3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

いい夫婦の日のハイキング

Edit Category ウォーキング
暫く続いた体調不良も次第に和らぎ、以前のように長い距離を歩くこともできそうな感覚まで回復した。折角の秋の季節の三連休をじっと家の中で過ごすのは勿体無い。出来れば森林浴を楽しめるような場所に行きたいと考え、リンク先として登録している「eoおでかけ」の写真に魅かれ、交野市にある大阪府民の森「ほしだ園地」に行ってみることにした。因みに嫁さんは、息子が子供の頃に当時まだ元気だったお義父さんの車で行ったことがあり、ハイキングには最適の場所とのことであった。

京阪電車 交野線 私市駅
京阪電車 交野線 私市駅
京阪電車 私市駅 アクセス路線図
京阪電車 私市駅 アクセス路線図

午前中の時間に出掛けるので、美味しそうな弁当を買って行こう、ということになり、京橋の京阪モールの地下食品売り場で競うように販売されている弁当の中から、フライやウインナーなど数多くの惣菜が入ったお肉専門店の弁当とエビ天とホタテ天がセットになったおにぎり専門店の天むす弁当を買って、京阪モールに隣接する京阪電車 京橋駅から私市を目指して出発した。京阪本線の急行電車で枚方駅で交野線に乗り換え、交野線の終点の私市駅に着いた。三角屋根と丸い窓が印象的な駅舎は、ハイキングをイメージする山小屋風のデザインとなっている。

(交差法)
京阪電車 私市駅(交差法)
(平行法)
京阪電車 私市駅(平行法)

私市駅では意外にも下車した人が少なく、ハイキングに行くような雰囲気の人は極僅かの人しか見当たらなかった。駅に置かれた「京阪沿線ウォーキングまっぷ きさいち周辺編」しか参考にするものはない。私市駅で見掛けたハイキングらしき極僅かの人は、既にコースを大きく外れ、別の方向の「大阪市立大学理学部付属植物園」に向かっており、どうやら目的地が違うようだ。ここから先は、地図とポイントごとの案内図を確認しながら進んだ方が無難だが、私はどうしても撮影主体になるので、過去に訪れたことがある嫁さんにナビゲーションしてもらうことにした。

「京阪沿線ウォーキングまっぷ きさいち周辺編」
京阪沿線ウォーキングまっぷ きさいち周辺編

幸いにも天野川の土手は、階段やベンチが設置された「天野川水辺プラザ」と言いう小さな公園となっており、川沿いには遊歩道が設置されている。これならまず迷うことは無いだろう、と思っていたところ、数人でバーベキューを楽しんだり、川辺で子供が水遊びしている場所に辿り着いた。

(交差法)
天野川 水辺プラザ(交差法)
(平行法)
天野川 水辺プラザ(平行法)

(交差法)
星の里 いわふね①(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね①(平行法)

(交差法)
星の里 いわふね②(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね②(平行法)

(交差法)
星の里 いわふね③(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね③(平行法)

この場所は、「星の里 いわふね」という自然に囲まれた開放感のあるキャンプ場で、宿泊ロッジやバーベキュー場のほか、スポーツや研修などの施設が整備されている。嫁さんの説明によると、遊歩道をそのまま暫く直進した先に八幡橋があるが、遠回りになるので、この川を横断した方が近道とのことであった。

「星の里 いわふね」 と小高い山
星の里 いわふね と小高い山

川を渡って道を確認すると、小高い山への丸木の足踏みでの階段道と“登山口”と書かれた看板が見え、嫁さんは「この山の向こう側がハイキングコースへの近道ちゃう。」と言うので登ってみることにした。山はそれほど高くないようだが、想像以上に勾配が厳しく、足場も悪い。よく見ると“落石注意”と書かれた看板もある。徐々に呼吸が激しくなり、足腰への負荷も感じられるようになった。本当にお年寄りや幼い子もこのコースを辿ったのだろうか、との疑念を抱きながら、以前、嫁さんと訪れた甲山ハイキングコース布引ハーブ園のハイキングコース伏見稲荷大社のお山めぐりのような“過酷さ”に見舞われていった。

(交差法)
星の里 いわふね 小高い山①(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね 小高い山①(平行法)

(交差法)
星の里 いわふね 小高い山②(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね 小高い山②(平行法)

途中、何度か休憩し呼吸を整えながら、ようやく頂上へ到達するや否や愕然とした。頂上は三畳間程度の広さの平地に木製ベンチがあるだけで、向かい側に下る道さえ無い、ただ登るだけの一方通行の山道だったのである。疲労と怒りが込み上げてきて、頂上からの眺望を冷静に見渡すことが出来ない。暫くして汗が噴き出してきたので、フリースを一枚脱いでベンチに腰かけた。「大丈夫?」「大丈夫ちゃう!」「何、怒ってんの?」「もっと疑うべきやった。」「そんな言い方ないわ!」「最悪やん。」.....と暫く言い合いが続いた後、額から滴り落ちる汗を拭いながら暫く沈黙が続いた。

(交差法)
星の里 いわふね 小高い山③(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね 小高い山③(平行法)

(交差法)
星の里 いわふね 小高い山④(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね 小高い山④(平行法)

(交差法)
星の里 いわふね 小高い山⑤(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね 小高い山⑤(平行法)

ようやく落ち着き頂上からの眺望を眺めると、交野市内を横切る第二京阪道路の奥には枚方市内、遠くには淀川の対岸・高槻や茨木の山々が見渡せ、なかなか景色の良い場所であるが、残念ながら目的地のほしだ園地は見えない。嫁さんはまったく呼吸も乱れず汗もかいておらず、「せっかく登った山やから、ここでお弁当の時間にしよう!」と言われ、下るしかない道をすぐ引き返すより、汗を乾かしてから再出発した方が得策と考え、気を取り直してベンチに腰掛けて弁当を食べることにした。お茶は自動販売機で買う予定にしていたが、予期せぬ場所での昼食になったので、持参した小さな水筒の水を少しずつ分け合いながら飲んだ。

(交差法)
星の里 いわふね 小高い山⑥(交差法)
(平行法)
星の里 いわふね 小高い山⑥(平行法)

(交差法)
ほしだ園地コース①(交差法)
(平行法)
ほしだ園地コース①(平行法)

(交差法)
ほしだ園地コース②(交差法)
(平行法)
ほしだ園地コース②(平行法)

小高い山の頂上で心地よい風を浴びながら弁当を食べ、ようやく落ち着きを取り戻し登ってきた山道を下り始めたが、勾配が厳しい道は下りも厳しく、膝に負担が掛かっていることをハッキリと自覚することができた。「星の里 いわふね」まで戻り、自動販売機で飲み物を買って、再び遊歩道を進み始めた。「時間と体力のロスは大きいわぁ。」「アンタもしつこいなぁ。もうエエやん。」「オマエ、俺が一番しんどいときに質問だらけやったやんか。」「心配しててん。」「おもろがってるとしか思われへん。」「おもろいもん。」などと言い合いながら、コースを進んでいったが、逆の方向を辿る人の方が多かったので、少し不安が過ぎった。

(交差法)
森林鉄道風歩道橋①(交差法)
(平行法)
森林鉄道風歩道橋①(平行法)

(交差法)
森林鉄道風歩道橋②(交差法)
(平行法)
森林鉄道風歩道橋②(平行法)

(交差法)
森林鉄道風歩道橋③(交差法)
(平行法)
森林鉄道風歩道橋③(平行法)

川沿いの道をドンドン進んでいくと、まもなく崖の淵に組まれた森林鉄道風歩道橋が現れる。全長約200mの木製歩道橋は、木製特有の心地良さで歩き易く、最大地上高10mの河原を眼下に見ながら自然の散策ができるので、ハイキングの雰囲気が盛り上がる。通路から見える紅葉が日差しに照らされ色鮮やかに反射したり、逆光越しに見えたりして実に美しい。

(交差法)
ほしだ園地 クライミングウォール(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 クライミングウォール(平行法)

(交差法)
ほしだ園地 哮が峰への山道(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 哮が峰への山道(平行法)

歩道橋を渡りきると道は川を離れて山の中に入り駐車場に到達した。前方右手に見えてきた人工のカラフルな岩は、面壁、左右両側面壁の3面があるクライミングウォールで、1997年 なみはや国体の登はん会場となった本格的な施設とのこと。手前に「ピトンの小屋」と称するインフォメーション、休憩、展示、多目的ホール等の機能を持つ管理棟があり、目的地のほしだ園地に何とか到着したのであった。

ほしだ園地MAP
ほしだ園地位置マップhoshidamap.jpg

大阪府民の森「ほしだ園地」は、「金剛生駒紀泉国定公園」に含まれ、同じく大阪府民の森の「くろんど池」の西側に隣接し、雑木林や巨大な岸壁の自然の中に、延長280m、最高地上高50mの木床板人道吊り橋としては国内最大級名物の吊り橋「星のブランコ」や前述のクライミングウォールが整備されている。105万㎡(東京ドーム約22個分)の広大な敷地を誇る公園では、春の新緑、秋の紅葉など季節によって姿を変えるパノラマを楽しみながらの空中散歩を味わえ、近畿各地からの利用者で賑わいを見せている。

乞巧奠
乞巧奠

ほしだ園地や星のブランコなど、一風変わったネーミングだが、このあたりは星に纏わる地名や伝承が多い。古代、この地域は甘く美味しい米が実る事から甘野(あまの)と呼ばれ、そこに流れる川を甘野川(あまのがわ)と名付けられた。1600年前、この地に渡って機織や養蚕の技術を伝えた渡来人たちは、遠く離れた異国の地で、故郷と同じ満天の星空を眺めながら、故郷に伝わる七夕の伝説を語り継いだ。地域の人は、機織や養蚕の技術の上達を願う「乞巧奠(きこうでん)」として生活風習の中に取り入れ、日本古来の豊作を祖霊に祈る祭り(お盆)などが習合して、我国に於ける七夕伝説発祥の地となる。

中国の七夕伝説「牽牛織女の物語(牛郎织女)」
牛郎织女牛郎织女①牛郎织女②牛郎织女③牛郎织女④牛郎织女⑤

784年(延暦3年)桓武天皇が長岡京への遷都に際して、交野が原において北極星を祀って国家の安泰を祈願し、これを機に度々交野が原に行幸し狩猟を楽しんだ。それが皇族や宮廷人などの貴族たちに波及し、平安時代の遊猟地として栄えた。貴族たちは、流行の歌合せ(和歌)において天体を敬い美化する風潮もあり、交野が原の水枯れた砂礫ばかりの川床を夜空の星の連なる天の川に準らえて歌を詠み、甘野川は天野川と改名し、用水不足で水田の耕作ができない乾し田(ほしだ)を星田と呼ぶようになる。

かささぎ橋
かささぎ橋

日本に従来からあった棚機津女(たなばたつめ)の信仰と混ざりあった七夕伝説に準らえ、七夕の夜、天野川にかかる橋「逢合橋」で、年に一度、棚機姫(たなばたひめ)(交野市倉治の機物神社(はたものじんじゃ))と牽牛星(枚方市の中山寺)が会った場所と伝えられる。また、中国の七夕伝説「牽牛織女の物語(牛郎织女)」では、年に一度の逢瀬に鵲(かささぎという鳥)が翼を連ねて橋を架けたとされ、天野川が淀川に注ぐ合流点の近くの橋にこのかささぎの名を冠した橋がある。

交野八景 星の森の寒月の案内図の八丁三所の降星伝説(上)/星田妙見山(下左)、降星山光林寺(下中)、高岡山星の森(下右)
交野八景 星の森の寒月星田妙見宮の隕石降星山光林寺の隕石高岡山星の森の隕石

816年(弘仁7年)この地域で修行をしていた弘法大師(空海)が、私市の獅子窟寺の洞窟に篭り、仏眼仏母の秘法を修し、その呪文の法力によって、天上より七曜の星(北斗七星)が交野市内の3ヶ所(星田妙見山、降星山光林寺、高岡山星の森)に降ったとの降星伝説がある。この3ヶ所の一辺が八丁(約900m)あり、各々を結ぶ三角形内(八丁三所)の地区を「八丁見所」とされる。この降星伝説は八丁三所伝説とも云われ、降星によって星田妙見山の大部分が吹き飛ばされて馬蹄型になったと伝わる。日本史において二番目に古い隕石落下記録(最古は764年「竹田城跡」のある兵庫県朝来市和田山町への隕石落下 ※竹ノ内隕石碑)とされ、その伝説が地名や公園のネーミングの礎になっている

(交差法)
ほしだ園地 星のブランコ①(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 星のブランコ①(平行法)

トイレ休憩後、星のブランコを目指して再び歩き始めた。周囲は家族連れも多いが、ご年配の方も意外と多く、しかもハイキングを存分に楽しんでいることが伝わってくる。我々夫婦は疲れ気味で、なかなか思うように足が進まない。目の前をはしゃぎながら「ヤッホー!」と叫ぶ子供たちにも最初のうちは「無邪気で可愛いね。」とお互いに言い合っていたのだが、かなりしつこく断続的に「ヤッホー!」と叫ばれては堪らない。「結構、鬱陶しいね。」と無意識に足早になり、気が付けば追い越して振返っても姿が見えなくなっていた。暫くして巨大な吊り橋の全容が見えてきた。

(交差法)
ほしだ園地 星のブランコ②(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 星のブランコ②(平行法)

(交差法)
ほしだ園地 星のブランコ③(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 星のブランコ③(平行法)

(交差法)
ほしだ園地 星のブランコ④(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 星のブランコ④(平行法)

星のブランコは写真の印象よりも大きいと感じられた。高さも結構ありそうだが、巨大な主塔がかなり頑丈な印象を齎す。これなら高所恐怖症の私でも平気かも知れない、と感じられ、特に気負うことなく橋を渡り始めた。暫くして背後から嫁さんが、「結構、揺れるでしょ?」と何度も訊かれ、実際に揺れていることを過剰に意識し始めた。

(交差法)
ほしだ園地 星のブランコ⑤(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 星のブランコ⑤(平行法)

(交差法)
ほしだ園地 星のブランコ⑥(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 星のブランコ⑥(平行法)

そのうち「真下の景色は撮らないの?」「恐いの?」「何よ、そのヘッピリ腰は!」と言いたい放題になり、無言で防戦体制の私は、気が付けば左手はしっかりと橋のワイヤー握っていた。最も揺れる中間地点では、ワイヤーを両手で揺らし、お母さんに「コラっ、揺らすのはやめなさい!」と叱られても一向にやめようとしない子供に出会し、生きた心地がしなかった。

(交差法)
ほしだ園地 展望スポット①(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 展望スポット①(平行法)

(交差法)
ほしだ園地 展望スポット②(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 展望スポット②(平行法)

橋を渡りきった後は、更に高い位置にある展望スポットに登り、星のブランコと紅葉の樹海を眼下に見下ろし、大阪平野北部~京都盆地の市街地までの大パノラマを堪能した。この日、ほしだ園地を訪れるキッカケとなった「eoおでかけ」の写真と同じアングルの場所である。視界に拡がる自然を見渡せば、大阪にもこんな場所があるのかという驚きと感動が味わえる。

(交差法)
ほしだ園地 おおさか環状自然歩道(交差法)
(平行法)
ほしだ園地 おおさか環状自然歩道(平行法)

(交差法)
天野川トンネル(交差法)
(平行法)
天野川トンネル(平行法)

帰り道は星のブランコの恐怖を回避したいので、地図を確認して「らくようの路」を下ることを提案したが、間違えて磐船神社に通じる路を下ったようである。人気のない急な山道を下った場所からは、川の水が流れる天野川河川トンネルが見えてきた。川沿いの国道もトンネルになっており、奇妙な光景である。国道には歩道もなく、この道沿いを抜けて私市駅に向かうのは相当危険で諦めざるを得ない。仕方なく磐船神社のある逆方向に向かって進むことにした。

(交差法)
磐船神社①(交差法)
(平行法)
磐船神社①(平行法)

(交差法)
磐船神社②(交差法)
(平行法)
磐船神社②(平行法)

天野川上流に位置する「磐船神社」は、天孫光臨の地として知られ、高さ12m、幅12mの船形の巨岩「天磐船(あめのいわふね)」を御神体とする神社。物部氏の祖神として日本神話に登場する饒速日命(にぎはやのみこと)が、高天原からこの地に降臨した際に乗った船が岩となり、神格化したと云われる。古代の祭祀の花形であった自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)を今に伝え、山岳信仰住吉信仰の影響を受け、現在も境内には神仏習合の影響が色濃く残る。本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。大阪城築城の際、加藤清正がこの巨岩を運び出そうとしたが叶わず、岩の上に「加藤肥後守清正」と刻み断念した奇譚も残っている。

(交差法)
奈良交通バス 北田原(交差法)

奈良交通バス 北田原(平行法)

磐船神社を通過して、羽衣橋付近に到達し時計を見ると、16:00前であった。この地域で日没になれば本格的に道に迷ってしまうし、長くて急な勾配の道を歩いたため、二人とも太腿の筋肉が張り、長い距離を歩けないかも知れない。焦って近くの工事現場のガードマンに道を訪ね、丁寧にバスの停留所を教えて貰った。「吊り橋を折り返したらすんなり帰れたのに....。」と嫁さんに罵られたが、無視して歩いた。周囲は店らしきものは何も無いが、車の通行量はやたら多い。暫くすると北田原停留所が見つかり、発車時刻表を確認すると16:30に生駒駅北口行きのバスがある。あと5分待ちや!と歓声をあげて振り返ると既にバスの姿が見えていた。奈良交通の鹿のイラストの野暮ったいデザインのバスが救世主のように感じられた。北田原停留所は折り返しの終点となっており、ここから約30分で生駒駅に到着し、近鉄けいはんな線経由で18:00前には自宅に着いた。

奈良交通バスと 北田原停留所
奈良交通バス 北田原

奈良県との県境に近いほしだ園地を訪れ、ハプニングの連続の珍道中であったが、疲労に比例してスリリングで楽しいハイキングとなった。道中で嫁さんに云われるまで気づかなかったが、奇しくもこの日は、いい夫婦の日(11月22日)であった。本来この日はコミニュケーションが苦手だといわれる日本人の夫婦が、お互いに感謝の気持ちをかたちにするきっかけを作る日を目指すものとされている。この日の我々夫婦は、お互いの失敗や弱点を曝け出しながらも、中身の濃いコミュニケーションを図れた。結果オーライで無事に帰宅できたことが、良い想い出のひとつとして数えることにも繋がり、疲労困憊ながら夕食の会話は弾んだ
いい夫婦の日
スポンサーサイト

秋景の京都北大路

Edit Category ウォーキング
11月に入って体調が思わしくない日が続いた。最初は風邪の初期症状かと思っていたが、内臓に鈍い痛みがあり、次第に肩こりも酷くなっていった。体調が優れず休日でも家でじっとしている日を過ごし、先月、三度も更新したブログ記事もここにきて滞ってしまった。季節の変わり目は何かと体調に変化があるものだが、家でじっとしていると運動不足にもなり悪循環に陥ってしまう。肩こりも湿布薬などを用いて多少和らいだ週末に、京都の北大路地区を目指して嫁さんと一緒に出掛けてみることにした。

(交差法)
嵐山①(交差法)
(平行法)
嵐山①(平行法)

北大路地区のメインの目的地を金閣寺(鹿苑寺)としたが、意外にもアクセスが複雑で、最寄駅からも結構離れている。20年以上前に初めて金閣寺を訪れた際は、京都出身の友人が里帰りした際に車で連れて行って貰ったので行き方は殆ど判らない。京都観光では、バスやタクシーの利用者も多く、需要があるためなのかも知れない。結局、今年訪れた嵐山まで行き、京福電気鉄道の「嵐電1日フリーきっぷ(500円)」を利用して、北野白梅町とその近辺に出掛けてみることにした。

(交差法)
嵐山②(交差法)
(平行法)
嵐山②(平行法)

前回の嵐山訪問と同様に阪急電車で梅田から特急電車に乗り、少々しんどかったので眠ってしまっていた。乗り換えの桂に到着寸前に目覚めたときには、電車内は立っている人でほぼ満席の状態だった。桂から嵐山に向かう電車も座れない人がいるレベルの乗客数で、四季折々の景観を堪能できる嵐山地区はいつも賑わっている。嵐山には紅葉が色づきはじめており、桂川の水面がキラキラと眩しい。渡月橋を渡って嵐電 嵐山駅に向かう道程は更に観光客で溢れ、なかなか目的地まで辿り着けないほどの人出であった。

(交差法)
嵐山③(交差法)
(平行法)
嵐山③(平行法)

(交差法)
嵐山④(交差法)
(平行法)
嵐山④(平行法)

開業90周年を迎えた京福電気鉄道の嵐山線は、1910年(明治43年)嵐山電車軌道(京福電気鉄道嵐山本線の前身)として四条大宮~嵐山間で開業し、1929年(昭和4年)~1944年(昭和19年)では愛宕山鉄道との共同使用となっていた嵐山駅舎は、2002年(平成14年)10月26日に大幅にリニューアルされ「嵐山はんなり・ほっこりスクエア」として嵐山の賑わいスポットに生まれ変わり、京都では、嵐山本線・北野線は嵐電(らんでん)と呼ばれて親しまれ、2007年3月から公式愛称となった。

江ノ電・嵐電 姉妹提携
江ノ電・嵐電 姉妹提携 2009.10.14

京福電気鉄道の社名は、京都と福井の頭文字だが、各々を結ぶ鉄道事業計画があった訳ではない。京都は祇園を始め夜間の電力需要が多く、福井は織物工場が稼動する昼間の電力需要が多いため、互いの電力を融通するために前身の京都電燈が建設した京福送電線が語源である。又、2009年(平成21年)には、観光地を走る共通点から、嵐電と江ノ電は姉妹提携を締結し、翌2010年、江ノ電全線開通100周年嵐電開業100周年の節目を迎える記念として、双方の車両の色を塗り替えた「江ノ電号」「嵐電号」の運行を開始した。

京都北大路散策MAP

京都北大路散策MAP

嵐山駅を出発した電車は先月乗車した江ノ電に負けず劣らずの人気ぶりであった。電車は超満員で、嵐山本線の帷子ノ辻駅で北野線に乗り換えた時点でようやく座ることが出来た。途中の駅では殆ど乗客の入れ替わりは無かったのだが、御室仁和寺駅では結構多くの人が下車した。駅から直進した僅かの距離に雄大な仁王門が姿を現し、奥まった場所には多宝塔が見える。フリーきっぷを活かして後程この場所にも必ず訪れようと思いながら、北野線終点の北野白梅町駅を目指した。

(交差法)
嵐山⑤(交差法)
(平行法)
嵐山⑤(平行法)

御室仁和寺以降の駅では、古都京都の文化財として世界文化遺産に登録され石庭で知られている龍安寺駅で僅か数名が下車したのみで、他の乗客は北野白梅町駅で一斉に下車した。北野白梅町駅の北野とは、元来大内裏(だいだいり)の北側の原野のことであり、古くから神聖な場所とされた現在の北野天満宮の辺りを指している。白梅町も地名であるが、豊臣秀吉が千利休らを集め、壮大な梅林で大茶会を開き、後々梅林や茶席の名が地名・町名として伝わったと云われている。

(交差法)
鹿苑寺①(交差法)
(平行法)
鹿苑寺①(平行法)

(交差法)
鹿苑寺②(交差法)
(平行法)
鹿苑寺②(平行法)

北野白梅町駅から北の方向へまっすぐ歩き出したが、意外にも先程駅で降りた人たちの殆どはバス乗り場の列に並び、歩いて金閣寺を目指すのは、我々夫婦と家族連れだけであった。おそらく距離にして3km足らずなので、わざわざバスに乗るほどでもないと思ったが、こんなにも歩く人が少ないと想像以上に険しい道程なのかも知れないと不安が過ぎる。平野神社付近を過ぎた頃、背後からきたバスに簡単に追い抜かれたが、暫くして金閣寺に到着した。いつも歩き慣れていることを想えば、結果的に歩いて当然の距離感であった。

鹿苑寺境内図(左)/金閣舎利殿 御札拝観券(右)
鹿苑寺境内図 鹿苑寺 金閣舎利殿 御札拝観券

金閣寺は、臨済宗相国寺派の寺院で、正式名は鹿苑寺であるが、中心建造物である舎利殿を金閣と云い、通称寺院全体を金閣寺と呼び、ユネスコ世界文化遺産に登録され、一般的に金閣寺と云う呼称が浸透している。駐車場には多くの観光バスが停車しており、黒門から入場すると既に国際的な言語が飛び交っていた。受付で入場料を払うと御札を兼ねた拝観券が渡され、入場口には既に行列ができていたが、想像以上にすんなり入場できた。暫く歩くと秋の陽の光に金色に輝き、思わず唸ってしまうほど美しい金閣寺の全容が見えてきた。

足利義満(左)/安藤広重 京都名所之内 金閣寺(右)
足利義満 安藤広重 京都名所之内 金閣寺

衣笠山一帯には鎌倉時代から貴族の山荘が造られたが、藤原(後に西園寺に改姓)公経が1224年(元仁元年)に造営した北山第を1397年(応永4年)将軍職を辞して太政大臣になった足利義満は、河内国の領地と交換に西園寺家からこの地を譲り受け、新たに北山殿を造営した。1408年(応永15年)後小松天皇を招いて宴を催したが、その年に義満は急死してしまい、その義満の遺言により夢窓疎石を勧請開山としてこの地に鹿苑寺を創建した。

(交差法)
金閣寺①(交差法)
(平行法)
金閣寺①(平行法)

(交差法)
金閣寺②(交差法)
(平行法)
金閣寺②(平行法)

(交差法)
金閣寺③(交差法)
(平行法)
金閣寺③(平行法)

(交差法)
金閣寺④(交差法)
(平行法)
金閣寺④(平行法)

金閣寺の由来となっている舎利殿は、漆地に金箔を押した三層の建物で、足利義満が造営した北山殿で唯一解体を逃れた建造物である。初層・二層・三層のそれぞれに異なる様式を採用した特異な建築であり、初層は寝殿造風で法水院と称し、中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に法体の足利義満像を安置する。二層は住宅風武家造の潮音洞で、岩屋観音像と四天王像を安置する。三層は禅宗様の仏殿風で、仏舎利を安置し、屋根は杮葺(こけらぶき)で上には黄金に輝く鳳凰が飾られている。背景の衣笠山を借景に金閣を水面に映す鏡湖池を中心とする池泉回遊式庭園は、国の特別史跡、特別名勝に指定されている。

(交差法)
金閣寺⑤(交差法)
(平行法)
金閣寺⑤(平行法)

(交差法)
金閣寺⑥(交差法)
(平行法)
金閣寺⑥(平行法)

(交差法)
金閣寺⑦(交差法)
(平行法)
金閣寺⑦(平行法)

(交差法)
金閣寺⑧(交差法)
(平行法)
金閣寺⑧(平行法)

以前は国宝に指定されていた金閣(舎利殿)は、1950年(昭和25年)若い寺僧の放火により全焼したが、1955年に略焼失前の状態に再建された。犯人は放火の後、裏山で自殺を図り、犯人の母親も自殺する痛ましい事件となった。その後、三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉の「五番町夕霧楼」「金閣炎上」など日本を代表する作家によって金閣寺の失火事件を題材にした文学作品を発表され話題になった。この放火事件以降、京都の多くの寺社仏閣で消火設備が整えられたが、再建された金閣は国宝に指定されていない。

(交差法)
鹿苑寺③(交差法)
(平行法)
鹿苑寺③(平行法)

鏡湖池の東側、方丈の北側に建てられている書院の庭に京都三松の一つに数えられる五葉松は船の形をした陸舟の松と称される。この五葉松は義満の盆栽から移植され、帆掛け船に乗って西方浄土に向かうという発想からこの形に仕立てられたものとされ、舳先は西の方角を向いている。樹齢は約600年と云われているが、一見した感じではそれ程年月を重ねた樹には見えないほど、鮮やかで活き活きとした色と形を成している。

(交差法)
鹿苑寺④(交差法)
(平行法)
鹿苑寺④(平行法)

(交差法)
鹿苑寺⑤(交差法)
(平行法)
鹿苑寺⑤(平行法)

夕佳亭から眺める金閣(舎利殿)と紅葉のコントラストは絶景のスポットであり、多くの観光客がカメラを向ける。金閣寺は寺院という感じではなく、派手な山荘といった感じの様相が強い。不動堂の傍にある土産物屋は盛況であり、国際的な観光スポットとして日本語以外の会話が引切り無しに交わされている。金閣寺のイメージは京都観光の象徴的な寺院ではあるが、あまりにも観光客が多いため、京都観光本来の神社仏閣の雰囲気を堪能できる場所とは言い難いのかも知れない。

(交差法)
わら天神前の虹(交差法)
(平行法)
わら天神前の虹(平行法)

金閣寺の出口を通過するや否や、陽が射す状態で小雨に見舞われた。南の空は怪しい色の雲があるが、東の空は晴天のままだ。予定通り夕刻まで散策できるのか心配になってきたので、少し早足で歩くことにした。わら天神宮(敷地神社)前を通過し、平野神社、北野天満宮側に横断歩道を渡る際、見たことないほど鮮やかな虹に気が付いた。夢中でカメラを向けた際、嫁さんが「すみません。」と謝る声に振り返ると、撮影の邪魔にならないよう横断歩道で足を止め待って戴いたベビーカーを押す主婦に気づいた。深々と頭を下げるとニッコリ微笑んでくれてホッとした。

(交差法)
平野神社(交差法)
(平行法)
平野神社(平行法)

暫く歩くと平野神社に到達した。「一代要記」によれば、797年(延暦13年)桓武天皇による平安京遷都に伴い、今木皇大神(いまきのすめおおかみ)、久度大神(くどおおかみ)、古開大神(ふるあきおおかみ)、比賣大神(ひめのおおかみ)の四柱御祭神が大内裏近くに移し祀られたことが創建とされる。平野神の呼称は元々主神の今木神を指すが、四柱御祭神の総称でもある。桜の名所として名高く、京都主要行事とされる毎年4月10日に催される桜祭りは、花山天皇が985年に始められた臨時祭が始まりとされる。境内には名桜「魁」をはじめ、約50種、約400本の桜が植えられている。

(交差法)
北野天満宮①(交差法)
(平行法)
北野天満宮①(平行法)

(交差法)
北野天満宮②(交差法)
(平行法)
北野天満宮②(平行法)

(交差法)
北野天満宮③(交差法)
(平行法)
北野天満宮③(平行法)

(交差法)
北野天満宮④(交差法)
(平行法)
北野天満宮④(平行法)

(交差法)
北野天満宮⑥(交差法)
(平行法)
北野天満宮⑥(平行法)

静かな通りを更に東に進むと北野天満宮の東門が見えてきた。北野天満宮は、菅原道真公を主祭神として祀った学問の神様として知られ、多くの受験生らの信仰を集めて、福岡県の太宰府天満宮と共に天神信仰の中心となっている。道真は梅をこよなく愛し、大宰府に左遷の際、庭の梅に「東風吹かば 匂い起せよ梅の花 主なしとて 春を忘るな」と和歌を詠み、道真を慕う梅が一晩のうちに太宰府に飛んでいったという飛梅伝説などにより、梅が神紋となっている。境内には多くの梅が植えられ、春先には梅苑を公開し、毎年2月25日には梅花祭では境内で上七軒の芸妓・舞妓が総出で野点の茶会が行われる。

梅花祭 芸舞妓による野点
梅花祭 芸舞妓による野点
梅花祭 芸舞妓による野点1梅花祭 芸舞妓による野点2梅花祭 芸舞妓による野点3

北野天満宮では、牛は神使(祭神の使者)とされており、境内には臥牛の像が多数置かれている。なかには御影石で作られた臥牛の像があり、思わず全身を撫で回した。牛が天神信仰の神使となった理由としては

1.道真の生まれた年が丑年である。
2.道真が亡くなったのが丑の月の丑の日である。
3.道真は牛に乗り大宰府へ下った。
4.牛が刺客から道真を守った。
5.道真の墓(太宰府天満宮)の場所を牛が決めた。

などの諸説があり真偽は定かではない。菅原道真は幼少の頃より学業に励み、情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主であったと云われている。学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮して異例の出世を重ね、899年(昌泰2年)右大臣の要職に任命され左大臣 藤原時平と並んで国家の政務を統括した。しかし藤原氏の策謀により、901年(昌泰4年)大宰権帥に左遷され、そのわずか2年後に大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じた。道真は世々に文道の大祖・風月の本主と仰ぎ慕われ、学問の神様として受け継がれている。

(交差法)
北野天満宮⑤(交差法)
(平行法)
北野天満宮⑤(平行法)

平安時代中頃の947年(天暦元年)京都に住む多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て菅原道真公を祀ったのが北野天満宮の起源とされる。その後藤原氏により大規模な社殿の造営があり、987年(永延元年)一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念された。この時から北野天満宮天神の神号が認められ、1004年(寛弘元年)一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬を経て、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきた。

菅原道真(左)/長谷川貞信 都名所之内 北野天満宮境内(右)
菅原道真 長谷川貞信 都名所之内 北野天満宮境内

こうした歴史背景により、北野天満宮の社殿は朝廷及び将軍家が造営修繕に当たり、国宝の指定を受ける現在の本殿は1607年(慶長12年)豊臣秀頼が父秀吉の遺志を引き継いで造営し、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存している。古来、神社祭祀は庭上で行われたが、壮大な殿内で祭典を執行し得る当宮現社殿の出現は神社建築史上画期的な八棟造と称され、総面積約五百坪の雄大な桧皮葺屋根を戴くその威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えている。

(交差法)
北野天満宮⑦(交差法)
(平行法)
北野天満宮⑦(平行法)

(交差法)
北野天満宮⑧(交差法)
(平行法)
北野天満宮⑧(平行法)

(交差法)
北野天満宮⑨(交差法)
(平行法)
北野天満宮⑨(平行法)

陽も傾きはじめたので、最後の目的地の仁和寺を目指し、再び北野白梅町駅に戻って再び電車に乗り、嵐電 北野線の御室仁和寺駅で下車した。

(交差法)
嵐電 北野白梅町駅(交差法)
(平行法)
嵐電 北野白梅町駅(平行法)

仁和寺は、真言宗御室派総本山。ユネスコの世界文化遺産に登録されている。御室仁和寺駅正面から京都三大門の一つとされる重厚な仁王門の全容が見えてくる。この二王門は徳川家光の寄進により江戸時代初期の1637年~1644年(寛永14年~正保元年)にかけて建造された堂々とした建築物で、道路から一段高い位置に建てられているため、雄大さが一層協調され、重要文化財に指定されている。京都の三大門と呼ばれる中で、知恩院南禅寺の門が禅宗様式(唐様)であるのに対し、仁和寺の二王門は和様であることが特徴とされる。

(交差法)
仁和寺 仁王門①(交差法)
(平行法)
仁和寺 仁王門①(平行法)

866年(仁和2年)光孝天皇が仏教の隆盛を図るため、西山御願寺の創建に着手したが、光孝天皇は翌年に死去、21歳で即位した宇多天皇が遺志を引き継ぎ887年(仁和3年)完工、888年(仁和4年)落慶供養が行われ元号がそのまま寺名となった。当時日本の政治は藤原一門がの独占していたが、嘗てのような天皇親政に改め、菅原道真を登用し、道真の進言により永らく続いた遣唐使の制度を廃止するなど、我が国の歴史に残る改革を進めた。

宇多天皇(左)/長谷川貞信 都名所之内 御室仁和寺花盛(右)
宇多天皇 長谷川貞信 都名所之内 御室仁和寺花盛

宇多天皇は899年(昌泰2年)仁和寺で出家し称号として最初となる法皇となり、904年(延喜4年)寺域内西南の場所に御室(皇室の住居)を設け、931年(承平元年)に65歳で没するまで住まいとしたことから仁和寺は御室御所と尊称され、その一帯の地名も御室と呼ばれるようになった。その後、武家政権や禅宗が勢力を強めたことなどにより衰退し、応仁の乱(1467年~1477年)により全ての伽藍を焼失し荒廃する。

仁和寺境内図
仁和寺境内図

160年以上も経過した江戸時代、1634年(寛永11年)徳川家光が約20万両を寄進するとともに御所から紫宸殿(ししんでん)、清涼殿、常御殿(おつねごでん)などが下賜され、金堂、御影堂(みえどう)、観音堂、鐘楼、五重塔、経蔵(きょうぞう)、仁王門などが再建され、現在の仁和寺の基礎を築いたとされている。

(交差法)
仁和寺 勅使門(交差法)
(平行法)
仁和寺 勅使門(平行法)

(交差法)
仁和寺 境内①(交差法)
(平行法)
仁和寺 境内①(平行法)

(交差法)
仁和寺 境内②(交差法)
(平行法)
仁和寺 境内②(平行法)

朱塗りの中門(重要文化財)を潜ると、御所の紫宸殿を移築した金堂(国宝)の他、五重塔(重要文化財)や観音堂(重要文化財)等が見えてくる。金堂内陣には運節が1644年(寛永21年)に造った云われる阿弥陀三尊像が本尊として安置されている。重要文化財に指定される鐘楼は寛永の再興時の造営だが、鮮やかな朱塗りが際立つため周囲の建造物との時代のギャップを感じてしまう。

(交差法)
仁和寺 金堂①(交差法)
(平行法)
仁和寺 金堂①(平行法)

(交差法)
仁和寺 金堂②(交差法)
(平行法)
仁和寺 金堂②(平行法)

(交差法)
仁和寺 経蔵(交差法)
(平行法)
仁和寺 経蔵(平行法)

(交差法)
仁和寺 鐘楼①(交差法)
(平行法)
仁和寺 鐘楼①(平行法)

(交差法)
仁和寺 鐘楼②(交差法)
(平行法)
仁和寺 鐘楼②(平行法)

仁和寺は、門跡寺院として格式が高く、また、「徒然草」「方丈記」など古典にも数多く登場する。境内の背丈の低い桜は「御室桜(おむろざくら)」と称され、江戸時代から名高い。1684年(貞亨元年)雍州府志には「今御室清水為一双」、1718年(享保3年)貝原益軒の「京城勝覧」には「春はこの境内の奥に八重桜多し、洛中洛外にて第一とす、吉野の山桜に対すべし、…花見る人多くして日々群衆せり…」と記され、吉野の桜に比べて優るとも劣らないと絶賛され、1924年(大正13年)国の名勝にも指定された。

(交差法)
仁和寺 境内③(交差法)
(平行法)
仁和寺 境内③(平行法)

(交差法)
仁和寺 境内④(交差法)
(平行法)
仁和寺 境内④(平行法)

(交差法)
仁和寺 境内⑤(交差法)
(平行法)
仁和寺 境内⑤(平行法)

境内の中門内の西側一帯の御室桜の樹高が低いのは、この地の岩盤が固く、深く根を張れないためで、花(鼻)が低いということから“お多福桜”ともいう。この事から京都では、背が低くて鼻が低い女性のことを“御室の桜のような”と評することもあるとのこと。満開は例年4月20日過ぎと遅咲きで有名で、桜の名所の多い京都で季節の最後を飾る。御室桜は日本さくら名所100選に選定されている。クローン技術による御室桜の増殖の研究が行われている

(交差法)
仁和寺 五重塔①(交差法)
(平行法)
仁和寺 五重塔①(平行法)

(交差法)
仁和寺 五重塔②(交差法)
(平行法)
仁和寺 五重塔②(平行法)

(交差法)
仁和寺 五重塔③(交差法)
(平行法)
仁和寺 五重塔③(平行法)

五重塔は1644年(寛永21年)の造営で、小高い位置に建てられて市内各地から眺めることができることもあり相当な高さを感じるが、東寺の五重塔 55m、法観寺の五重塔(八坂の塔)46m、 醍醐寺の五重塔 38mに対して、36mと京都の4つの五重塔の中では最も低い。一般的には、五重塔の屋根は上層ほど小さく造られているが、仁和寺の五重塔は各層の屋根の大きさに大差がなく、江戸時代の特徴的な建築様式となっている。背景の松の緑との調和がよく、古くから御室の塔として多くの人々に親しまれ、重要文化財に指定されている。

(交差法)
仁和寺 仁王門②(交差法)
(平行法)
仁和寺 仁王門②(平行法)

(交差法)
仁和寺 仁王門③(交差法)
(平行法)
仁和寺 仁王門③(平行法)

(交差法)
仁和寺 仁王門④(交差法)
(平行法)
仁和寺 仁王門④(平行法)

(交差法)
嵐電 御室仁和寺駅(交差法)
(平行法)
嵐電 御室仁和寺駅(平行法)

夕暮れの御室仁和寺駅は無人駅らしくなく多くの客がホームで帰りの電車を待っていた。帰りは帷子ノ辻駅で嵐山線に乗り換え、四条大宮で下車して阪急電車で大阪に戻るコースを選んだ。四条大宮駅は、四条通りと大宮通りの交差点に位置することに由来し、大宮とは、皇居を指し、大宮通りは皇居の通りの意味である。大宮通りは平安時代 大宮大路と呼ばれ、四条大路とともに交通の要路として栄え、都大路の中で最も往来の激しい主要幹線道路であった。阪急大宮駅と近接しており、阪急電車への乗換え駅として利用者も多い。

仁和寺空撮
仁和寺空撮

体調は優れなかったが、久しぶりに結構な距離を歩きけたことで、心地良い疲れと満足感が得られた。一方で想像以上の秋景を堪能できたことで、目の保養や自然の空気を吸うことも体調を整える上で効果的だと感じることもできた。現在大阪に住んでいるので、気が向けば京都を訪れることができるのだが、それでも京都にはまだまだ知らない場所も多い。しかし欲張らずに少しずつ探訪地区のターゲットやテーマを決めながら、のんびりと訪れる方が、本来の京都を堪能できるのかも知れない。秋景の京都北大路は、私に滋養強壮の効果を齎してくれた。
 
11 2014
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

10 12


 
 
Profile

MOTO

Author:MOTO
広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
Live


 
   


CURRENT MOON

    
 
News



 
Maxim


 
Banner


 ご !!
足あと残していただけたら
後ほどお伺いいたします。



にほんブログ村 写真ブログ 立体写真 へ
にほんブログ村 観賞魚ブログ アクアテラリウム へ

人気ブログランキング へ


アクセス解析Webパーツi2iは、ランキングバナーではありません。
 
Affiliate

”模型 完成品”の語句を変えれば、Amazonの商品の検索ができます。


 
Cinema

 
Map


 
Translation



  

 
 
Category

  • 3Dカメラ (44件)
  • アクアテラリウム (26件)
  • ウォーキング (41件)
  • 模型 (19件)
  • 野球 (16件)
  • 特撮 (5件)
  • 健康 (3件)
  • 未分類 (16件)


 
Summary







 
Baseball

 
Twitter

Twitter Button from twitbuttons.com

 
Link





































































































 
 
  

ARCHIVE RSS