3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

大坂を偲ぶ場所

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以前、「大阪歴史博物館」を訪れ、記事を整理する際にその存在を知ることになった「大阪くらしの今昔館」を今回あらためて訪れてみた。初めてその存在を認識したときには、その野暮ったい名称に展示イメージが湧かなかったが、あらためてWEBで確認してみると、学術的考証に基づき、伝統的工法で精巧に実物大で復元された江戸時代の大坂の町の商家、路地の奥の長屋、家具・調度品等が秀逸で、私の大好物である精巧なジオラマ模型なども数多く設置され、昔懐かしレトロなミシンや炊飯器、テレビや冷蔵庫も展示され、大阪の個性的な観光スポットとして外国人に人気を博しているとのこと。

大阪市立住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館

1990年(平成2年)に「大阪市内の住宅に関する情報サービスや相談、さらに新しい住まいや大阪の都市居住の歴史などについても知ることができる総合的な住情報拠点」として、1999年(平成11年)11月「大阪市立住まいの情報センター」が開設され、1年半後の2001年(平成13年)4月「大阪市立住まいのミュージアム」が誕生した。大阪の都市居住の歴史を楽しく学ぶ中核施設、“大阪のくらし”に対する愛着とイメージアップを図る住情報の拠点として、住まい情報センターの活動の一翼を担っている。2002年(平成14年)4月には、愛称として「大阪くらしの今昔館」が決定した。

大阪くらしの今昔館

博物館は一般的に教育委員会の管轄下にあるが、大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は、大阪の都市居住に関する歴史と文化をテーマとした日本初の専門博物館である。江戸時代後期から戦後にかけての住居に関する資料や模型が展示されており、見せる展示を超えた「体感する」展示を目的とし、「住まいと暮らし」の情報交流拠点としての集客型ミュージアムを基本理念としている。開館した2001年以来、緩やかに右肩上がりだった入館者数は、近年の訪日外国人旅行者数増加を追い風に、2014年度は過去最高の35万3千人を記録した。2015年もそれを上回るペースで入館者数が推移している。

大阪くらしの今昔館 アクセス 大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記 大阪市立住まい情報センター大阪くらしの今昔館 フロア図

晴天の休日、地下鉄谷町線・堺筋線、阪急線「天神橋筋六丁目」駅の改札口フロアに直結した「大阪市立住まい情報センター」から地上に出ることなく、エレベーターで8階に上って「大阪くらしの今昔館」の入り口に到着した。エントランスにはメイン展示である「なにわ町家の歳時記」の1/50縮尺の模型が展示されている。「大阪くらしの今昔館」は、ビルの最上階8〜10階に設けられ、エントランスの8階からエスカレータで10階の展望フロアに到達し、9階の「なにわ町家の歳時記」、8階の「モダン大阪パノラマ遊覧」に降りてくる順路の構成となっている。

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「大阪くらしの今昔館」近世大坂の町並み模型①(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」近世大坂の町並み模型①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」近世大坂の町並み模型②(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」近世大坂の町並み模型②(平行法)

10階に於ける「展望フロア」では、上方落語界では初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された桂米朝(2015年3月19日没 ※満89歳)の歓迎の挨拶が流れ、9階の天保の頃の「大坂」を完全復元した町並み全体をガラス越しに見渡す事ができる。ビルの中だと侮ってはいけない。上から全体を一望すると、商家の並ぶ大通りに庶民の裏通り、一際高い火の見櫓などがあり、一瞬、巨大ジオラマと錯覚するが、人が動いていることによって実物大のセットであることを確認できた。

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記①(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記②(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記②(平行法)

9~10階の吹き抜け部分1100㎡に於ける「なにわ町家の歳時記」では、江戸時代の天保期(1830~1844年)の大坂の町家と町並みを専門家による学術的考証のもとに伝統的工法を用いて実物大で復元し、家具・調度を置いて当時の暮らしを再現している。木戸門を進むと、大通りには風呂屋、人形屋、本屋、呉服屋、唐物屋など10の商家が並び、路地の奥には四戸一の裏長屋がある。室内まで隈無く再現され、台所には釜も鍋もまな板も揃う。外には共同井戸も便所もある。屋根に猫、路地に犬・鶏、見上げると雀などが設置され、来館者は町の中を自由に散策し、展示史料は原則として自由に触れることができて、町の賑わいと生活の息吹を体感できる。

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記③(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記③(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記④(交差法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記④(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑤(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑤(平行法)

入場して暫く周囲を堪能している間に気が付くが、多くの入館者がレンタルの浴衣を纏い、周囲では日本語ではない言語で会話を交わされている。着物体験のレンタル料は200円で、着物(夏期は浴衣)に着替えて30分間、江戸時代の町並みを散策することができる。5年前から本格的に実施した着物の着付けサービスは、洋服の上から羽織る手軽さが外国人にも好評で、一日平均300人を超す利用があるほど人気がある。浴衣姿の人で溢れている光景は、まるで江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に陥るが、よく見れば着こなしは何ともぎこちない感じがしないでもない。自撮り棒を使って大坂の町家を背景にした撮影を満喫している様子に外国人の人気スポットとなっていることを実感できた。

「大坂火見櫓之図」守貞謾稿(左)/「なにわ町家の歳時記」イラスト(右)
「大坂火見櫓之図」守貞謾稿    火の見櫓

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑬(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑬(平行法)

提灯の後ろに聳え立つのは「火の見櫓」は、町によっては会所の屋根の上に乗せることもあった。守貞謾稿の「大坂火見櫓之図」には、「屋上ニ建、専ラ会所ノ屋上ヲ用フ、内ニ半鐘ヲ釣ル」とあり、屋根の上に櫓を乗せることが紹介されている。しかし一町ごとではなく、数ヵ町で櫓が設けられ、普請・補修の費用は各々の町で分担されていた。木造建ちが主流の江戸時代では、人々が恐れる火事への備えとして、初期消火のための用水は欠かせないものであった。江戸では用水桶は木の桶であったが、大坂では立派な石造であった。

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑧(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑧(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑨(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑨(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑩(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑩(平行法)

風呂屋を再現したセットでは、昔の大阪の様々なエピソードを知ることが出来るガイダンスの「風呂屋シアター」(約20分)として、1日9回の上映が行われている。一見、何を売っているのか判り難い店もあり、極めつけは、舶来品を取り扱う唐物屋に置かれた奇妙な白い箱は、オランダで発明され、宮廷での見世物や医療器具として用いられていた「エレキテル」と称する摩擦起電器を平賀源内が復元し、「人の体から火を出して病を治す器」として大名の前でデモンストレーションした魔法の箱とのこと。当時はまだ静電気の概念はなく、好奇の注目を浴び日本中の話題になった。平賀源内はこの静電気発生装置を「ゐれきせゑりていと」と表記している。

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑪(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑪(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑥(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑥(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑦(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑦(平行法)

町並みは、1991年に企画を始め、10年間をかけて資料を集めて時代考証を加え、設計図を引いた上で復元工事を行った。総事業費は54億円。町家は古い民家を移築するのではなく、桂離宮の昭和の大修理を担当した数寄屋棟梁が伝統技術を使って新築した。しかも、博物館によくある書き割りを造るのではなく、実際の屋外にある木造建築と同じ工法を採用している。木造の構造体は伝統的な継手と仕口のみで仕上げ、金具は使用していない。板塀などの釘も洋釘は一切使用せず、すべて和釘を用いている。こうして、新築ではあるが、江戸時代の技術に拘った“ほんまもん”の町家に仕上がっている。

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑱(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑱(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑭(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑭(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑮(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑮(平行法)

“大坂町三丁目”と称する架空の町の凝った演出により、来館者は江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。建物に生活感を表現するために、町家一軒ごとに経年変化をつけており、映画で使うエイジングの手法を取り入れ、松竹映画の美術監督に依頼するほどの拘わりにより、柱や格子の風食、白壁のひび割れ、屋根瓦の傷み、軒先の歪み、板塀の節穴、 雨落など、建築後の長い年月を経た変化を表すことで、本物の建物に近づけている。板塀は面積が広いので特に念入りに仕上げられ、伏見の酒蔵の古びた焼杉の外壁を観察することで、風雨に曝された板壁上部の白い木地や、下部の砂の跳ね上がりや苔など、エイジングの完成度を向上させている。

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑯(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑯(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑰(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑰(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑲(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑲(平行法)

更には、音と光と映像による最先端の技術を用いて、1日の時の流れを45分間に凝縮し、まるで屋外の如く1日の変化を演出する大掛かりなシステムを設定した。その結果、夜が明けると、賑やかな商いの掛け声で町の1日が始まり、昼下がりになると金魚売りの声。そのうちに辺りが暗くなって雷鳴が鳴り、激しい夕立に見舞われる(屋内なので雨が降ることはない)。夕立が上ると、町並みは美しい夕焼けに染まる。やがて夜空に月が輝き、星空に流れ星が走り、犬の遠吠えとともに夜は更けてゆく。町角に佇むと懐かしさが込み上げビルの中とは思えない、実際に誰かが住んでいそうな町並みの臨場感が漂う。

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「大阪くらしの今昔館」山村流地歌舞「すり鉢」(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」山村流地歌舞「すり鉢」(平行法)

合薬屋には、”ウルユス”の看板があるが、漢字の「空」スをばらばらにしてカタカナ読みをすると、”ウルユス”。つまり空にしますという意味とのこと。合薬屋は、“町家の座敷”にも早変わりし、様々な催しを行い、来館者を持て成すイベント会場のステージとなる。この日は、上方の地で生まれ育った地歌舞が町家の座敷で披露されていた。

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「大阪くらしの今昔館」山村流地歌舞「露の蝶」(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」山村流地歌舞「露の蝶」(平行法)

江戸時代 京阪(上方)で生まれた地歌舞は、関東の「踊り」とは性格を異にした「舞」で、酒宴の座敷にて発展した故、別称・座敷舞とも称される。山村流は地歌舞の四大流派の一つで、歌舞伎の振付師であった山村友五郎を祖とした最も古い流派であり、能から出た行儀の良い舞として 商家の子女の行儀見習いの心得とされる。埃(ほこり)を立てないように半畳あれば舞える流麗な舞姿は、大変格式高く品のある舞として知られている。

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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑳(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」なにわ町家の歳時記⑳(平行法)

大坂は借家率の高い都市であったと云われ、四戸一の裏長屋では、一番左の三畳の間が貸家という設定となっており、畳 、襖、障子が全く入っていない“裸貸し”という大坂独特の借家システムを現している。畳、襖、障子は家主が据え付けるものではなく、借家人が持ち込むものとされ、家も建具も規格が定められていたので、中古の品で十分だったのである。一人暮らしなら畳一枚で十分で、建具も同様で家族が増えた際に揃えれば良いとされた。浪花人は合理的で、物を大切にするリサイクル感覚に優れていた証かも知れない。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧(平行法)

8階に於ける「モダン大阪パノラマ遊覧」では、近代から現代への大阪の代表的な住まいと暮らしの移り変わりを1/100縮尺の精巧な模型、映像、実物資料で辿っている。明治から戦後にかけての大阪の住宅地を再現した「住まいの大阪六景」(川口居留地・北船場・大大坂新開地・空堀通・城北バス住宅・古市中団地)を中心に、ルナパークや心斎橋商店街などの模型、近代化を描く浮世絵の立版古などが常設展示されており、床面には1923年(大正12年)の大阪市街地を描いた鳥瞰図「大阪市パノラマ地図」を光床に原本寸法の約7倍に拡大して展示されている。大型映像と駆動式の模型を組み合わせた人形劇『住まい劇場 ある家族の住み替え物語』では、空堀商店街で生まれ育ち、戦後をバス住宅で仮住まいし、高度成長期には古市中団地に引っ越した悦子さんの住み替え物語のドラマを女優の八千草薫による語りで、1時間に2回、各々15分間のみの演出は、空堀通、城北バス住宅、古市中団地の模型が展示ケースの下に沈みこみ、天井裏から住まい劇場が降りてくる仕掛けになっている。

床面に展示されている大阪市街地を描いた鳥瞰図「大阪市パノラマ地図」1923年(大正12年)
大阪市パノラマ地図


【川口居留地】~文明開化と西洋館~
[1884年(明治17年)設定のジオラマ]

1868年(慶応4年)の大阪開港に伴い、明治初期に安治川と木津川に挟まれた近世大坂の市街地であった旧大坂三郷の西、木津川と安治川に挟まれた旧幕府の番所跡であった弾丸形の土地に外国人居住のために川口居留地が造られて競売された。江戸時代、「天下の台所」として経済の中心であった大阪に期待した外国商人たちが殺到し、道路には歩道、街路樹、街灯が整備されて西洋館が建ち並び、テニスコートやパンと牛乳の店などが誕生した。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 川口慰留地①(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 川口慰留地①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 川口慰留地②(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 川口慰留地②(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 川口慰留地③(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 川口慰留地③(平行法)

しかし、川口が安治川河口から約6km上流に位置する河川港故に水深が浅く、大型船舶が入港出来ないため、貿易港として継続的発展を成し得ず、阪神間の鉄道開通、大阪経済の衰退、不正取引に対する厳しい取締りなども影響し、期待を裏切られた外国商人たちは神戸に移動した。開港直後に来阪した宣教師たちは居留地に住むことは出来ず、隣接する雑居地に住居を確保して伝道を開始した。仮会堂や小さな礼拝堂を設置したが、1875年(明治8年)「切支丹高札」が撤去された後は衰退の一途を辿り、1899年(明治32年)川口居留地内は廃止された。


【北船場】~旧大坂三郷の近代化~
[1932年(昭和7年)設定のジオラマ]

1912年(明治45年)市電の敷設に伴い、堺筋は12間幅に拡幅されことを機に北船場は、近代的ビルや近代的町家が建てられ、都市景観は大きく変わっていった。伝統的な町家が建ち並んでいた明治時代の旧大坂三郷は、狭い道路が近代化を進める途上で大きな障害となっていた。江戸時代以来、町家が軒下空間を取り込んで道路を狭めていたが、明治の終わりから昭和の初めに“軒切り”と呼ばれる都市改造が実施された。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 北船場①(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 北船場①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 北船場②(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 北船場②(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 北船場③(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 北船場③(平行法)

北船場は、大坂の町人文化の中心となったところで、大坂城に通じる東西方向の“通り”と南北方向の“筋”で構成され、薬の道修町、金融の北浜といった商取引の中心であった。町は明治時代以前の瓦屋根の連なる木造家屋の光景と現代の鉄筋コンクリートを主とするビルの町並みの間に石やレンガ造りの建造物が現れ、土佐堀通りには市電やバス、自動車、リヤカーの他に、商家では店先に馬を繋ぎ止める金具があり、まだ馬が荷台を牽いていた。


【大大坂新開地】~市街地の拡大と近代長屋~
[1935年(昭和10年)設定のジオラマ]

大正8(1919)年の都市計画法を受けてはじまる土地区画整理事業は、この大大阪新開地を中心に展開され、事業が完了した地区にはディベロッパーが競ってサラリーマン向けに長屋建の貸家を建てた。中でも大阪市南部には、洋風・和風のさまざまな意匠を凝らしたユニークな外観、新しい間取りの長屋が多く建てられ、新しい風景を造り出した。1925年(大正14年)大阪市は第二次市域拡張を実施し、周辺の町を併合した広域行政圏である“大大坂”を誕生させ、人口・面積ともに東京市を抜いて全国第1位、世界で第6位の人口を有する都市となった。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 大大阪新開地①(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 大大阪新開地①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 大大阪新開地②(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 大大阪新開地②(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 大大阪新開地③(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 大大阪新開地③(平行法)

第二次市域拡張で新たに大阪市域に編入された新市街地は大大坂新開地と称されて東洋一の商工地に変貌する。大正から昭和初期を中心に、新しい構造やモダンなデザインによる鉄筋コンクリート造のビルが次々に建てられた。中之島や北浜、船場には、特色ある華やかな意匠の建築物が築かれた。東京が関東大震災で被害を受け、市域拡張が遅れたこともあるが、工業生産額では、本格的な戦時体制に入った昭和13年まで大阪府が東京府を抑えて全国一の地位を守り続けた。


【空堀通】~商店街・路地・長屋~
[1938年(昭和13年)設定のジオラマ]

路地と長屋の町としても知られている空堀通は、松屋町筋から東に約1kmに及ぶ商店街で、江戸時代中頃から表通りの空堀には商家が軒を連ね、明治時代には賑やかな商店街になった。路地と長屋の町としても知られ、上方落語の「駱駝」にも登場する。一見、江戸時代からの町並みが残っているが、路地の井戸が共同水道に変わり、下水溝の枡も見える。通りに街灯が立ち、軒蛇腹と称する装飾的な軒のついた本2階建の町家に白いタイル貼りの外装で開口部に“ルーバー”と称する羽板のついた建物など、昭和戦前期らしい建物も建っている。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 空堀通①(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 空堀通①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 空堀通②(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 空堀通②(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 空堀通③(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 空堀通③(平行法)

『住まいの劇場』
1930年(昭和5年)の出来事。空堀通にある4軒長屋、その一つが理髪店「浪花軒」である。御堂筋の拡幅、地下鉄工事、大阪城天守閣の再建など、時の話題で盛り上がっている。主人公悦子はまだ6歳。初恋の人から地蔵盆への誘いが掛かるのだが.....。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 空堀通 住まい劇場(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 空堀通 住まい劇場(平行法)


【城北バス住宅】~転用住宅と戦災復興~
[1948年(昭和23年)設定のジオラマ]

第二次世界大戦の度重なる空襲によって、大阪市の中心部は広範囲に及んで焦土と化した。人々の救済のために建設された仮設住宅のひとつに、廃車になった木炭バスを利用したバス住宅があった。旭区豊里町には、26台のバスをメガネ形に配し、中央の空き地に炊事場や洗濯場・便所などを設けた大阪市営の城北バス住宅が設けられた。バスの内部は約2坪半と非常に狭いため、各人が建て増しするなど独自の住空間が形成された。家賃が安く、隣近所との親交も深かったことから住み続ける人も多く、城北バス住宅は1951年(昭和26年)まで存続した。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 城北バス住宅①(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 城北バス住宅①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 城北バス住宅②(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 城北バス住宅②(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 城北バス住宅③(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 城北バス住宅③(平行法)

『住まいの劇場』
1946年(昭和23年)戦災と戦後の混乱で住む場所を失った一家だったが、やっと家族が一緒に暮らせるようになった城北のバス住宅のお話。24歳になった悦子に恋人が訪ねてくる事になったからさあ大変。大事な客を迎えるために一家は大騒動!

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 城北バス住宅 住まい劇場(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 城北バス住宅 住まい劇場(平行法)


【古市中団地】~計画的団地の開発~
[1956年(昭和31年)設定のジオラマ]

戦災復興とこれに続く高度経済成長に伴う都市への人口集中に対応するため、数多くの公共住宅団地が建設された。中でも昭和28(1953)年から建設が始まる城東区古市の市営古市中団地は、住戸・住棟計画・配置計画のみならず、外構や色彩にも新しい試みが行われ、さらに学校や道路・公園なども計画の対象とされるなど、その総合的な計画手法からモデル的住宅団地として注目され、水洗トイレやバルコニーが備え付けられるなど、新しいライフスタイルの住宅として脚光を浴びた。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 古市中団地①(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 古市中団地①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 古市中団地②(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 古市中団地②(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 古市中団地③(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 古市中団地③(平行法)

『住まいの劇場』
1959年(昭和34年)抽選に当たってやっとのことで入居できた古市中団地。これは悦子一家に初めてテレビが来た日のお話。ちょうどそこに花見帰りの両親と、兄の家族が団地見物にやってきたところ.....。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 古市中団地 住まい劇場(交差法)
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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 古市中団地 住まい劇場(平行法)


【天神祭】~水都の祝祭~
[1921年(大正10年)設定のジオラマ]

951年(天暦5年)社頭から流した神鉾が着いた浜での禊(みそぎ)の神事が天神祭の始まりとされ、神領民や崇敬者が船を仕立てて奉迎したとされる。浪速の繁栄を祈願して道真公を慰霊する大阪天神祭は千年以上の歴史を誇り、豊臣秀吉が大阪城を築いた頃は船渡御は100隻を超えるほど隆盛を極めた。1921年(大正10年)に描かれた絵巻「夏祭船渡御図」の参照に基づいて再現した模型には、カンカン帽を被る人、蒸汽船、川沿いに建つ近代建築が描かれ、当時の雰囲気が溢れている。

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 天神祭①(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 天神祭①(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 天神祭②(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 天神祭②(平行法)

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「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 天神祭③(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 天神祭③(平行法)

祭りは最終日に大川・堂島川で繰り広げられる船渡御をもってクライマックスを迎え、大勢の見物人、川沿いの篝(かがり)火と夜店、そして打ち上げ花火が、大阪の夏の夜を華やかに彩る。7月24日・25日に行われる天神祭は、政変や戦争による中断もあったが、船渡御の復活、大川を遡航、として現在の形になる。東京・神田祭京都・祇園祭とともに日本三大祭りの一つとされ、毎年130万人が訪れる大阪で最大規模の都市祭礼である。

『諸国名橋奇覧 摂州天神橋』 葛飾北斎(左)/現在の大阪天神祭(右)
諸国名橋奇覧 摂州天神橋 葛飾北斎 天神祭


【昭和初期の心斎橋筋商店街】
[1927年(昭和2年)設定のジオラマ]

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 心斎橋筋商店街①(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 心斎橋筋商店街①(平行法)

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 心斎橋筋商店街②(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 心斎橋筋商店街②(平行法)

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 心斎橋筋商店街③(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 心斎橋筋商店街③(平行法)

1927年(昭和2年)に描かれた町並みイラストをもとに、心斎橋筋商店街のおしゃれな町並み、表情豊かな店構えを表現。「心斎橋筋」は、大阪唯一の公認の遊郭であった新町と、芝居小屋が集まっていた道頓堀を結ぶ道筋という立地によって江戸後期には既に栄えており、明治以降、大阪のモダニズムを代表するエリアへと変化を遂げる。そごう大丸などが百貨店として営業を始めた昭和初期、心斎橋周辺は、大阪一モダンな街として、モボ(モダンボーイ)・モガ(モダンガール)が闊歩したファッション最先端の街であった。“銀ブラ”に対抗して心斎橋をぶらつくことを“心ブラ”と称したが、今や死語となった。

昭和初期の心斎橋筋商店街
心斎橋筋商店街(昭和4年)


【通天閣とルナパーク】 
[1912年(明治45年/大正元年)設定のジオラマ]

「新世界ルナパーク」は、閉鎖した浅草ルナパークを引き継いで日本で二番目に造られたルナパークという名前を冠する一大歓楽地である。1903年に開園のニューヨークのコニーアイランド・ルナパーク(Luna Park, Coney Island )を参考にし、南端中央に円形広場を設けてパリの街路に見立て、北端中央にエッフェル塔を模した「通天閣」を建てた遊園地は、1912年(明治45年/大正元年)に開園し、1923年(大正12年)まで営業された。観客がパークの入り口へ向かう際に空中の景色を楽しめるように、初代通天閣から入り口までロープウェイが伸びているなどユニークな造りであった。

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 通天閣とルナパーク①(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 通天閣とルナパーク①(平行法)

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 通天閣とルナパーク②(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 通天閣とルナパーク②(平行法)

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 通天閣とルナパーク③(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 通天閣とルナパーク③(平行法)

新世界ルナパークのアトラクションとしては、円形の絶叫マシンや、メリーゴーランド、ローラースケートホール、演芸場、活動写真館、音楽堂(奏楽堂)、不思議館、展望塔(白塔)、大衆演舞場(清華殿)、動物舎、及び瀑布渓流(綾糸瀧、真澄ノ池)、噴泉浴場、円形大浴場、サウナ風呂、温水プールが設置されていた。ルナパーク閉鎖後、1943年には初代通天閣が火災により損傷し、そのまま閉鎖され、材料を軍事利用するために日本政府によって解体された。戦後になって二代目となる現在の通天閣が建設され、1956年(昭和31年)に営業を開始した。
新世界ルナパーク
新世界ルナパーク
新世界ルナパーク①新世界ルナパーク② 新世界ルナパーク 見取り図 新世界ルナパーク③新世界ルナパーク④


【文明開化の立版古】
『梅田ステン所(しょ)』
(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 浮世絵立版古 大阪ステン所(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 浮世絵立版古 大阪ステン所(平行法)

日本初の鉄道路線である新橋~横浜(現桜木町駅)間に次ぐ2番目の路線として、2年後の1874年(明治7年)大阪~神戸間の鉄道開業と共にに開業した大阪駅は“梅田駅”、“梅田ステーション”、“梅田ステン所(しょ)”などと呼ばれたが、阪神・阪急や貨物駅の梅田駅が開業後には次第に大阪駅のことを“梅田駅”と呼ばれなくなる。現在地より西の大阪中央郵便局付近の場所にった当時の駅舎はゴシック風の赤煉瓦造り2階建てで、周辺には民家が僅かにあるだけで田圃が広がっていた。東西直通運転を可能にして市街地に駅を近づける構造にした大阪駅は、先見の明があったと云われ、明治末期に山陽鉄道九州鉄道などの大私鉄が国有化された後、西日本各地から東京への直通運転の実現が容易となり、利便性を高めた点でも大いに貢献している。

『鉄橋の心斎橋』
(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 浮世絵立版古 心斎橋(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 浮世絵立版古 心斎橋(平行法)

心斎橋は元々町人達が費用負担して長堀川に架けられた町橋の名で、「心斎系譜」によれば、1622年(元和8年)長堀川を開削した4名のうちのひとり、岡田心斎は長堀川を開削した後、長堀心斎橋町に住み、長堀川両岸の往来のため、南北に橋を架けた。これが心斎橋の名前の由来である。木橋だった心斎橋は、1873年(明治6年)ドイツ製で、大阪で2番目、日本で5番目に大きな洋式鉄橋として生まれ変わった。嘗ての木製の橋のように橋脚が林立することなく、川幅を一跨ぎする規模の大きさは、当時の大阪の人々の驚嘆として話題となり、錦絵にも描かれた。この鉄橋は鶴見緑地公園緑地西橋としてトラス部材(錬鉄製)桁の主構のみの転用ではあるが現存しており、日本現存最古の鉄橋とされる。

『浪花川崎鋳造場』
(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 浮世絵立版古 鋳造場(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 パノラマ遊覧 浮世絵立版古 鋳造場(平行法)

明治維新後、新政府は新たな貨幣制度の基盤となる統一貨幣の鋳造場として、1871年(明治4年)大阪に我国初となる近代設備を整えた大蔵省造幣寮(現在の造幣局)として創業が開始された。当時、蒸気船が八軒家と伏見を往復するようになった水運の便もあり、花見に向かう屋形船も描かれる大川沿いの場所が選ばれた。桜宮橋西詰にある造幣寮の周辺地域には、明治天皇が自ら命名した泉布観旧桜宮公会堂(旧明治天皇記念館正面玄関)は、明治時代の近代建築の黎明期の建造物として現存し、全国でも最も古い洋風建築とされ、明治初期の浮世絵作品に於いては、その崇高な様相を窺い知ることができる。昔から高雅な癒しを呈する場所として大阪の人々に崇められてきた。

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 レトロ製品①(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 レトロ製品①(平行法)

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 レトロ製品②(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 レトロ製品②(平行法)

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 レトロ製品③(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 レトロ製品③(平行法)

(交差法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 レトロ製品④(交差法)
(平行法)
「大阪くらしの今昔館」モダン大阪 レトロ製品④(平行法)

「大阪歴史博物館」は名称通りに博物館というイメージの展示内容であったが、「大阪くらしの今昔館」には「東映太秦映画村」「伊勢安土桃山文化村」と同じく、時代の再現空間を満喫する娯楽施設の気軽さもある。日本語、英語、中国語、韓国語の4カ国語の字幕付きで展示内容を“学習する”のではなく、“体験する”ことに主眼を置いていることも外国人に受け入れられる要因と云える。「大阪くらしの今昔館」のキャッチコピーは、「ほっとしたいそこの人、しばし時を忘れて、浪花見物に参りませう」である。大坂町三丁目の町並みが幼い頃の記憶が蘇えらせ心が和んだ、という来館者も多い。江戸時代の大坂を知る人は殆ど居ないのだが、大坂の原風景が持つ空間の力があるのかも知れない。

大阪市立北市民館
大阪市立北市民館

一階には、「大阪市立住まいの情報センター」の前身であり、我国初の文化的社会施設と云われた「大阪市立北市民館」の模型が展示されている。「大阪市立北市民館」が創設された直接の動機は、1918年(大正7年)富山県魚津で火蓋を切った米騒動が、瞬く間に全国を席巻し、大阪にも激しい騒動を引き起こしたことに始まる。大正後期の不況は貧困問題を深刻化させ、大阪では米騒動後、防貧施策として大阪市救援事業後援会を組織して広く寄付金を募集した。

(交差法)
大阪市立北市民館 再現模型(交差法)
(平行法)
大阪市立北市民館 再現模型(平行法)

(交差法)
住まい情報センター(交差法)
(平行法)
住まい情報センター(平行法)

その資金によって、1921年(大正10年)日本初の公立セツルメント「市立市民館」は、当時の急激な都市化とスラム化の拡大と進行によって貧困層の集まっていた天神橋6丁目に建設され、後に「大阪市立北市民館」となり、1983年(昭和58年)まで存在した。長きに亘り全国の社会福祉界の歴史的シンボルであった「大阪市立北市民館」は、大阪の誇りとなる建物として残すべきとの反対運動も虚しく取り壊され、「大阪市立住まいの情報センター」に生まれ変わり、今ではビルの1階に展示された模型のみが、往時を伝えるに過ぎない。

(交差法)
大坂城と大阪ビジネスパーク(交差法)
(平行法)
大坂城と大阪ビジネスパーク(平行法)

(交差法)
あべのハルカスと通天閣(交差法)
(平行法)
あべのハルカスと通天閣(平行法)

江戸時代、大坂は“天下の台所”として栄え、明治の頃には“水の都”と呼ばれ、経済と文化の中心的都市として発展し、歴史、環境、政治などの影響を受けながら現在の大阪が形成された。都市化が進む中でアイデンティティを歴史や文化に求めたとき、その経緯を知らない人にも紐解いて説明する施設があることは素晴らしいことだと感じる。現在の大阪の都市空間の中で、果たして次世代に向けて何を整備し、何を残していくのか、また世相や歴史をどのように継承していくのか、その答えを導く鍵を見つけることが現在の大阪で暮らす人々の役割と云える。

(交差法)
大坂サンセット(交差法)
(平行法)
大坂サンセット(平行法)
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Comments
ブログ拝見しました 
ブログ拝見しました

バス住宅、す素晴らしい

ルナパークおおおおっ
通天閣ってルナパークにあったんですね


天神祭の斜にかまえた写真すごく良いです

ジオラマ大博覧会ですね〜、楽しかったでしょう

大阪満喫しました

わんこ可愛い♪
 
 
今回のブログも力作だわ
凄い
ジオラマも凄いし何もかもがに目が点になっちゃった
見応えありました♪
 
Re: ブログ拝見しました 
kimさん、毎度です。

ご覧通り、ジオラマ、レトロ、教科書に載らない歴史
と大好物三昧の訪問先でした。

これでも写真の数は抑えたつもりでしたが、ついつい
欲張ってしまいました。

結果的に大好物が揃う訪問先は、疲れてしまいます。
でも....、ジオラマってホンマに3D写真に適して
ますよねぇ!?
 
Re: タイトルなし 
みゆきんさん、毎度です。

みゆきんさんもジオラマに興味ある感じ、
凄く伝わってきます。

過去もジオラマ記事に関して顕著な反応
を感じました。

私はハッキリ言ってジオラマ大好物です。

こういう展示施設って好き過ぎて、もっと
増えて欲しいものです(#^.^#)
 


 
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広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
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