3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

サクラ・さくら・桜

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今年の春先は天気の悪い日が多く続いたこともあり、気が付けば夫婦で花見に出掛ける機会にも恵まれず、いつもの年とは違う物足りなさを感じていた。咲き誇る桜を観ながら春の陽気を感じたいものだが、雨が降る日が続いたことで、桜の花弁も相当散っているだろうし、4月の第二週目ともなれば、WEBで花見名所の情報を確認しても既に見頃が過ぎて散り始めの場所が多く、関西地区の遅咲きの桜を選りすぐって訪れるしかない。

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都島区東野田町の桜(交差法)
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都島区東野田町の桜(平行法)

関西地区での“遅咲きの桜の名所”の候補地としては、昨年の秋に訪れた京都仁和寺平野神社、昨年、嫁さんと花見に訪れて感銘を受けた奈良の吉野山の奥千本などがあるのだが、時期こそ違うが既に訪れたことがあり、何れの場所も大阪から遠方で、且つ毎年相当な人出が予測されることもあり、遅い時間に現地到着となれば思うように花見を堪能できないかも知れない。

造幣局 桜の通り抜けポスター(左)/造幣局 桜の通り抜けイラストマップ(右)
造幣局 桜の通り抜けポスター 造幣局 桜の通り抜けイラストマップ

考えた挙句、家から最も近い遅咲きの桜の名所でありながら、未だ訪れたことがない“造幣局の桜の通り抜け”に嫁さんと一緒に混雑は覚悟の上で出掛けてみることにした。大阪に春本番を告げる“造幣局の桜の通り抜け”の一般公開は9日から始まり、造幣局の桜はソメイヨシノより開花が遅い八重桜が中心で、遅咲きの品種が多い為、遅めの日程が通例となっており、この日訪れる週末が見頃に達するとのこと。

造幣局 桜の通り抜け 造幣局 桜の通り抜け アクセスマップ

“造幣局の桜の通り抜け”は毎年3月中旬頃に開催日程を決定する。2015年の一般公開期間は9日~15日までの7日間しかなく、この日は期間中唯一の日曜日で久しぶりの晴天ということもあり、多くの人出が予想されるが、自宅から近いという地の利を活かし、土日の“造幣局の桜の通り抜け”入場開聞時間であるAM9:00(※平日はAM10:00)頃を目指して、朝少し早めの時間に出掛けることにした。

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太閤園外観(交差法)
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太閤園外観(平行法)

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大阪城北詰駅出口(交差法)
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大阪城北詰駅出口(平行法)

“造幣局の桜の通り抜け”ルートは、造幣局南側ゲートから北側ゲートへの一方通行となる。長堀鶴見緑地線 京橋駅(通勤路線で定期券があるため)から歩いて、川崎橋付近のスタート地点を目指すことにした。京橋駅出口辺りは人はまばらで、道程途中にある太閤園では、日曜日であるためか結婚式に出席する服装の人を見かける程度だったが、暫く歩いた場所にあるJR東西線 大阪城北詰駅の出口からは、多くの人が湧き出すように現れ出した。

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大阪市公館①(交差法)
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大阪市公館①(平行法)

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大阪市公館②(交差法)
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大阪市公館②(平行法)

更に進んで、リニューアルされた大阪市公館“ザ・ガーデンオリエンタル大阪”では庭園の美しさに思わず目を奪われたが、その先の道を見渡してみると川崎橋方面に向かう人で溢れゾロゾロ歩いている。出来る限り朝の早い時間に行けば、人は少ないだろうと推測したが、考えることは他の人も一緒で、大川沿いに到達してみると想像以上に多くの人が“造幣局の桜の通り抜け”を目指し列を成していた。

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川崎橋(交差法)
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川崎橋(平行法)

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川崎橋到達点(交差法)
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川崎橋到達点(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け 南門(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け 南門(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け①(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け①(平行法)

川崎橋を天満側に渡りきった場所にある造幣局南門(通り抜け入口)付近では、“造幣局の桜の通り抜け”をいち早く見ようと大勢の人でごった返していた。いよいよ“造幣局の桜の通り抜け”をゆっくりと歩み始めると、道端に立つ数多くの係員が拡声器で、撮影などのために立ち止まらぬこと、一方通行なので逆方向に歩かぬこと、桜の花や枝を直接手で触らぬこと、を何度も繰り返し呼びかけている。

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造幣局 桜の通り抜け②(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け②(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け③(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け③(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け④(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け④(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑤(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑤(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑥(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑥(平行法)

人の多さと係員の拡声器の音声ボリュームは気に掛かるのだが、ジワジワと進む中で自然と桜の花を眺めることに注力するようになる。一眼レフのカメラでじっくりと接写する人や桜の木を背景にした記念写真を撮るなど、行列の進行を妨げる人も見受けられたが、係員の執拗なアナウンスが功を奏して、鑑賞マナーが著しく損なわれることもなく、優雅に数多くの様々な種類の桜の興宴を堪能することが出来た。

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造幣局 桜の通り抜け⑦(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑦(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑧(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑧(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑨(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑨(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑩(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑩(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑪(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑪(平行法)

造幣局の所在地である大阪市北区天満の大川沿いは、昔から景勝の地として名高く、春は桜、夏は涼み舟、秋は月見など四季折々の賑わいを見せ、特に春の桜は有名で、対岸を桜ノ宮と称される所以となる。江戸時代には津藩を治める藤堂家の大坂屋敷があった土地で、屋敷内で植栽していた桜樹木約120品種、約400本(2015年現在、132品種、350本)は、1871年(明治4年)この場所に開設された造幣寮(現在の造幣局)へ引き継がれた。

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造幣局 桜の通り抜け⑫(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑫(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑬(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑬(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑭(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑭(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑮(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑮(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑯(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑯(平行法)

1883年(明治16年)に造幣局長の遠藤謹助により「局員だけの花見は勿体無い。大阪市民と共に堪能しようではないか。」として、構内の桜並木の一般公開が始まった。以降、太平洋戦争における大阪大空襲で多くを焼失したが、造幣局職員らの手によって蒐集され多品種の桜並木が復元され、空襲被災の1943年(昭和18年)~1946年(昭和21年)以外は毎年開催され、以前は順路なども無く自由に鑑賞できる催しであった。

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造幣局 桜の通り抜け⑰(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑰(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑱(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑱(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑲(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑲(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け⑳(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け⑳(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け㉑(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉑(平行法)

1967年(昭和42年)見学に訪れた客の転倒によって将棋倒しとなり、女性1名死亡、27名負傷という惨事に見舞われことを境に翌1968年(昭和48年)から川崎橋方向の南門から入場し、桜宮橋方向の北門へ抜ける一方通行であること、見学のみで宴会などは出来ないことから“後戻り出来ない通り抜け”となり、いつしか“通り抜け”という言葉が大阪では“造幣局の桜の通り抜け”を呼称する名称となった。

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造幣局 桜の通り抜け㉒(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉒(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け㉓(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉓(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け㉔(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉔(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け㉖(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉖(平行法)

2011年(平成23年)の東日本大震災に際して、全国的に節電や自粛ムードの中で物議を醸した挙句に内外での開催反対意見を抑え、結果として震災の電力危機を鑑み、“造幣局の桜の通り抜け”は夜桜ライトアップを取り止めた縮小規模で昼間のみ開催された。尚、開催7日間に於いては、被災地区への儀礼金として1000万円余が募金箱へ集まった。

造幣局の桜の通り抜け 夜桜ライトアップ
造幣局の桜の通り抜け 夜桜ライトアップ

130年以上の歴史を誇る“造幣局の桜の通り抜け”は、日本さくら名所100選に選定されるなど、大阪の春の恒例行事として賑わい、大川(旧淀川)沿い全長560mに亘り、関山、普賢象、松月、芝山、楊貴妃、紅手毬、大手毬、小手毬、養老桜など、他では見られない全国各地の貴重な桜が数多く見られる。日没後には風情ある“ぼんぼり”の灯りにより、美しい夜桜が鑑賞できる場所として、毎年、開催期間中に60万人が訪れる。

造幣局 桜の通り抜け① 造幣局 桜の通り抜け②

期間中、造幣局周辺では交通規制が行われ、造幣局構内及び周辺に駐車場は無く、公共交通機関の利用を促される。会場内は火気厳禁、バーベキュー・カラオケ等の禁止、場所取り禁止、ペット持込不可、飲食禁止、禁煙となる。日本の硬貨を製造している施設なので通常は一般客の入場は厳しく制限され、普段は立ち入り禁止で事前予約なしでは工場内の見学は不可なのだが、桜の開花時期だけは誰でも局内の桜を鑑賞することが出来るのである。

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造幣局 桜の通り抜け 今年の花 一葉①(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け 今年の花 一葉①(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け 今年の花 一葉②(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け 今年の花 一葉②(平行法)

桜の品種はソメイヨシノが特に著名だが、1975年(昭和50年)より、毎年一品種を“今年の花”として紹介するのが恒例となっている。2015年の“今年の花”には、東京荒川堤にあった“一葉(いちよう)”が選ばれ、花弁が25枚もある豪華な花姿に注目が集まった。花の中心部から葉の形に変化した雌しべが突き出ることから名付けられ、満開になった時には白く見えるのが特徴である。

平成27年 桜の通り抜け貨幣セット
平成27年桜の通り抜け貨幣セット

造幣局では記念として、“桜の通り抜け貨幣セット”(税込1,850円)を販売しており、平成27年銘の未使用の5百円から1円までの6種類の通常貨幣と、純銀製の年銘板1枚をケ-スに収納し、カバーケースに2015年の桜の通り抜けの“今年の花 一葉”及び桜の通り抜けの風景か画かれ、裏面に“今年の花”及び“桜の通り抜け”についての説明が記されている。“造幣局の桜の通り抜け”と併せて、限定貨幣セットの購入を毎年楽しみに訪れるマニアも多い。

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造幣局 旧正門(交差法)
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造幣局 旧正門(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け㉕(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉕(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け㉗(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉗(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け㉘(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉘(平行法)

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造幣局 桜の通り抜け㉙(交差法)
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造幣局 桜の通り抜け㉙(平行法)

ゆっくりと桜を堪能して歩きながらも全長560mほどの距離なので、一時間も掛からず桜宮橋方向の北門(通り抜け出口)に到達した。逆方向には進めないので、このまま国道1号線側に進むか、大川沿い側の造幣局構外に屋台が出店している場所を目指すしかないのだが、さすがに朝早い時間帯だったので、屋台で何かを食べたいという欲求が湧き上がらず、国道1号線を横断して写真撮影を続けることにした。

『浪花川崎鋳造場の風景』 長谷川小信 1871年(明治4年)
浪花川崎鋳造場の風景 長谷川小信 1872年(明治4年)

『浪花名所之内川崎造幣局』 狩野秀源貞信 1877年(明治10年)
浪花名所之内川崎造幣局 狩野秀源貞信 1877年(明治10年)

大川の淀川からの分派点となる毛馬から下流の天満橋までの約4.2kmには、桜並木で有名な毛馬桜宮公園が続く。国道1号線に架かる桜宮橋西詰にある造幣局と泉布観地区は、明治時代の近代建築の黎明期の建造物が現存しており、全国でも最も古い洋風建築とされ、明治初期の浮世絵作品に於いては、その崇高な様相を窺い知ることができる。敷地内で国の重要文化財である泉布観や旧桜宮公会堂(旧明治天皇記念館正面玄関)などの佇まいは、昔から高雅な癒しを呈する場所として大阪の人々に崇められてきた。

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泉布観(交差法)
(平行法)
泉布観(平行法)

明治維新後、新政府は新たな貨幣制度の基盤となる統一貨幣の鋳造所として、大阪に我国初となる近代設備を整えた造幣寮(現在の造幣局)を造る事を決定した。泉布観は、1871年(明治5年)創業の造幣寮の応接所として、英国人技師トーマス・ウォートルスの設計により造られた。翌年に明治天皇が行幸で造幣寮を初めて訪れてここに宿泊された際、貨幣を意味する“泉布”と館を意味する“観”より、明治天皇が自ら泉布観と命名した。

明治時代の泉布観地区の模型
泉布観模型

泉布観の建築物としての特徴は、ヴェランダ・コロニアル様式の2階建ての総煉瓦造りで、漆喰塗りの白い壁が美しい。明治天皇は造幣寮を重要視されて三度も訪れており、泉布観は、皇族や外国の要人・貴人の接待や宿泊も数多く迎えた。1917年(大正6年)には大阪市に移管され、1956年(昭和31年)洋風建築としては全国に先駆けて、国の重要文化財に指定された。

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旧桜宮公会堂(交差法)
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旧桜宮公会堂(平行法)

ローマ神殿風の重厚な石造りの旧桜宮公会堂は、1935年(昭和10年)明治天皇記念館として建てられ、正面玄関は旧造幣寮鋳造所の正面玄関が移築された。ローマ時代のトスカーナ式の建築様式として竜山石を使った玄関ポーチに6本の列柱があり、玄関戸の両脇には円形状(アーチ型)の窓が配され、重厚感溢れる歴史的建築物である。旧造幣寮は1927年(昭和2年)老朽化のため取り壊されたが正面玄関の石材は保存された。

泉布観地区再生計画イメージ
泉布観地区再生イメージ図 泉布観地区一般開放イメージ図

太平洋戦争後の1948年(昭和23年)明治天皇記念館から桜宮公会堂に名称変更された。1950年(昭和25年)から2階部分のみ大阪市立図書館となり、1956年(昭和31年)隣接する泉布観とともに国の重要文化財に指定された。1980年(昭和55年)桜宮図書館廃館後、1984年(昭和59年)から2007年(平成19年)までユースアートギャラリーとして使用された。

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新桜宮橋・桜宮橋(交差法)
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新桜宮橋・桜宮橋(平行法)

建造中の新桜宮橋と桜宮橋
建造中の新桜宮橋

2013年(平成25年)民間事業者によりブライダルもできるパーティレストランとなり、旧桜宮公会堂と併せて癒しの空間としてリニューアルされた。創業当時のガス灯や樹齢100年以上の藤の木が咲く藤棚や、敷地内には明治天皇御上陸所の石碑など、明治時代から継承されている。大川に架かる桜宮橋は、“銀橋”と呼ばれ、地元では通称の方が馴染みがある。渋滞緩和を目的とし2006年(平成18年)には新桜宮橋が併設された。

大川沿いMAP
大川沿いMAP

国道1号線から見る景色は梅田にもすぐ到達できそうな距離にも感じられ、晴天で心地良くまだまだ午前中の早い時間帯でもっと距離を歩きたくなり、折角の機会なので、この場所から大阪天満宮を目指して進んでみることにした。暫く直進するとJR東西線 大阪天満宮駅と地下鉄 南森町駅の間に天神橋筋2丁目のアーケードが見えてくる筈で、天神橋筋商店街を通過して大阪天満宮に向かうコースを選ぶことにした。

立版古「天満青物市」
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浪花まちめぐり立版古「天満青物市」(交差法)
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浪花まちめぐり立版古「天満青物市」(平行法)

天神橋筋商店街は、南北2.6km、約600店舗も軒を並べる日本一長い商店街である。大阪天満宮の参道は門前町として栄え、江戸時代に天下の台所として主要な役割を果たす天満青物市場に船で卸に来た近畿一円の人々は、十丁目筋(現在の天神橋筋商店街)で買い物を楽しむようになり、その賑わいが商店街として発展した。

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天神橋筋商店街①(交差法)
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天神橋筋商店街①(平行法)

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天神橋筋商店街②(交差法)
(平行法)
天神橋筋商店街②(平行法)

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天神橋筋商店街③(交差法)
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天神橋筋商店街③(平行法)

アーケード入口では天神祭の船渡御で御神霊を出迎えるリアルな形状の“お迎え人形”4体が文字通り出迎えてくれる。アーケード内に飾られた鳥居は、南側から順に真朱(まそほ)、桔梗(ききょう)、浅葱(あさぎ)、萌葱(もえぎ)と日本の古来の4色で彩られ、大阪天満宮の表参道をイメージさせる装飾となっている。

天神橋筋商店街ぶらりマップ
天神橋筋商店街ぶらりマップ

商店街には約600軒の店が軒を並べ、安くておいしい食べ物から安い掘り出し物まで、大阪人の心意気を感じるお店が立ち並び、寿司屋の激戦区としても知られ、五感を満足させてくれる。夫婦橋の石碑や夫婦円満に後利益のある夫婦橋地蔵尊もあり、端から端まで商店街を完歩すると満歩状が貰えるなど、ブラブラと散策も楽しめる。テレビで街頭インタビューされる豹柄を纏ったコテコテの大阪のおばちゃんが実在することを認識できるかも知れない。

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大阪天満宮①(交差法)
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大阪天満宮①(平行法)

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大阪天満宮②(交差法)
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大阪天満宮②(平行法)

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大阪天満宮③(交差法)
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大阪天満宮③(平行法)

大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけで七度もの火災に遭い、1724年(享保9年)大坂の街を焼き尽くした妙知焼けや、1837年(天保8年)大塩平八郎の乱による大火では全焼し、1843年(天保14年)大坂の氏子や献身的な奉仕者により現在のご本殿が再建された。大坂町人の信仰と遊興の中心地として発展し、年末年始や受験、梅見のシーズンには、多くの参拝者で賑わう。梅花殿・神楽所・参集所は、国の登録文化財に指定されている。

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大阪天満宮④(交差法)
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大阪天満宮④(平行法)

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大阪天満宮⑤(交差法)
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大阪天満宮⑤(平行法)

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大阪天満宮⑥(交差法)
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大阪天満宮⑥(平行法)

学問の神様で有名な菅原道真公を主祭神に祭る大阪天満宮の創始(御鎮座)は、平安時代中期に遡り、901年(延喜元年)藤原時平の策略により九州太宰府の太宰権帥に左遷される途中、現在の天満宮の境内にある大将軍社に立ち寄って参拝したことが起源とされ、道真公は2年後僅か59歳で生涯を閉じた。949年(天暦3年)或る夜、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎に金色の霊光を放ったとされ、村上天皇は道真公に縁の奇端として同地に勅命を以て鎮座された。

『諸国名橋奇覧 摂州天神橋』 葛飾北斎(左)/現在の大阪天神祭(右)
諸国名橋奇覧 摂州天神橋 葛飾北斎 天神祭

951年(天暦5年)社頭から流した神鉾が着いた浜での禊(みそぎ)の神事が天神祭の始まりとされ、神領民や崇敬者が船を仕立てて奉迎したとされる。浪速の繁栄を祈願して道真公を慰霊する大阪天神祭は千年以上の歴史を誇り、豊臣秀吉が大阪城を築いた頃は船渡御は100隻を超えるほど隆盛を極めた。政変や戦争による中断もあったが、1949年(昭和24年)船渡御の復活、1953年(昭和28年)大川を遡航、として現在の形になる。東京・神田祭京都・祇園祭とともに日本三大祭りの一つとされ、毎年130万人が訪れる夏の都市大祭である。

大阪歴史博物館 ロゴ

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大阪歴史博物館外観(交差法)
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大阪歴史博物館外観(平行法)

“キッカケ”は春には欠かせない彩である桜の花見たさから始まり、こうして初めての場所を訪れてみると様々な発見がある。特に今回は自宅から近い場所であったので、“今さらながら”の散策だった筈が、以前、大阪歴史博物館を訪ねた際の展示内容に関する大阪の歴史が、少しずつ頭の中で繋がってくる。太古の上町台地の北端に位置する地域で、この日に訪れた造幣局の桜、黎明期建造物の泉布観、繁栄祈願の大阪天満宮、其々、時代の息吹が感じられ、大阪の歴史と神秘への興味が益々深まっていくのである。
上町台地
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忠臣蔵のふるさと 赤穂探訪記

Edit Category 3Dカメラ
私が勤める会社では決算最終月には職種上の休日出勤があり、花見にはまだ早い三月中旬に代休を取得し、”忠臣蔵のふるさと”或いは”塩のまち”として知られる兵庫県赤穂市を嫁さんと訪れた。赤穂市は、清流千種川が街の中央を流れ、波穏やかな瀬戸内海を南に抱く風光明媚な街として親しまれ、 豊かな自然と歴史、文化に育まれ、以前から興味を抱いた場所でもある。故郷の広島の牡蠣も有名だが、赤穂市も牡蠣の名産地として知られており、食の楽しみもある。

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明石海峡大橋(交差法)
(平行法)
明石海峡大橋(平行法)

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姫路城(交差法)
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姫路城(平行法)

赤穂市は兵庫と岡山の県境に近く、大阪からは結構距離があるので、在来線でのアクセスでは市内を巡る時間が無くなることを恐れ、思い切って新幹線を利用することにした。相生停車の新幹線の便は比較的少ないのだが、幸運にも新大阪駅に到着して殆ど待ち時間なく発車する便に乗り、途中、明石海峡大橋やリニューアルされ白漆喰総塗籠造の真っ白な外観が話題になっている姫路城を眺めながら相生駅に到着し、JR赤穂線に乗り換えて播州赤穂駅に到着した。

播州赤穂への路線図
播州赤穂アクセス

播州赤穂駅の構内には赤穂観光協会が運営している観光情報センターがあり、花岳寺大石神社歴史博物館田淵記念館民族資料館海洋科学館の6つの施設に1回入場(1年間有効)することができる赤穂観光パスポート「通りゃんせ」(1000円)を購入し、レンタサイクル(200円)で赤穂市内を巡ることにした。「通りゃんせ」は通常の入場料金よりお得で、六ヶ所すべてを巡れば記念品が貰えるとのこと。赤穂市の観光への注力が感じられ、市内探訪への期待が膨らんだ。

赤穂市位置図(左)/赤穂市街MAP(右)
兵庫県赤穂市位置図 赤穂市街MAP
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赤穂市は前出の通り兵庫県南西端、播磨灘に臨む地域にあり、赤穂町、坂越町、高雄村が合併して1951年(昭和26年)に市制施行し、1955年(昭和30年)有年村を編入するなどの経緯で赤穂市が誕生した。赤穂の地名は、一説に赤い穂のタデが自生することに因んだと云われている。JR赤穂線、山陽自動車道、国道2号、250号、373号が通じ、市の北東端にJR山陽本線有年駅がある。市域を千種川が北から南に貫流、集落は主として千種川流域に分布し、中心市街地はデルタ上に立地する。臨海部は岩石海岸と砂浜海岸が交錯して白砂青松が点在し、景勝地の赤穂御崎から坂越に至る地域は瀬戸内海国立公園に含まれる。

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播州赤穂駅前(交差法)
(平行法)
播州赤穂駅前(平行法)

天正年間(1573~1592年)備前(岡山県)の宇喜多秀家が家臣の津浪法印に統治させ、慶長年間(1596~1615年)に姫路城主池田輝政の弟長政が一重の城を築く。1645年(正保2年)浅野長直が5万3000石余で常陸(茨城県)から入部して城下町を完成し塩田も開発された。長直は1671年(寛文11年)隠居し、その子長友が継いだが4年後に死去、長友の子長矩が跡を継いだ。長矩は1680年(延宝8年)藩財政の窮乏を救う策として家老大野九郎兵衛のもとで初めて藩札の発行を行い、1687年(貞享4年)には本丸に東西5間南北58間の馬場、二之丸に東西5間南北78間の馬場を築いた。1690年(元禄3年)中洲の馬場を城西の片原町侍屋敷の西に移し、1694年(元禄7年)備中松山城請取りを行なった。長矩時代、特に1700年前後が赤穂城下町隆盛のピークであった云われている。

「仮名手本忠臣蔵 十一段目」歌川国芳
「仮名手本忠臣蔵 十一段目」歌川国芳
大石氏の家紋(左)と浅野氏の家紋(右)
大石氏の家紋と浅野氏の家紋

1701年(元禄14年)浅野長矩の江戸城内での刃傷の雪辱を果たすべく、大石内蔵助良雄率いる旧赤穂藩士四十七名によって吉良上野介義央を討ち、翌年2月4日、幕府の命により切腹、泉岳寺に葬られた。浅野家は改易となり、後に永井氏、森氏と続いたが、”忠臣蔵”として知られる赤穂浪士の敵討ちは「仮名手本忠臣蔵」として、浄瑠璃、歌舞伎、実録本などで語り継がれてきた。忠臣蔵ストーリーの原点は単に仇討ちということだけではなく、江戸幕府に対する想いが赤穂義士たちの義憤、公憤として形に現われたものであり、四十七士達の怒りの行動は、江戸時代において一般大衆を魅了し、後世まで語り継がれる赤穂の大きな財産“忠臣蔵”になった。


忠臣蔵

江戸時代以降の赤穂は塩業の町として発展したが、1967年(昭和42年)イオン交換樹脂膜法による化学製塩法が始まり塩田は工業用地や宅地へ転用された。明治以来、紡績、製薬、製網、耐火煉瓦、セメント、電機の諸工業が立地し、播磨工業地域の一角を形成し、西播磨テクノポリスの副母都市ともなっている。赤穂城跡、大石良雄宅跡、花岳寺、大石神社など赤穂義士にかかわる寺社・旧跡が多い。坂越の沖合に浮かぶ生島は暖帯性広葉樹に覆われ、生島樹林として国の天然記念物に指定されている。

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息継ぎ井戸(交差法)
(平行法)
息継ぎ井戸(平行法)

JR播州赤穂駅から自転車で颯爽と出発した。レンタルサイクルはいわゆる“ママチャリ”なのだが、道路が広くて走りやすく気持ちが良い。暫くすると“みなと銀行赤穂支店南側広場”(いきつぎ広場)にある息継ぎ井戸が見えてきた。この息継ぎ井戸は、早水藤左衛門、萱野三平の両名が、早かごで主君刃傷の凶報をもって江戸より駆けつけた際、この井戸で一息ついて城内の大石内蔵助邸へ入ったと云われている。敷地内にはからくり時計「義士あんどん」もあり、花岳寺への案内札もあるので判り易い。早速、自転車を停めて花岳寺を訪れることにした。

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花岳寺 山門(交差法)
(平行法)
花岳寺 山門(平行法)

花岳寺は、本尊は千手観世音菩薩、釈迦如来で、浅野長直が常陸国笠間から赤穂へ所替えになったとき、浅野家の菩提寺として1645年(正保2年)に建立され、元禄事件後はその後の藩主永井氏・森氏の菩提寺として続いた。小さなお寺だが歴史を物語る風景が滲み出ており、浅野家と義士に関する貴重な資料を展示する宝物館、千手観音尊像、四十七士の彫像を安置する義士木像堂、義士墓所があり、墓所には大石内蔵助良雄の祖先墓、赤穂義士の遺髪を祀った義士墓もあるなど元禄の昔日を彷彿させる史跡地である。

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花岳寺 本堂(交差法)
(平行法)
花岳寺 本堂(平行法)

花岳寺の山門は赤穂城の塩屋総門を明治元年にこの場所に移設されたものと云われ、元禄時代を偲ぶ数少ない建物として赤穂市文化財に指定されている。山門の額には花岳寺の山号である臺雲山と書かれてある。山門を潜り静寂の中、境内に進んだ。参拝受付で「通りゃんせ」にスタンプを押印してもらい、受付の方から花岳寺境内の丁寧な案内説明を受けた。その説明の中で、奇しくも赤穂市を訪れたこの日は、浅野長矩の命日(3月14日)を翌日に控えていたことを知らされた。尚、命日には毎年、大石神社ではご命日祭 花岳寺では長矩公(冷光院殿)忌法要・先祖追福供養が行われるとのこと。

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花岳寺 坐禅堂(交差法)
(平行法)
花岳寺 坐禅堂(平行法)

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花岳寺 鳴らずの鐘(交差法)
(平行法)
花岳寺 鳴らずの鐘(平行法)

大石名残の松の東側に鐘楼があり、そこに“鳴らずの鐘”が架かっている。元々の鐘は二代目藩主浅野長友の鋳造と云われ、三代目藩主浅野長矩の刃傷事件後、1702(元禄15)年の四十七士の討ち入り、翌年の切腹と続く。この悲報に接した人々は寺に集まり、冥福を祈りこの鐘を打ち続け、あまりにも撞きすぎたため、以来この鐘は鳴らなくなってしまい、1797年(寛政9年)に再鋳造されるまで鐘が鳴ることはなかったことが「鳴らずの鐘」と云われる由来とされている。現存の鐘は再鋳造されたものなので撞けば鳴るのだが、この鐘は太平洋戦争中も赤穂義士との由緒が深いとの理由から供出を免除された経緯がある。

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花岳寺 本堂 天井の大額「竹に虎」(交差法)
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花岳寺 本堂 天井の大額「竹に虎」(平行法)

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花岳寺 本堂 賓頭盧尊者(交差法)
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花岳寺 本堂 賓頭盧尊者(平行法)

本堂に入った直ぐの天井に「天井絵」が描かれ四六時中睨みを利かせている。この「竹に虎」はもともと五月節句の幟として描かれた絵であり、1854年(安政元年)寅年に、赤穂出身の法橋義信が1962年(昭和37年)65歳の時に花岳寺開山禅師300回忌を記念して描かれ御子孫から寄進された。カメラのフレームになかなか収まらないほど巨大な天井絵は、上向きに撮影した絵と下向きに撮影した絵の様相が違ってくる。一方、本堂入口奥の賓頭盧尊者像は長年の風雨に晒され、ミイラのような様相で不気味な感じが漂う。

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花岳寺 報恩堂(交差法)
(平行法)
花岳寺 報恩堂(平行法)

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花岳寺 忠義塚①(交差法)
(平行法)
花岳寺 忠義塚①(平行法)

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花岳寺 忠義塚②(交差法)
(平行法)
花岳寺 忠義塚②(平行法)

拝観受付の西側に入口があり、入ると直ぐの所に忠義塚があり、その奥に赤穂義士の墓、「義士墓」の並んだ一角がある。泉岳寺の墓には四十七士の遺骨があるが、ここには遺髪が納められている。墓所の中央部に三基の墓がある。中央の最も大きな墓は主君の浅野内匠頭長矩公、その右には大石内蔵助良雄、左には大石主税良金の墓が置かれ、周囲に塀に沿って右側から格式の順に四十五人の墓がコの字形に並んでいる。これらの墓は、1739年(元文4年)義士三十七回忌に赤穂の有志によって建立された。

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花岳寺 義士墓所(交差法)
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花岳寺 義士墓所(平行法)

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花岳寺 義士墓所 浅野内匠頭長矩公遺髪墓(交差法)
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花岳寺 義士墓所 浅野内匠頭長矩公遺髪墓(平行法)

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花岳寺 義士墓所 大石内蔵助良雄遺髪墓(交差法)
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花岳寺 義士墓所 大石内蔵助良雄遺髪墓(平行法)

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花岳寺 義士墓所 大石主税良金遺髪墓(交差法)
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花岳寺 義士墓所 大石主税良金遺髪墓(平行法)

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花岳寺 義士墓所 遺髪墓①(交差法)
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花岳寺 義士墓所 遺髪墓①(平行法)

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花岳寺 義士墓所 遺髪墓②(交差法)
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花岳寺 義士墓所 遺髪墓②(平行法)

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花岳寺 義士墓所 遺髪墓③(交差法)
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花岳寺 義士墓所 遺髪墓③(平行法)

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花岳寺 森家の墓(交差法)
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花岳寺 森家の墓(平行法)

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花岳寺 中国大理石観音像(交差法)
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花岳寺 中国大理石観音像(平行法)

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花岳寺 浅野家霊廟(交差法)
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花岳寺 浅野家霊廟(平行法)

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花岳寺 浅野家霊廟の狛犬(交差法)
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花岳寺 浅野家霊廟の狛犬(平行法)

忠義塚の北側に浅野家廟所が建っている。1918年(大正7年)に赤穂浅野家の本家筋にあたる広島の浅野家の寄進により建てられたとされている。廟所中央には初代赤穂藩主、浅野長直の木像が祀られ、その横に、赤穂の代々の藩主をつとめた浅野家の人々の像、それに赤穂四十七士の位牌などが祀られているようである。浅野長矩の勅使接待の大任の労苦を慰めるべく、大石内蔵助は赤穂にあって遙かに茶を点じ、まさに献じようとした時、突然釜の縁が離れ、四日半後に江戸での凶報が届き、縁(扶持)が離れた事を知った大石内蔵助が花岳寺に納めて冥福を祈ったとされ、凶変を予感した伝説として赤穂七不思議の一つとされる。

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赤穂市加里屋「かましま」(交差法)
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赤穂市加里屋「かましま」(平行法)

花岳寺を出て昼食を摂ることにした。花岳寺通商店街を抜けて目当ての店を探した。赤穂は牡蠣を求めて遠方から訪れる人も多く名物となっている。牡蠣養殖・業務用卸・小売販売を営む坂越の鎌島水産の直営店で、極上の牡蠣が味わえるお食事処&オイスターBAR 「かましま」は一年を通してリーズナブルな価格で牡蠣が食べられる漁師料理のお店である。少々順番待ちとなったが、忠臣蔵御膳(1620円)は、オイスター蒲焼丼+生牡蠣+焼き牡蠣+牡蠣フライ+サラダ+牡蠣味噌汁+デザートのセットはお得感があり、昼食として程好い“牡蠣尽くし”を堪能することが出来た。

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赤穂城跡 隅櫓と大手門(交差法)
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赤穂城跡 隅櫓と大手門(平行法)

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赤穂大石神社 外観(交差法)
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赤穂大石神社 外観(平行法)

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赤穂大石神社 東側の鳥居(交差法)
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赤穂大石神社 東側の鳥居(平行法)

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赤穂大石神社 参道の鳥居から神門(交差法)
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赤穂大石神社 参道の鳥居から神門(平行法)

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赤穂大石神社 大石内蔵助像(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助像(平行法)

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赤穂大石神社 義芳門(交差法)
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赤穂大石神社 義芳門(平行法)

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赤穂大石神社 参道から拝殿(交差法)
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赤穂大石神社 参道から拝殿(平行法)

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赤穂大石神社 拝殿(交差法)
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赤穂大石神社 拝殿(平行法)

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赤穂大石神社 社殿(交差法)
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赤穂大石神社 社殿(平行法)

昼食後、赤穂城内大手門近くにあった大石内蔵助の屋敷跡に境内がある大石神社を訪れた。大石神社は大石内蔵助良雄以下四十七士を主神とし、萱野三平(仮名手本忠臣蔵の早野勘平)を併せ祀る。江戸時代には幕府に憚かって表立って顕彰できなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、1900年(明治33年)に創建の議が起こり、1910年(明治43年)起工、1913年(大正2年)に社殿が完成し、1928年(昭和3年)には無格社から県社に昇格した。第二次世界大戦後には、城内の神社に祀られていた赤穂藩主浅野家の三代(長直・長友・長矩)及び、城外の赤穂神社に祀られていた森家の遠祖の七武将(森可成、森可隆、森長可、森成利、森長隆、森長氏、森忠政)を合祀した。

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赤穂大石神社 義士宝物殿①(交差法)
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赤穂大石神社 義士宝物殿①(平行法)

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赤穂大石神社 義士宝物殿②(交差法)
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赤穂大石神社 義士宝物殿②(平行法)

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赤穂大石神社 義士宝物殿③(交差法)
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赤穂大石神社 義士宝物殿③(平行法)

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赤穂大石神社 義士宝物殿④(交差法)
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赤穂大石神社 義士宝物殿④(平行法)

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赤穂大石神社 義士木像奉安殿 浅野内匠頭長矩公尊像(交差法)
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赤穂大石神社 義士木像奉安殿 浅野内匠頭長矩公尊像(平行法)

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赤穂大石神社 義士木像奉安殿 大石内蔵助良雄尊像(交差法)
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赤穂大石神社 義士木像奉安殿 大石内蔵助良雄尊像(平行法)

「四十七人の刺客」映画ポスター(左)/大石神社に参拝する高倉健(右)
四十七人の刺客 大石神社に参拝する高倉健

境内には国指定史跡の大石内蔵助宅跡長屋門や庭園、義士ゆかりの武具・書画を展示している義士宝物殿がある。また、義士木像奉安殿の木像は、義士切腹から満250年の大祭を記念して、浅野内匠頭長矩公尊像は平櫛田中に大石内蔵助良雄尊像は山崎朝雲にと当代超一流の彫刻家によって製作された。忠臣蔵を描いた映画も多数の作品が制作されたこともあり、大石神社を訪れ参拝した俳優も数多い。池宮彰一郎のデビュー作で新田次郎文学賞に輝く「四十七人の刺客」が、東宝の威信を賭けた「日本映画誕生100周年記念作品」として、1994年(平成6年)市川崑監督により映画化され、昨年惜しまれながら他界した大石内蔵助役の高倉健も大石神社を参拝している。12月14日の義士祭には、赤穂四十七士に扮した行列が練り歩くなどの行事がある。

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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址庭園①(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址庭園①(平行法)

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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址庭園②(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址庭園②(平行法)

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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址庭園③(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址庭園③(平行法)

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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址①(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址①(平行法)

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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址②(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址②(平行法)

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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址③(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址③(平行法)

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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址④(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址④(平行法)

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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址⑤(交差法)
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赤穂大石神社 大石内蔵助邸址⑤(平行法)

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赤穂大石神社からの隅櫓(交差法)
(平行法)
赤穂大石神社からの隅櫓(平行法)

大石神社内にある大石内蔵助の邸宅跡には、見事な庭園があり、長屋門内には、刃傷事件の知らせを持って参上した早水藤左衛門、萱野三平、その内容を読む内蔵助、主税父子の姿をリアルに再現した人形も展示されていた。浅野内匠頭の刃傷事件の際、その知らせを持って早籠で駆けつけた早水藤左衛門、萱野三平が実際に叩いたのもこの門である。1729年(享保14年)建物の大半が火災に遭うが、長屋門だけが焼失を免れ、その後建て替え等を経て城内に残された数少ない江戸時代の建造物として非常に価値の高く、人気の記念写真スポットとなっている。

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赤穂大石神社 遠景(交差法)
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赤穂大石神社 遠景(平行法)

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赤穂市立歴史博物館①(交差法)
(平行法)
赤穂市立歴史博物館①(平行法)

赤穂市立歴史博物館は城内の米蔵があった場所に建てられ、建物の西側外観は5連の白壁土蔵を模しており、米蔵を再現したものである。赤穂に関する歴史資料の収集、保管、調査研究および公開による文化の振興と発信の拠点を目指して、1989年(平成元年)に設立された。“塩と義士の館”を愛称とする赤穂浪士と塩をメインテーマとする史学系博物館である。

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赤穂市立歴史博物館②(交差法)
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赤穂市立歴史博物館②(平行法)

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赤穂市立歴史博物館③(交差法)
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赤穂市立歴史博物館③(平行法)

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赤穂市立歴史博物館④(交差法)
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赤穂市立歴史博物館④(平行法)

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赤穂市立歴史博物館⑤(交差法)
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赤穂市立歴史博物館⑤(平行法)

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赤穂市立歴史博物館⑥(交差法)
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赤穂市立歴史博物館⑥(平行法)

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赤穂市立歴史博物館⑦(交差法)
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赤穂市立歴史博物館⑦(平行法)

常設展示として一階に国指定重要有形民俗文化財の製塩用具や塩廻船の復元模型船を中心にした「赤穂の塩」、二階にジオラマ模型・絵図・出土遺物等による「赤穂の城と城下町」、忠実と文化の両面側からとらえた「赤穂義士」、出土遺物・映像等で説明する「旧赤穂上水道」の4つのテーマとして郷土の歴史資料が多数展示され、塩づくりと城下町としての歴史を系統的に見ることができる。他にも忠臣蔵の義士の浮世絵も数多く収蔵され、赤穂の歴史に関する貴重な史料が展示されている。

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赤穂市立民族資料館①(交差法)
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赤穂市立民族資料館①(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑰(交差法)
(平行法)
赤穂市立民族資料館⑰(平行法)

城内から少し離れた場所にある赤穂市立民俗資料館は、1908年(明治41年)に建設された日本最古の塩務局庁舎である旧大蔵省赤穂塩務局庁舎および塩倉庫、文書庫の保存と再生利用を主たる目的として設立された。 明治の洋風建築史上において特異な建造物として大変重要な建造物として兵庫県重要有形文化財指定を受けている。

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赤穂市立民族資料館⑦(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑦(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑧(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑧(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑨(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑨(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑩(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑩(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑪(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑪(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑫(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑫(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑬(交差法)
(平行法)
赤穂市立民族資料館⑬(平行法)

入館すると吹き抜けのホールがあり、一階は塩勤局当時は事務室として利用され、天井にはメダイヨン(フランス語で「大型メダル」の意味)と称する円形状の壁面装飾が2ヵ所に施されている。螺旋状の階段で二階に上がると、柱のない部屋の左右には、向き合った形で壁の上部から水平に突き出したハンマービームと呼ばれる梁が支えている。

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赤穂市立民族資料館⑭(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑭(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑮(交差法)
(平行法)
赤穂市立民族資料館⑮(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑯(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑯(平行法)

館内では江戸時代から昭和期までの生活雑貨や祭事用具、美術工芸品や鉄兜などの戦時資料に至るまで、多種多数の民俗資料を展示し、当時の人々の生活を紹介している。約8000点余りの展示・所蔵品は赤穂市民等から寄贈されたもので、江戸時代から昭和初期頃の赤穂で使われた日常生活用具、農耕道具などの民俗資料を展示している。

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赤穂市立民族資料館②(交差法)
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赤穂市立民族資料館②(平行法)

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赤穂市立民族資料館④(交差法)
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赤穂市立民族資料館④(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑤(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑤(平行法)

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赤穂市立民族資料館⑥(交差法)
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赤穂市立民族資料館⑥(平行法)

訪れたこの日は、お雛さま展が催され、数多くの雛人形が一階フロアに展示されていた。少々異様な雰囲気に圧倒されながら、昆布茶とちょっとした和菓子のサービスと併せて資料館紹介のDVDを見せて戴けた。その後少しずつ展示品を観て廻ったが、何気に懐かしいモノが多くて、想像以上に興味深い展示物であった。一方、我々夫婦が訪れた際は他の来訪者は居なかったが、閑静な場所にある洋風建築で多くの時間を一人で過ごす受付係の人はきっと何とも言えない淋しさを感じているかも知れない、と余計な想像が過ぎった。

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赤穂城跡 本丸門①(交差法)
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赤穂城跡 本丸門①(平行法)

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赤穂城跡 本丸門③(交差法)
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赤穂城跡 本丸門③(平行法)

赤穂市立民俗資料館を出て再び赤穂城跡に戻り、赤穂城跡本丸門近くに自転車を停めて本丸庭園に進んだ。驚くことに我々夫婦以外は他に誰も居らず、広い庭園を独占状態であった。赤穂城は、千種川が播磨灘に注ぐ海岸近くの右岸に位置し、三方は山に囲まれて南は瀬戸内海に面しており、清水門の南にある船入は船が出入りできるようになっていたとのこと。本丸を同心円状に囲む二之丸があり、その北側に三之丸が配された近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城である。

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赤穂城跡 本丸御殿①(交差法)
(平行法)
赤穂城跡 本丸御殿①(平行法)

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赤穂城跡 本丸御殿②(交差法)
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赤穂城跡 本丸御殿②(平行法)

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赤穂城跡 本丸御殿③(交差法)
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赤穂城跡 本丸御殿③(平行法)

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赤穂城跡 本丸御殿④(交差法)
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赤穂城跡 本丸御殿④(平行法)

義士祭での赤穂城 幻の天守閣のライトアップ
幻の赤穂城天守

本丸には五層の天守が建てられる予定で、規模の大きい天守台の石垣が残っているが、実際には築かれなかった。現在では櫓のある本丸門、厩口門が復元され、本丸御殿の跡も示され、三之丸の大手門・隅櫓も復元された。1971年(昭和46年)に国の史跡に指定され、本丸庭園と二之丸庭園が2002年(平成14年)に国の名勝に指定された。2006年(平成18年)には、公益財団法人 日本城郭協会「日本100名城」に選ばれた。本丸内には刃傷事件後に大石内蔵助らが大定評に集まった御殿の間取りが復元されており、天守台からは本丸内のみならず広々とした赤穂の風景が眺めることができる。

赤穂城跡見取図
赤穂城跡見取図

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赤穂城跡 本丸門④(交差法)
(平行法)
赤穂城跡 本丸門④(平行法)

江戸幕府開府以来50年が経ってからの築城ながら、銃砲撃戦を意識した設計となっており、十字砲火が可能なように稜堡に良く似た横矢掛かりが数多く用いられ、複雑に折れ曲がった石垣や角度を変える門に特徴がある。もとは15世紀に岡氏が築いた加里屋城があり、1600年(慶長5年)に姫路藩主池田輝政の弟、長政が赤穂領主となり、赤穂城の前身である陣屋形式の大鷹城を築いた。その後、池田輝興の突然の発狂により赤穂池田藩改易となり、笠間藩主であった浅野長直が赤穂に入り、1648年(慶安元年)に築城が開始された。

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赤穂城跡 山鹿素行銅像(交差法)
(平行法)
赤穂城跡 山鹿素行銅像(平行法)

設計は家老で甲州流兵学者として軍学師範の近藤正純が行い、著名な軍学者であり、浅野長直に招聘されて江戸の藩士に兵学を指南した山鹿素行の意見も取り入れられ、13年の歳月を経て築かれた。山鹿素行は官学である朱子学を批判したことで赤穂藩へ配流の身となり、そこで赤穂藩士の精神を育てたと云われる。他にも吉田松陰、乃木希典など多くの信奉者を得て、後の日本に大きな影響を与えた。山鹿素行像は1925年(大正14年)に大石頼母屋敷跡に建立され、第二次世界大戦中の拠出を経て1958年(昭和33年)再建された。その後1998年(平成10年)に二之丸門と本丸門の間の北側に移設され現在に至っている。

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赤穂城跡 二之丸西仕切門(交差法)
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赤穂城跡 二之丸西仕切門(平行法)

1701年(元禄14年)赤穂藩主浅野長矩の吉良義央に対する江戸城中での刃傷沙汰のため浅野氏は改易、城は龍野藩主・脇坂安照預かりとなる。翌1702年(元禄15年)永井伊賀守直敬が下野国烏山(栃木県)より赤穂に入封、1706年(宝永3年)森和泉守長直が備中国西江原(岡山県津山市)より赤穂に入封して以来、明治廃藩まで12代続く。毎年12月14日には赤穂義士祭が行われている。

赤穂市空撮
赤穂市空撮


城壁には夕陽が射しこんできた。残念ながら「通りゃんせ」の六ヶ所すべてを訪れることは諦めざるを得ないようである。お土産品に大手門を出たところにある巴屋本舗で、江戸時代に代々の赤穂藩主が赤穂市の名産品として徳川将軍家に献上したと云われる鹽味饅頭(しおみまんじゅう)を買って帰ることにした。「通りゃんせ」は一年間有効なので、次回赤穂市を訪れる際は、リニューアルされた姫路城の見物と併せて赤穂に足を延ばし、海岸近くにある田淵記念館海洋科学館を訪れた後、日本の夕日百選にも選ばれている赤穂御崎で、瀬戸内海が見渡せる眺望を誇る赤穂御崎温泉に宿泊して牡蠣料理を堪能する計画を立ててみよう。
 
04 2015
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広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
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