていた広瀬叔功外野手の新監督就任を発表。同時に野村色の一掃を図り、参謀のドン・ブレーザー(Don Lee Blasingame)ヘッドコーチも辞任という形の退団に追い込んだ。結果的に野村克也はロッテに移籍し、金田監督の配下でコーチ兼任捕手になったのだが、球団功労者である野村克也に対する南海球団の対応に反発した江夏豊と柏原純一は、野村克也と共に移籍を希望する事態に発展。江夏豊はすんなり広島への移籍が確定。柏原純一は野村の移籍先のロッテに固執した為に一悶着あったが、日本ハムへ移籍が決まった。この騒動で南海ホークスは、二年連続2位の戦力メンバーから、主力を失う痛手を負うことになり、結果として球団史における大きな分岐点となった。

野村克也(左)とドン・ブレイザー(右)
※南海ホークス メモリアルギャラリーでは、この写真の野村克也が切り取られて掲載されている。
野村克也ドン・ブレイザー


この野村監督解任の真相は、今でも闇に包まれている部分が多いが、野村の退団を聞いた広島カープが獲得の意思を非公式に南海へ打診したところ、広島出身の鶴岡一人とその関係者が野村解任に関わっていることを知るや否や獲得の話は立ち消えになったと云う。当時の広島は古葉竹織監督であり、古葉は南海で現役引退後、野村監督の下でコーチを努め、1974年(昭和49年)には古巣の広島にコーチとして復帰し、翌1975年(昭和50年)には、ジョー・ルーツ監督退団後に急遽監督に就任し、広島初優勝を果たしている。当時の南海のシンキングベースボールを吸収した古葉は、結果的にドン・ブレーザーをヘッドコーチとして招き、前出の経緯で抑えの切り札として江夏を獲得し、その後の広島は黄金期を迎えることになる。

鶴岡一人(左)と野村克也(右)
野村克也鶴岡一人


一方、野村監督解任後の南海ホークスは顕著に弱体化し、1989年(平成元年)には、ダイエーへの身売りと同時に本拠地を福岡へ移転し、難波の球団、南海ホークスは完全に消滅することになる。1950年(昭和25年)に南海電鉄が煙草工場跡に南海ホークスの本拠地となる大阪球場を竣工し、1990年(平成2年)年まで野球場として使用されたが、その後は住宅展示場などとして利用され、1990年(平成10年)に解体された。

南海ホークス最終公式戦
大阪球場 ’88.10.15


大阪球場の跡地として『南海ホークスメモリアルギャラリー』の建設に当たり、南海電鉄から野村克也へ連絡があったにも拘らず、過去の解任劇に対する恨みから沙知代夫人は名前や写真の掲載を一切拒否したとのこと。野村克也の名前や写真のない“切り取られた球団史展示”に対して、熱烈な南海ホークスファンから抗議の電話が殺到したと云う。

西宮球場
西宮球場外観


阪急フレーブスの本拠地である西宮球場は、正式名称は阪急西宮スタジアムと云い、すぐ南に位置する阪神甲子園球場に対抗して、日本初の二階建スタンドと全面天然芝のグラウンドを持つ野球場として、シカゴのリグレー・フィールドなど当時のメジャーリーグの諸球場を参考にした設計の上で建造された。かつて西宮球場があった場所は、現在、『阪急西宮ガーデンズ』として生まれ変わり、5階の『阪急西宮ギャラリー』に阪急ブレーブスの歴史の展示空間がある。

阪急ブレーブスイメージ

阪急ブレーブスは、阪急電鉄や宝塚歌劇団をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者である小林一三が、ライバル企業である阪神電気鉄道が立ち上げた大阪タイガースに対抗して、1936年(昭和11年)に「大阪阪急野球協会」が設立された。企業名を球団名に入れた日本で最初のプロ野球球団であり、発足当時の球団で球場を自前で所有する事を計画したのは阪急だけである。又、パ・リーグに所属した球団の中で唯一1リーグ時代設立の球団でもある。1947年(昭和22年)球団のニックネーム導入の際、阪急軍から阪急ベアーズに改称。しかし(Bear)には、証券取引で売り筋、弱気筋の意味があることが発覚し、同年5月、阪急ベアーズより阪急ブレーブスに再改称した。

阪急西宮ギャラリー 阪急電車模型
(交差法)
阪急西宮ギャラリー 阪急電車模型(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 阪急電車模型(平行法)

1960年(昭和35年)に大毎オリオンズの監督として、パ・リーグ優勝を果たしながら、日本シリーズの戦法をめぐり永田雅一オーナーと口論し、大毎を退団した熱血漢の西本幸雄が、1962年(昭和37年)、阪急ブレーブスにコーチとして招かれ、翌1963年(昭和38年)に監督に就任した。西本幸雄は、阪急監督時代に、米田哲也、梶本隆夫、足立光宏、森本潔、長池徳士らを鍛え上げ、山田久志、福本豊、加藤英司の「花の44年トリオ」を育成し、1967年(昭和42年)の初のリーグ優勝~1969年(昭和44年)三連覇、1971年、1972年(昭和47年、48年)連覇を果たし、第1次黄金時代を形成。

山田久志の投球フォーム
山田久志


1973年(昭和48年)は、絶対有利と云われた野村克也率いる南海ホークスとのプレーオフに惜敗し、西本幸雄は阪急の監督を勇退し、自身は近鉄バファローズの監督に就任。当時37歳の上田利治ヘッドコーチに次期監督を託した。

阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型
(交差法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型①(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型①(平行法)

(交差法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型②(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型②(平行法)

1974年(昭和49年)阪急は金田正一率いるロッテオリオンズにプレーオフで対戦し敗退したが、雪辱に燃える上田監督はスター選手をうまく纏め上げ、翌1975年(昭和50年)~1978年(昭和53年)パ・リーグ四連覇と1975年(昭和50年)~1977年(昭和52年)日本シリーズ三連覇を果たすなど、今でも語り継がれる第2次黄金時代を形成。しかし、1978年(昭和53年)のヤクルトスワローズとの日本シリーズ第7戦、大杉勝男のレフトへの大飛球の判定を巡り、1時間19分に渡り猛抗議し、コミッショナーの金子鋭が収拾するまでの事態となった。結果、この試合を0対4で敗退し、日本シリーズでの混乱の責任を取り、上田利治は、翌日監督を辞任した。

(交差法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型③(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型③(平行法)

(交差法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型④(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型④(平行法)

阪急ブレーブスは、このように1960年代後半~70年代にかけて、パ・リーグ最強を誇る栄光の時期があったのだが、当時のマスコミは、巨人、阪神を中心とするセ・リーグ一辺倒で、パ・リーグはマスコミ注目度が極めて低い不遇の時代であった。日本シリーズでも巨人との対戦は勿論、広島、ヤクルトとの対戦においてもセ・リーグ贔屓の風潮の中で戦っていた。球場マスコットのパイオニアとも云えるブレイビーなど、斬新なアイデアで観客動員向上に向けた努力に励んだが、同じ西宮市には阪神甲子園球場がある故、常に阪神タイガースに人気や話題が集中し、西宮球場は、阪急ブレーブスが強くても観客は疎らであった。

(交差法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型⑤(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型⑤(平行法)

(交差法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型⑥(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型⑥(平行法)

(交差法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型⑧(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 西宮球場模型⑧(平行法)

阪急グループは、阪急西宮北口駅前と阪急梅田駅周辺の再開発を迫られ、その資金確保の為、球団を売却せざるを得なくなったとのことだが、阪急創業者の小林一三が宝塚とブレーブスは手放すな、と息子の小林米三に継承したのだが、養子の小林公平の代になり、当時阪急グループ内の赤字事業の中から、自分の好きな宝塚は残し、野球への執着が薄い為に球団売却を決断したとも云われている。何れにせよ、阪急は以前から球団売却を目論むもののタイミングが掴めなかったのだが、皮肉なことに、清原和博や野茂英雄などのパ・リーグへのスター選手入団の影響により、パ・リーグが徐々に注目を浴び始めたことと併せ、当時のバブル景気が、球団売却の絶好のタイミングと判断し、オリックス(当時オリエンタルリース)に球団譲渡したとも云われている。

阪急西宮ギャラリー 展示物
(交差法)
阪急西宮ギャラリー 展示物(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 展示物(平行法)

阪急西宮ギャラリー 野球殿堂
(交差法)
阪急西宮ギャラリー 野球殿堂(交差法)
(平行法)
阪急西宮ギャラリー 野球殿堂(平行法)

1970年代の好敵手 古葉竹織(左)と上田利治(右)
野球殿堂 古葉竹織・上田利治


西宮球場は、当時の日本の本拠地球場の中で屈指のメジャーリーグ仕様の球場であり、日本における多目的スタジアムの先駈けであったのだが、西宮競輪の開催により、西宮北口駅一帯が、家族での野球観戦には相応しくない環境イメージを抱かれたことも災いしている。又、野球以外には、アメフトやコンサートなど様々なイベントで使用されており、まさに“多角経営”により維持できていたのだが、人工芝の劣化によりアメフト開催も減少し、西宮競輪廃止が追い討ちとなり、球場自体の老朽化と経営難から2002年末を以て閉鎖。2004年9月から2005年にかけて取り壊され、その跡地の周辺再開発により、2008年11月に大型複合商業施設『阪急西宮ガーデンズ』が開業し、同施設内の『阪急西宮ギャラリー』には、1983年当時の西宮球場の本格的なジオラマ模型が展示されている。

阪急ブレーブス 初の日本一(1975年 西宮球場)
西宮球場 阪急ブレーブス1975日本一

江夏の21球(1979年 大阪球場)
大阪球場 江夏の21球    江夏の21球


南海ホークス本拠地の大阪球場、阪急ブレーブス本拠地の西宮球場、両球場とも熱烈な広島ファンの私にとっては、球団史の節目の重要な場所である。1975年(昭和50年)広島球団史上初の日本シリーズで、黄金時代を迎えようとする阪急ブレーブスと対戦し、一勝も出来ない辛酸を嘗める敗北を期し、阪急が球団初の日本一に輝いた球場が西宮球場であり、1979年(昭和54年)近鉄バファローズとの日本シリーズで死闘を繰り広げ、ドラマチックな幕切れで伝説化した「江夏の21球」により、広島球団史上初の日本一の栄冠に輝いた球場が大阪球場なのである。かつて大阪球場住宅展示場を訪れ、アスファルトで舗装されたマウンド付近の駐車場から、バックネットに方向に向かって立ったとき、途轍もなく違和感のある環境ながらも、身震いするほどの感慨に浸ったことが思い出される。

大阪球場住宅展示場
大阪球場住宅展示場

各々戦前から続いた老舗球団のファンであった人々は、歴史を偲ぶ各々の空間をどのような想いで訪れているのだろう。栄光の歴史や熱中した時代を想い出す一方で、各々の球史の幕切れに対して、辛くて淋しい感情も湧き上がるであろう。少しずつ解体されていく旧広島市民球場の様子をWEBで見かけるたびに胸が締め付けられるような想いが湧き上がるが、広島カープという球団も新しい広島市民球場も現存している故、哀しみとは違う感情だと思う。我広島カープは、Bクラスを脱出できないシーズンが久しく続いているが、未来永劫年表を更新し続ける“球史偲ぶ空間”以外は必要としないよう、現在の広島球団を応援し続けるしかない。

MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム広島(広島市民球場)
MAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム 広島
 
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Author:MOTO
広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
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