3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

悠久の刻が流れる法隆寺

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法隆寺 西院

休日に未だ訪れたことのない奈良の法隆寺を嫁さんと一緒に訪ねることにした。自宅から徒歩20分所要のJR放出(関西以外の人には判り難いと思うが、“ハナテン”と読む)から、おおさか東線を利用すれば、1時間内にJR法隆寺駅に着くほどの近さにあるということが意外であった。普段から放出駅は滅多に利用しないが、折角の機会なので、駅近辺の店で昼食を食べることにし、テレビでよく取り上げられる「お好み焼き 陽風み」を選んだ。

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お好み焼き 陽風み 今津本店(交差法)
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お好み焼き 陽風み 今津本店(平行法)

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お好み焼き 陽風み 広島焼き(交差法)
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お好み焼き 陽風み 広島焼き(平行法)

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お好み焼き 陽風み オムそば(交差法)
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お好み焼き 陽風み オムそば(平行法)

土曜日の開店時間を少し過ぎた頃に入ったが、既に数名の客が入店しており、人気店であることを実感した。お目当ての広島焼き(広島県人は決して広島焼きとは呼ばない)とメニューの写真に惹かれたオムそばを注文した。待つ間に壁に飾れた有名人の写真やサインを眺めていると、客が徐々に来店し少しずつ席が埋まっていった。広島焼きは、本場の仕様とは多少違いはあるものの丁寧に再現していた。オムそばは、広島焼き用と違う麺を使っており、好みの味で美味しかった。歩いて行ける距離の店なのでまた何度も訪れたい。

JRおおさか東線路線図(左)/JRおおさか東線 王寺行 103系(右)
JRおおさか東線 JRおおさか東線 王寺行 103系

放出駅に到着し、初めての乗車となるおおさか東線の乗車ホームに出た。おおさか東線は、片町線の貨物支線である城東貨物線を改良して旅客線として計画され、2008年3月15日から大阪府大阪市鶴見区の放出駅から八尾市の久宝寺駅までの区間で旅客営業を行っており、最終的には放出駅から新大阪駅を経て北梅田駅(梅田貨物駅跡に設置される新駅で名称は仮称)に達する予定である。あまり馴染みのない鮮やかな黄緑色の電車に乗り、耳馴れない駅を経由して王寺で大和路線に乗り換えJR法隆寺駅に到着した。

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JR法隆寺駅①(交差法)
(平行法)
JR法隆寺駅①(平行法)

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斑鳩町(交差法)
(平行法)
斑鳩町(平行法)

JR法隆寺駅からは、徒歩20分程度で法隆寺に到着する。法隆寺のある斑鳩町は、田園風景も広がり、自然や季節の花も多く散策にも最適な場所である。斑鳩町は竜田揚げ発祥の地と云われ、斑鳩町を流れる竜田川より名付けられた。揚げた時に醤油の色が赤くなり、所々に片栗粉が白く浮かぶ様子が、紅葉が流れる竜田川に見立てたことに由来すると伝わる。道中には斑鳩名物として竜田揚げを掲げる看板が散見され、「竜田揚げ食べ歩きマップ」なるものも存在する。国道25号線法隆寺東交差点を左折し、法隆寺門前の広い道を500mほど進むと法隆寺の参道入口に到達した。

法隆寺 境内地図

聖徳宗の総本山である法隆寺は、聖徳太子が建立したことでも知られ、現存する日本最古の木造建築である。1400年の長い歴史を誇り、重厚な雰囲気が漂う18万7000㎡もの広大な敷地内には、19棟の国宝建築物をはじめ、建立以来人々を惹きつけてきた文化史上重要な建造物が多く点在する。仏教文化の研究の宝庫として人々の注目を集めるのみならず、神秘的で厳かな空気に包まれ、飛鳥文化の香りや、壮大な時の流れに思いを馳せ、非日常の神秘的な雰囲気が漂い当時の栄華が伺える。

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法隆寺 参道入口(交差法)
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法隆寺 参道入口(平行法)

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法隆寺 参道①(交差法)
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法隆寺 参道①(平行法)

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法隆寺 参道②(交差法)
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法隆寺 参道②(平行法)

法隆寺の参道は、元は並松の地蔵堂の所が入口であった。1941(昭和16年)幅員4mの産業道路が通り、1952(昭和27年)に拡張されて現在の国道25号となって交通量が増えた為、100mほど入り口を後退させ参道が短くなった。とは云え、長い距離の松並木は、別名“太子道”と呼ばれ、道路両側には多くの土産物店やレストランが並んでいる。広々とした松並木を直進すると目の前に法隆寺の玄関にあたる南大門が出迎えてくれる。南大門は、1435年(永享7年)に焼失し、現在の門は1438年(永享10年)に再建されたものである。

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法隆寺 南大門(交差法)
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法隆寺 南大門(平行法)

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法隆寺 境内案内版(交差法)
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法隆寺 境内案内版(平行法)

法隆寺 中門(左)/金剛力士像(右)
法隆寺 中門 法隆寺 中門 金剛力士像

法隆寺 西院伽藍と五重塔①(交差法)
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法隆寺 西院伽藍と五重塔①(平行法)

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法隆寺 宝光院門と輪堂(交差法)
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法隆寺 宝光院門と輪堂(平行法)

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法隆寺 弥勒院(交差法)
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法隆寺 弥勒院(平行法)

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法隆寺 西院伽藍と五重塔②(交差法)
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法隆寺 西院伽藍と五重塔②(平行法)

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法隆寺 西院伽藍と五重塔③(交差法)
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法隆寺 西院伽藍と五重塔③(平行法)

南大門を潜ると、その先に幅約12m、奥行き約8m、高さ約14mの中門(国宝、飛鳥時代)の全容が見える筈なのだが、2015年6月から修復解体工事のため、テントで覆われていた。雨漏りがする屋根の瓦を葺き替え、傾いている基壇の石の組み直しなどを行われるとのこと。西院伽藍の正面で左右に立つ日本最古の仁王像金剛力士立像(重要文化財、奈良時代)が安置された壮麗な中門は、約2年間見ることが出来ない。入り母屋造りで、エンタシス(膨らみのある形状)の柱が並び、上層の高欄には“卍崩し”の意匠が施され、飛鳥時代の建築様式を伝える中門は、観光客や修学旅行生らの記念撮影ポイントでもある。

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法隆寺 金堂①(交差法)
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法隆寺 金堂①(平行法)

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法隆寺 金堂②(交差法)
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法隆寺 金堂②(平行法)

法隆寺金堂の内陣
法隆寺金堂の内陣

法隆寺金堂 釈迦三尊像(左)/釈迦三尊像~神秘の微笑み(右)
法隆寺金堂 釈迦三尊像 釈迦三尊像~神秘の微笑み~

金堂(国宝、飛鳥時代)は、ご本尊を安置する聖なる殿堂として、西院伽藍のメインとして威風堂々としており、古代中国風の構造や細部装飾が特徴の建物は、現存では世界最古の木造建造物とされる。内部には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)が安置されており、左右には、金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、守護するように樟で造られた日本最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っている。

法隆寺金堂壁画 6号壁 阿弥陀浄土図 別品の祈り
法隆寺金堂壁画 別品の祈り

金堂の壁面に描かれていた7世紀末頃の仏教絵画は、歴史的史料が無く作者は不明とされている。インド・アジャンター石窟群の壁画(紀元前2世紀~紀元7世紀)、敦煌莫高窟の壁画(紀元4~14世紀)と文字通り双璧のアジア古代仏教絵画の代表作品と云われたが、1949(昭和24年)1月、堂内からの出火で焼損し、小壁の羅漢図は跡形もなく粉砕された。内陣小壁の飛天の壁画20面は、火災当時取り外されて別の場所に保管されたことで難を免れ、この火災を機に翌年には文化財保護法が成立した。焼損した壁画をはじめ各種の模写・ 複製・写真類は、絵画作品としての価値を今日まで十分に伝えている。

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法隆寺 五重塔と金堂①(交差法)
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法隆寺 五重塔と金堂①(平行法)

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法隆寺 五重塔と金堂②(交差法)
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法隆寺 五重塔と金堂②(平行法)

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法隆寺 五重塔①(交差法)
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法隆寺 五重塔①(平行法)

聳え立つ五重塔(国宝、飛鳥時代)は、西院伽藍のシンボルとして一際存在感を示している。日本に現存する最古の塔は、高さは32.5m(基壇上より)で、三間五重塔婆の屋根は逓減率(初重に対する五重目の大きさが減少する率)が高く、五重目の屋根の一辺は初重の屋根の約半分(面積は約1/4)のサイズとなる。五重塔を構成する5つの楼閣は、下から(基礎)・水(塔身)・火(笠)・風(請花)・空(宝珠)と称され、5層は各々独自の世界(思想)を示す仏教的な宇宙観で表されている。塔とは古代インドの“ストゥーパ”が中国での音読み“卒塔婆”⇒“塔婆” ⇒“塔”と略称され、釈尊の遺骨を奉安することを目的として仏教寺院では最も重要な建物とされる。

法隆寺 五重塔

法隆寺 五重塔 北面 釈迦涅槃図
法隆寺釈迦涅槃図

この最下層の内陣には、奈良時代に塔本四面具と呼ばれる粘土で作られた塑像群があり、東面は文殊菩薩と維摩居士の問答、北面は釈迦の涅槃、西面は分舎利(釈尊の遺骨の分配)、南面は弥勒の浄土などの場面が表現されている。嘗ては五重塔の内部にも壁画が描かれていたが漆喰などが原因で剥落し、現在は他の場所で保管されている。五重塔は全体を心柱が貫く構造で、地下1.5mの大礎石が心柱を支えている。礎石の上部には舎利容器などが納められ、舎利容器の中には釈迦の遺骨が6粒納められている。

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法隆寺 回廊①(交差法)
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法隆寺 回廊①(平行法)

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法隆寺 回廊②(交差法)
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法隆寺 回廊②(平行法)

法隆寺の中門の左右から五重塔と金堂を囲むように流れている回廊(国宝、奈良時代)には風情が感じられ、法隆寺の魅力とも云える。東回廊の長さは約76m、西回廊の長さは約72mとなり、東側が西側に対して一間多く設定された構造は、金堂と五重塔とのバランスを考慮して長さが異ったと云われ、往時の伽藍に対する思慮深い技法が伺える。回廊から眺める五重塔や金堂は別格で、軒があることで直射日光を避けられ、回廊の陰により少し暗くなった部分と陽の光が差し込む部分のコントラストに趣きがある。

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法隆寺 大講堂③(交差法)
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法隆寺 大講堂③(平行法)

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法隆寺 大講堂④(交差法)
(平行法)
法隆寺 大講堂④(平行法)

西院伽藍の最北に立つ大講堂(国宝、平安時代)は、仏教の学問を研鑽し、修正会や仏性会などの法要行事を行う施設で、内部には薬師如来坐像の左右に脇侍の日光菩薩・月光菩薩坐像を従えた薬師三尊像(国宝)と四天王像(重要文化財)が安置されている。平安和様と云える丸みを帯びた穏やかな顔立ちや肉付きの良い胴体の三体の仏像は、“檜材の寄せ木造り”であるなど、平安後期の宇治平等院鳳鳳堂の阿弥陀如来坐像などの彫刻群に見られる“定朝様”と称された独自の仏像彫刻様式で知られる大仏師 定朝の作品に繋がる流れを汲むものと云われる。

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法隆寺 大講堂①(交差法)
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法隆寺 大講堂①(平行法)

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法隆寺 大講堂②(交差法)
(平行法)
法隆寺 大講堂②(平行法)

925年(延長3年)落雷により焼失した後、990年(正暦元年)に再建された時、薬師三尊像・四天王像も造られた。大講堂前の燈籠は、1691年(元禄4年)桂昌院が子息の江戸幕府5代将軍 徳川綱吉の武運長久を祈願して建立され、傘、火袋、中台に徳川家の家紋“三つ葉葵”と桂昌院の実家・本庄家の家紋“九目結紋”の装飾が並ぶ。大講堂の両脇には経蔵と鐘楼があり、(大講堂に並存するのは法隆寺のみ)古代寺院の様式とされ、国宝指定の講堂は法隆寺と唐招提寺のみである。

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法隆寺 西円堂遠景①(交差法)
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法隆寺 西円堂遠景①(平行法)

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法隆寺 西円堂遠景②(交差法)
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法隆寺 西円堂遠景②(平行法)

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法隆寺 西円堂遠景③(交差法)
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法隆寺 西円堂遠景③(平行法)

法隆寺西端の30段ほどの石段を上った小高い丘には、夢殿と同じ八角造りの円堂が西円堂がある。禁を破って仏教を民衆に広めたことで知られる行基菩薩が、718年(養老2年)光明皇后の母である橘夫人の発願によって建立したと云われる。当初の御堂は1048年(永承3年)大風のため倒壊し、現在の御堂は1250年(建長2年)大講堂に移されていた本尊・薬師如来坐像(別名:峯の薬師)を遷座して再興された。堂内に安置された薬師如来座像(国宝、奈良時代)は、日本最大級の乾漆像として知られる。

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法隆寺 西円堂①(交差法)
(平行法)
法隆寺 西円堂①(平行法)

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法隆寺 西円堂②(交差法)
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法隆寺 西円堂②(平行法)

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法隆寺 薬師坊(交差法)
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法隆寺 薬師坊(平行法)

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法隆寺 西円堂からの五重塔(交差法)
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法隆寺 西円堂からの五重塔(平行法)

小高い丘の一帯は有料観光地域でなく、訪れる拝観者も少なくて境内で最も静かな場所だが、寺は外界とは別世界であり、喧噪を離れて瞑想する場所と考えれば、寺本来の場所と云える。東側には正岡子規の名句(後述)の鐘楼があり、木々の間から見える五重塔は見逃せない。

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法隆寺 五重塔と金堂③(交差法)
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法隆寺 五重塔と金堂③(平行法)

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法隆寺 五重塔と金堂④(交差法)
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法隆寺 五重塔と金堂④(平行法)

法隆寺の建立は607年(推古15年)推古天皇と聖徳太子が、用明天皇の病を治すために、薬師像を祀る斑鳩寺の建築を進めたことが始まりとされる。イカルという鳥の名に由来を持つ斑鳩の地あるので斑鳩寺という別名もある。601年(推古9年)聖徳太子が斑鳩の地に自分たち一族の住居である斑鳩宮を建立した際、略同時期に法隆寺が建立されたという説もある。

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法隆寺 聖霊院(交差法)
(平行法)
法隆寺 聖霊院(平行法)

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法隆寺 五重塔と聖霊院(交差法)
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法隆寺 五重塔と聖霊院(平行法)

何れにせよ7世紀初頭の創建は間違いないようだが、最初の法隆寺は、創建から64年後の670年(天智天皇9年)火災で焼失したと日本書紀に記されており、現在の法隆寺は672年から689年にかけて再建を始めたとされており、西院伽藍は焼失後に再建されたものということになる。再建時期に関する詳細な記録は無いが、建築様式などから金堂が最も古く、次いで五重塔、仁王像のある中門、回廊が造られたと云われる。

古都奈良・法隆寺

法隆寺はその後も度々火災に見舞われ、925年(延長3年)には西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失し、現在の大講堂は、990年(正暦元年)に再建された。時代が下って近世に入ると、伽藍のあちこちの傷みが目立つようになり、17世紀初頭の慶長年間に豊臣秀頼が、17世紀末~18世紀初頭の元禄~宝永年間には、前述の徳川綱吉の生母 桂昌院が修復を行っている。

法隆寺 記念切手

更に時代を下って昭和時代に入ると、昭和の大修理と称する修復作業が1934年(昭和9年)から始められ、金堂、五重塔などが修理された。世界最古の木造建築物である法隆寺は、1993年(平成5年)12月、近くにある法起寺を含め「法隆寺地域の仏教建造物」と称する登録名で、国宝 姫路城とともに日本初のユネスコ世界文化遺産に登録された。

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法隆寺 大宝蔵院①(交差法)
(平行法)
法隆寺 大宝蔵院①(平行法)

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法隆寺 大宝蔵院②(交差法)
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法隆寺 大宝蔵院②(平行法)

法隆寺の寺域に並ぶ多数の建物のなかで最も新しく建てられたのは、境内の一番北寄りにある大宝蔵院である。1998年(平成10年)落成、伽藍というよりは博物館として、嘗ての大宝蔵殿に代わる施設で、仏像をはじめ厨子や舞楽面などの工芸品を含む寺宝が多数展示されている。現在、大宝蔵殿は春秋の観光シーズンのみ開館し、大宝蔵院に展示しきれないさまざまな寺宝を公開している。

「金堂落慶之図」和田英彦 1918年(大正7年)
金堂落慶之図 和田英彦 1918年(大正7年)

大宝蔵院の入口付近の「金堂落慶之図」は、洋画家の和田英作画伯が1918年(大正7年)法隆寺金堂落慶の様子を想像して描いた歴史画である。明治維新以降、国家の意識が高まる中、日本の政治・外交・文化の礎を築いた偉人として崇められた聖徳太子の1300年御聖忌(1921年)に向け、太子顕彰の気運が高まる環境での作品であった。中央の男性は聖徳太子で、右隅の柱の前で思惟を巡らす人物は和田画伯自身という憶測もある。何より背景の壁面に描かれた壮麗な金堂壁画の菩薩像に目を奪われる。

国宝 百済観音(左)/百済観音の切手(右)
百済観音 百済観音 切手

大宝蔵院全体は西と東の2つの宝蔵、そして北側の部分にある百済観音堂で構成される。注目すべき展示品は、百済観音堂内に安置された飛鳥時代作の国宝 百済観音(観音菩薩立像)は、九頭身の細身の姿が印象的で、水瓶を持つ手や天衣の翻りなど、立体的、写実的表現が独特である。この仏像を飾る目的で法隆寺が百済観音堂を建立したほど貴重なものとされる。

国宝 九面観音(左)/国宝 夢違観音(右)
九面観音 夢違観音

東西の宝蔵では、国宝 九面観音(観音菩薩立像)や国宝 夢違観音(観音菩薩立像)にも注目が集まる。香木白檀を用い、彩色を施さず白木で仕上げた九面観音は、独特の技巧的な仏像として必見とされる。

国宝 玉虫厨子(左)/国宝 橘夫人念持仏厨子(右)
玉虫厨子 橘夫人念持仏

飛鳥時代の作である国宝 玉虫厨子、奈良時代の作である国宝 橘夫人念持仏厨子の2つの厨子など、古代の人々の造形感覚の見事さや美意識がダイレクトに伝わる。

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法隆寺 西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳道①(交差法)
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法隆寺 西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳道①(平行法)

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法隆寺 普門院①(交差法)
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法隆寺 普門院①(平行法)

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法隆寺 普門院②(交差法)
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法隆寺 普門院②(平行法)

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法隆寺 西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳道②(交差法)
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法隆寺 西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳道②(平行法)

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法隆寺 西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳道③(交差法)
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法隆寺 西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳道③(平行法)

法隆寺の五重塔や金堂のある西院伽藍から夢殿のある東院伽藍の向かう道は、広く長い一直線の石畳で結ばれている。京都の古寺と異なり、広々として長閑な雰囲気が漂う。左には宗源寺などの塔頭が並び、右手には聖徳会館がある。その先に夢殿の八角形の屋根と頭頂部にある宝形が見えてきた。

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法隆寺 東院伽藍 夢殿①(交差法)
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法隆寺 東院伽藍 夢殿①(平行法)

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法隆寺 東院伽藍 鐘楼①(交差法)
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法隆寺 東院伽藍 鐘楼①(平行法)

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法隆寺 東院伽藍 鐘楼②(交差法)
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法隆寺 東院伽藍 鐘楼②(平行法)

622年(推古30年)聖徳太子の没後、聖徳太子の住んでいた斑鳩宮跡に聖徳太子の遺徳を偲び、行信僧都が天平11年(739)に建てた上宮王院(東院伽藍)の中心となる建物が夢殿である。奈良時代に建立されたが鎌倉時代に大修理が施されており、平安時代にそれまでの単層の屋根から二重構造にし、急な屋根勾配の野小屋に発展させ、軒の出を長くして雨を凌げる構造に変えた。現在の屋根は鎌倉時代のものとされる。

奈良時代の創建時の夢殿の屋根(左)/鎌倉時代後の夢殿の屋根(右)
奈良時代の創建時の法隆寺鎌倉時代後の法隆寺

中国の八方位陰陽説を担いで菩提を弔う堂の形とした八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、観音の化身と伝える聖徳太子を供養する殿堂とした。八角形の屋根の頭頂部の宝形は、上から、光芒・宝珠・宝傘・宝瓶・受花と蓮花の反花で構成されている。中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、今なお斑鳩の平安を祈る夢殿には神秘的な雰囲気が漂う。

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法隆寺 東院伽藍 夢殿②(交差法)
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法隆寺 東院伽藍 夢殿②(平行法)

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法隆寺 東院伽藍 夢殿③(交差法)
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法隆寺 東院伽藍 夢殿③(平行法)

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法隆寺 東院伽藍 手水舎(交差法)
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法隆寺 東院伽藍 手水舎(平行法)

夢殿が建立された後には、聖徳太子信仰が大きく高まり、やがて信仰の中心地となる。元来、夢殿は法隆寺の所属ではなかったのだが、夢殿に集まる聖徳太子信仰の力を求めて法隆寺が上宮王院を吸収したと云われている。元々、仏殿と称した建造物を夢殿と称するようになるのは平安時代であり、嘗て聖徳太子が法隆寺に参籠して瞑想中に黄金の人(仏)に出会った夢を見たという故事に基づいている。夢殿は太子を供養する場であると同時に、太子が見た夢の器なのである。

法隆寺の七不思議 境内図
法隆寺の七不思議

法隆寺には、七不思議という俗説が伝えられている。法隆寺の七不思議に関する正確な記録は寺にはなく、語られるようになったのは、江戸時代の頃と云われる。

その1.法隆寺の伽藍には蜘蛛が巣を作らず、雀も糞をしない。
実際の所は、蜘蛛が巣を作り鳥の糞も多く見受けられる。蜘蛛や雀でさえも気を遣うくらい神聖な場所として表すことで、法隆寺を聖域として保つための僧たちの心持ちと思われる。

その2.南大門の前に鯛石と呼ばれる大きな石がある。
南大門の階段の下に魚の形をした石が地面に埋め込まれており、鯛石から先の境内は地面が高くなり、大雨が降ってもこの石の位置よりも水位が上がらないと云われ、魚(水)に侵されないという意味が込められ、法隆寺を守っている石とされる。

その3.五重塔の上部の九輪に鎌が四本刺さっている。
この鎌は聖徳太子の怨霊封じとの説もあるが、落雷防止を祈願するもので、雷の魔物が塔への降臨を防いでいるとされる。これは中国古来の五行が関係し、五行では世の全てのものは木火土金水の五つに属し、雷は“木”、鎌は“金”とされ、金は木に勝ることから鎌が刺さっているとされる。鎌が上向きに見えた年は米が豊作で、下向きに見えた年は凶作であるとも云われている。

その4.法隆寺の中庭に伏蔵(ふくぞう)が三つある。
伏蔵とは、法隆寺が全壊しても再建ができるよう、財宝が収められている地下の蔵のことを云う。金堂の北東の角、経蔵の中、回廊の南西の角にあり、石の蓋で覆われている。聖徳太子の遺言で、「建物の破損など大事の時以外は開けてはいけない」と伝えられ、当然ながら過去から誰も開けたことはない。

その5.因可池(よるかのいけ)の蛙には片目がない。
西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳の大路の奥にある因可池は、聖徳太子が住んでいた斑鳩宮の付近にあり、聖徳太子が学問をしている時に蛙の鳴く声がうるさくて、筆を投げつけたところ、片目を突いてしまい、それ以降この池の蛙はすべて片目になったと云われている。

その6.夢殿の礼盤(お坊さんが座る台)の裏が汗をかいている。
夢殿の秘仏・救世観音像の前に礼盤(らいばん)と称するお坊さんが座る台があり、毎年二月に礼盤を日光に当て、堂内の湿気が溜まって礼盤に帯びる水気の量により、豊作か凶作かを占う「夢殿のお水取り」という行事が行われる。“汗をかく”というのは、水が下に垂れることを例える表現である。

その7.雨だれの穴が地面に開かない。
法隆寺の建物の足元は通常の砂利とは違い、大きめの石がごろごろ置かれており、雨が降っても地面に穴は開かないのは当たり前なのだが、この言い伝えは法隆寺の水はけの良さ、地盤の良さを表現しているものだと思われる


正岡子規(左)/法隆寺 正岡子規句碑(右)
正岡子規 正岡子規句碑

法隆寺 西院(左)/ふるさと切手「近代俳句のふるさと・松山 正岡子規の句 」(右)
柿くへば鐘がなるなり法隆寺 ふるさと切手「近代俳句のふるさと・松山 正岡子規の句 」

法隆寺中門東寄りの池の岸には、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と刻まれた正岡子規の筆蹟の句碑が立っている。1895年(明治28年)10月、正岡子規が故郷の松山から東京への旅の途中で奈良に立ち寄った際、法隆寺の茶店で奈良名産の御所柿を食べていると、西円堂の鐘楼から時を告げる鐘の音が響いた情景を詠んだ句と云われるが、実際は東大寺裏の宿で食べた柿と翌日に訪れた斑鳩の風景を結びつけて詠んだ句との諸説もある。生涯、20万を超える句を詠んだ正岡子規の中で最も有名な句は、「海南新聞」1895年11月8日号に掲載され「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがある。

東京国立博物館 法隆寺宝物館
東京国立博物館法隆寺宝物館

法隆寺に納められた飛鳥・白鳳・天平時代の仏像・仏具は所狭しと展示され、木造建築では世界最古の建築群である七堂伽藍のすべてが国宝に指定され、日本の古建築のすべてが学べる東南アジアで唯一の殿堂である。法隆寺自体が仏教博物館であり、仏教美術館である故、他の神社仏閣を凌駕している。境内の展示に留まらず、東京国立博物館には法隆寺法物館と称する法隆寺献納宝物の展示施設があり、飛鳥時代~奈良時代の貴重な宝物300件余りを収蔵し、正倉院宝物と比肩する古代美術のコレクションを扱い、高い評価を受けている。

法隆寺一般参拝券
法隆寺一般参拝券

法隆寺の拝観料は、2015年1月1日より、22年ぶりに値上げした。少子化の影響で参拝客の多くを占めていた修学旅行生が減少し、一般の観光客も旅行先が多様化し、参拝客は減少の一途を辿った。多くの文化財を抱える寺の維持には、ある程度の浄財が必要と判断したことで値上げに踏み切った。拝観料は大人千円から1500円、小学生500円から750円、団体料金は大人が800円から1200円など、各々1.5倍になった。1993年から据え置かれていた拝観料は2014年9月に値上げ実施を決め、ホームページで告知していた。

修学旅行お土産の定番 法隆寺ペナント
法隆寺ペナント

世界遺産に登録された1993年度までは、法隆寺は年間100万人以上を動員したが、2005年度は60万人に減少。2010年「平城遷都1300年祭」開催で96万人に回復したが、2013年度は再び減少して79万人となった。嘗ては、修学旅行の定番だったが、最近は、沖縄東京ディズニーランドユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどが多いと云う。沖縄への航空輸送量が拡大し、団体の座席確保が安易になったこと、テーマパークは治安が良く、引率が楽で他校と問題を起こす心配も少ないこと、などが理由に挙げられている。

百円札の聖徳太子と夢殿
聖徳太子 百円札

以前の記事『四天王寺の神秘と聖徳太子の謎』でも触れたが、聖徳太子という呼称は後世の作為であり、実際には存在しなかったとする説が実しやかに囁かれ、現在の日本の学校教育では、厩戸皇子(用明天皇の皇子・厩戸王)として取り扱われている。しかも厩戸皇子が聖徳太子と同一人物か否かは疑問視されており、古代史の検証では、厩戸皇子の実績の中で確実だと云えるのは十七条憲法と冠位十二階のみとされている。

聖徳太子の最古の肖像画と伝わる唐本御影
聖徳太子

厩戸皇子は斑鳩宮に住み、法隆寺を建てたのかも知れないが、その後100年近く経過して作られた日本書紀で、藤原不比等らの作り話として、聖徳太子は架空の人物との説が有力視される。聖徳太子の最古の肖像画と伝わる唐本御影も、冠に笏を持った姿は飛鳥時代の人物の服装とは考え難く、肖像画の制作年代は早くとも8世紀(奈良時代)と考えられ、平安時代以降の模本とする説もある。教科書に聖徳太子の名前が記載されなくなり、紙幣も刷新されて久しい。聖徳太子の神通力や霊力が法隆寺の集客力に繋がらないことも無関係ではないのかも知れない。

2010年 平城京遷都 千三百年 JR東海 「うまし うるわし 奈良」キャンペーンポスター
法隆寺poster①法隆寺poster②
法隆寺poster③法隆寺poster④

あまりにも有名な聖徳太子の十七条憲法は、日本書紀では“憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)”とあり、第1条の冒頭には“和を以って貴しと為す”(原文:以和為貴)との言葉がある。意訳すると、互いに和らぎ睦まじく話し合うことで得た合意は、自ずと道理に適い、成し遂げることが出来ることを意味する。それ故、各自が私心を抱かず、協力・協和・協調を重んじ、他と対立することを戒めることが真意と云われる。

(交差法)
斑鳩町 マンホール蓋(交差法)
(平行法)
斑鳩町 マンホール蓋(平行法)

(交差法)
JR法隆寺駅②(交差法)
(平行法)
JR法隆寺駅②(平行法)

聖徳太子が唱えたと伝わる“和を以って貴しと為す”との言葉は、現代に生きる我々にも謙虚に耳を傾けるべき貴重な教訓として受け継がれている。悠久の刻が流れる法隆寺は、日本人の原点へ誘う神秘に満ちている。

法隆寺 西院伽藍 空撮
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広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
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