3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

京都奥嵯峨探訪記

Edit Category ウォーキング
梅雨の季節真っ只中、不安定な天候が続いた後に台風が通過し、久しぶりに晴天の休日を迎えることができそうだ。何でもこの日は猛暑となることが予測されるが、写真撮影には最適と考え、午前中の少し早い時間から、未だ訪れたことが無かった京都の嵯峨野・嵐山方面を目指して嫁さんと出掛けることにした。

阪急9300系 特急河原町行(左)/阪急京都線路線図(右)
阪急9300系 特急 京都河原町行阪急電車 京都線嵐山路線図

大阪から嵯峨野・嵐山方面は、阪急電車なら渡月橋近くに阪急嵐山駅があり、梅田から約50分の所要時間位で他の鉄道経由より断然安い。阪急梅田駅から京都線河原町行きの特急電車に乗り、桂駅で嵐山線に乗り換えるルートで行くことにした。台風一過らしい晴天の休日となり、電車は略満席状態であった。

葛飾北斎筆『諸国名橋奇覧 山城あらし山吐月橋』
葛飾北斎筆『諸国名橋奇覧 山城あらし山吐月橋』

阪急嵐山駅前には、阪急レンタサイクル嵐山があったが、道路の混み具合などが予測できなかったので、当初の予定通りウォーキングで各所を巡ることにした。この辺りは見処も多いのだが、その殆どは有料参拝の寺なので、すべてを訪れる訳にもいかない。簡単な地図を見ながら気の向くまま歩いてみることにした。

(交差法)
阪急嵐山駅(交差法)
(平行法)
阪急嵐山駅(平行法)

京都奥嵯峨 MAP
京都奥嵯峨 MAP

※赤い線が今回の探訪ルート

中ノ島公園を暫く歩くと有名な景観が姿を現す。桂川の穏やかな流れ、そこに架かる渡月橋とその背景に写る嵐山は、京都の象徴的な景観の一つであり、この場所からスタートして巡ることで、名所・見処の多い風雅な嵯峨野・嵐山を訪れた期待感は更に高まっていった。

(交差法)
渡月橋①(交差法)
(平行法)
渡月橋①(平行法)

渡月橋は桂川左岸(北側)と、中州である中ノ島公園の間に架かる全長155m、幅11mの橋で、渡月橋を北から渡って中ノ島公園と桂川右岸(南側)の間に架かる短い橋は渡月小橋という。渡月橋全長含め中ノ島公園までは右京区であるが、渡月小橋で桂川右岸に渡ると西京区となる。渡月橋を中心に上流下流200mの範囲が大堰川、それより上(西側)が保津川、下(東側)が桂川と呼ばれている。

(交差法)
渡月橋②(交差法)
(平行法)
渡月橋②(平行法)

平安初期の386年(承和3年)、空海の弟子の道昌僧正が大堰川を修築した際に、現在の渡月橋より200mほど上流に架橋した朱丹に塗られた橋が渡月橋の最初とされ、葛野橋、或いは法輪寺橋とも呼ばれていたが、亀山庭園を持っていた亀山上皇が、曇りのない夜空に月がさながら橋を渡っていくように見えた様子から、「くまなき月の渡るに似る」と感嘆をされたことから、渡月橋と命名された。

(交差法)
渡月橋③(交差法)
(平行法)
渡月橋③(平行法)

渡月橋は応仁の乱での焼失、洪水での流失などで幾度か架けかえられ、1606年(慶長11年)に嵯峨の富豪である角倉了以が現在の位置に架橋した。現在の橋は1934年(昭和9年)に改修されたもの。橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが、欄干部分は木造の外観様式により、嵐山の風景に馴染むよう旧態を留めており、現在も嵐山のシンボルである。なるほど橋の上には通常道路と同じく、頻繁に自動車が行き交うが、観光客を乗せた人力車が通ると橋の外観に呼応し、京都らしい雰囲気が盛り上がる。

(交差法)
人力車①(交差法)
(平行法)
人力車①(平行法)

(交差法)
人力車②(交差法)
(平行法)
人力車②(平行法)

通りを進むと天龍寺が見えてきた。天龍寺は、足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされている臨済宗天龍寺派の大本山である。1939年(暦応2年)吉野で不遇の中崩御された後醍醐天皇菩提を弔うため、夢窓国師を開山として嵐山にあった亀山殿を禅寺に改め創建した。

(交差法)
天龍寺総門(交差法)
(平行法)
天龍寺総門(平行法)

建築物はこれまでに幾度か焼失したが、建夢窓国師作庭とされる曹源池など廻遊式庭園としては最古の遺構として、我国初めての史跡・特別名勝に指定され、1994年(平成6年)12月に『古都京都の文化財』として世界文化遺産に認定された。

(交差法)
天龍寺三秀院(交差法)
(平行法)
天龍寺三秀院(平行法)

天龍寺に数多くある塔頭の一つである三秀院は、1363年(貞治2年)に創建され一時荒廃したが、後水尾天皇により復興された。明治5年に現在の地に再建され、東向大黒天が祀られ節分会に開扉される。残念ながら、これらは総門や三秀院入口から撮影するのみに留めており、この先の経路のお寺も殆どは有料参拝なので、同じく山門や参道入口で雰囲気のみ堪能することにした。

(交差法)
竹林の小径①(交差法)
(平行法)
竹林の小径①(平行法)

(交差法)
野宮神社(交差法)
(平行法)
野宮神社(平行法)

賑やかな通りを左折し、嵯峨野の竹林の道を進むと野宮神社の看板が見えてきた。天照大神を祭神とする野宮神社は、平安遷都後、伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女は、嵯峨野の野宮神社に一年間籠って精進潔斎する習わしとなったことが起源と云われる。クヌギの木の皮を剥かないまま使用する黒木鳥居や小柴垣が往時を偲ばせる。付近に産する竹を「野宮竹」と云われ、野宮神社から大河内山荘へと至る竹林の道(竹林の小径とも云う)は、嵯峨野巡りの起点とされる。

(交差法)
竹林の小径②(交差法)
(平行法)
竹林の小径②(平行法)

竹林の道は風が運ぶ竹の香りや木漏れ日を感じながら歩くことができる。多くの観光の人々が訪れ、記念撮影をする場所でもあるが、早い時間に訪れたので思ったより人が少なったのが幸いであった。真っすぐに伸びた竹が両脇に並ぶ小径は、さわさわという葉ずれの音が心地良く風情がある。清涼感のある竹林の道を歩くだけで心が癒される。

(交差法)
竹林の小径③(交差法)
(平行法)
竹林の小径③(平行法)

(交差法)
竹林の小径④(交差法)
(平行法)
竹林の小径④(平行法)

嵐山の北東に広がる嵯峨野は、平安時代から貴族の別荘や庵が開かれた土地。嘗て貴族が愛したこの場所は、1000年の時を経て今尚多くの人々が訪れる。時空を超えても変わらない、普遍的な美しさを持った場所なのかも知れない。CMなどでもお馴染みの竹林の道は、京都市の歴史的風土特別地区にも指定されている。

(交差法)
竹林の小径⑤(交差法)
(平行法)
竹林の小径⑤(平行法)

(交差法)
竹林の小径⑥(交差法)
(平行法)
竹林の小径⑥(平行法)

竹林の道の突きあたりを北の方向に進み、嵯峨野観光鉄道「トロッコ嵐山駅」に到達した。嵯峨~亀岡間7.3kmの道程の保津峡谷を縫うように走るトロッコ列車は人気が高く、海外からの観光客も多く混雑を極めていた。ここで少し休憩した後、日本で唯一の頭と髪の神社である御髪神社には、まだまだ神頼みするに足らずとして、小倉池を通り抜け更に北の方向に進んだ。この辺りから先程までの賑わいが嘘のように観光客の数が顕著に少なくなった。道が狭くなったこともあるが、背後から自動車が追い越す度に路傍に避けるため、大通りとは違う煩わしさも感じられた。

(交差法)
小倉池(交差法)
(平行法)
小倉池(平行法)

常寂光寺は1596年(慶長元年)本国寺十六世究意院日禎により開創。多宝塔は1620年(元和6年)建立で並尊閣と云い、前面に霊元天皇の勅額を揚げる。本堂は伏見城の建物の一部を移転修造したものと云われる。仁王門は元々本国寺客殿の南門を移転、妙見堂は能勢妙見を分祀し歌仙祠には藤原定家、家隆、徳川家康の木像を安置している。兼六園内の別荘であった時雨亭は、2000年(平成12年)、新しい庭園の完成とともに復元された。

(交差法)
常寂光寺山門(交差法)
(平行法)
常寂光寺山門(平行法)

初夏の萌黄色の木々茂る道を更に進むと麦畑が拡がり、その向こう側に松尾芭蕉の弟子、向井去来が営んだ隠棲所である落柿舎が見えてきた。約二週間、松尾芭蕉も逗留しており、滞在記『嵯峨日記』を執筆している。向井去来が書いた「落柿舎ノ記」によれば、草庵周囲には40本の柿の木があり、柿を売る契約をした後に、柿がすべて台風で落ちたことから落柿舎と呼称される。但し当時は現在とは少し離れた場所にあったと推定される。

(交差法)
嵯峨小倉山(交差法)
(平行法)
嵯峨小倉山(平行法)

(交差法)
落柿舎(交差法)
(平行法)
落柿舎(平行法)

落柿舎を通過すると二尊院参道入口付近に達する。二尊院は天台宗山門派(延暦寺)の寺院で、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二つの木造如来立像(国の重要文化財)を祀っていることから二尊院と呼称する。平安時代初期の841年(承和8年)に嵯峨天皇の勅願により円仁(慈覚大師)が創建した後、荒廃~再興~全焼を経由の上、1521年(永正18年)本堂と唐門が再建された。境内の墓地には、現在の位置に渡月橋を建てた前出の角倉了以や日本映画屈指の往年の大スターの阪東妻三郎の墓がある。

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二尊院参道入口(交差法)
(平行法)
二尊院参道入口(平行法)

祇王寺は浄土宗の開祖 法然上人の弟子の良鎮が創建した往生院の跡を引き継ぎ、『平家物語』では、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家した尼寺としても知られる。往生院は江戸時代末期まで広大な敷地を占めたが、その後衰退を辿り、明治時代初期に一時廃寺となるが、1905年(明治38年)往生院の祇王の哀しい物語に心を動かされた当時の京都府知事や富岡鉄斎の尽力により大覚寺派として真言宗に改宗し、苔の庭でも知られる尼寺祇王寺として復興を遂げた。

(交差法)
祇王寺参道入口①(交差法)
(平行法)
祇王寺参道入口①(平行法)

(交差法)
祇王寺参道入口②(交差法)
(平行法)
祇王寺参道入口②(平行法)

證安院は「さつき寺」として知られる、浄土宗京都教区嵯峨組寺院二十七ヶ寺の一つで、山門の正面に誓阿上人の「南無阿弥陀佛」の名号石、本堂には雲に乗った来迎阿弥陀仏三尊仏が安置されている。観音像は、洛西三十三ヶ所の第十六番札所になっており、寺宝としては、釈迦涅槃図、浄土宗の名僧である山崎弁栄聖者筆の「無上尊」の額などがある。

(交差法)
證安院山門(交差法)
(平行法)
證安院山門(平行法)

その先にある博物館 さがの人形の家は、日本で唯一の古人形専門の文化庁登録博物館で、春季展(2月中旬~5月下旬)、秋季展(9月下旬~12月上旬)のみ開館となっている。さがの人形の家を通過し暫く進むと愛宕街道沿いに八体地蔵の並ぶ三叉路から別れ道になっており、向かって左方向の緩い坂の石畳の道は“重要伝統的建造物郡保存地区”と記されていたので、そちらの方向に進んでみることにした。

(交差法)
博物館 さがの人形の家(交差法)
(平行法)
博物館 さがの人形の家(平行法)

一段と狭くなった愛宕街道の奥の方向、愛宕神社一之鳥居までの狭い道路沿いの町家一帯を嵯峨鳥居本と称する。紅葉の美しい嵯峨鳥居本だが、嵐山からは結構な距離があり、観光客はそれほど多くない。嵯峨鳥居本地区は京都市街の北西嵯峨野の更に北西にある愛宕山の麓に位置し、愛宕街道沿いの延長約650mにわたる街道筋の地域である。1979年(昭和54年)、京都市は当地区を「伝統的建造物群保存地区」に指定し、同年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。

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嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区①(交差法)
(平行法)
嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区①(平行法)

(交差法)
嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区②(交差法)
(平行法)
嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区②(平行法)

愛宕街道の中程にある化野念仏寺は、浄土宗の寺院で、正式名称は華西山東漸院念仏寺。約1100年前の弘仁年間(810年~824年)に弘法大師が野晒し状態の遺骸を埋葬したことが始まりとされ、無縁仏を慰霊する千灯供養で知られる。境内中央に広がる西院の河原には約8000体の石仏や石塔が並んで悲哀が漂い、京都では有名な心霊スポットとして、西院の河原では写真撮影が禁止されている。今も尚出土する石仏と共に発掘される壷や古銭は、平安期から鎌倉、室町、江戸の各時代に及ぶ。

(交差法)
化野念仏寺山門(交差法)
(平行法)
化野念仏寺山門(平行法)

愛宕街道を進んで化野念仏寺より少し上に「京都市嵯峨鳥居本町並み保存館」なるものがあり、訪れたお寺が殆ど有料参拝だった影響もあり、見学無料と書かれていたのを見るや否や反射的に入ってみた。この建家は明治時代初期に建てられた「虫籠造り町家住居様式」の中二階建て住居を京都市が借り上げ改修し、当時の町家文化を伝え、京都市民や観光客に町並み保全への理解を深めることを目的として、1993年(平成5年)にオープンした。

(交差法)
嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区③(交差法)
(平行法)
嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区③(平行法)

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 井戸・竈 (交差法)
(平行法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 井戸・竈 (平行法)

一階は格子、ばったり床几に駒寄せがあり、中二階に虫籠窓、大屋根には煙出しを備え、土間にはかまど(おくどさんと称する)、井戸などが保存展示されていた。奥の方から、ボランティアの管理人の方から「どうぞ、遠慮なくお上がり下さい。」と声を掛けられながら最初は土間の保存品を遠慮がちに見学していたが、午後の時間帯の猛暑で汗だくになり、結構な距離を歩いた疲労感も併せて、セルフのコーヒーを購入して休憩を兼ねてゆっくりと展示物を観させて戴くことにした。

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 明治初期京町家屋① (交差法)
(平行法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 明治初期京町家屋① (平行法)

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 明治初期京町家屋② (交差法)
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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 明治初期京町家屋② (平行法)

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 明治初期京町家屋③ (交差法)
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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 明治初期京町家屋③ (平行法)

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 京火鉢 (交差法)
(平行法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 京火鉢 (平行法)

嵯峨鳥居本の雰囲気を残す明治初期の京町家屋の居間にある縁側に腰掛け、セルフと書かれているのに「機械の操作がややこしいので私に任せて下さい。」と言ってわざわざ管理人の方が作って縁側まで運んでくれたコーヒーを飲みながらくつろいだ。外はやたら暑いのに縁側は不思議なくらい涼しい。説明によれば、夏はこのあたりでは冷房器具無しでも充分涼しく、冬場は京火鉢が重宝するとのこと。

(交差法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型① (交差法)
(平行法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型① (平行法)

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型② (交差法)
(平行法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型② (平行法)

(交差法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型③ (交差法)
(平行法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型③ (平行法)

この嵯峨鳥居本町並み保存館には、更に私の大好物である精巧なジオラマ模型が展示されており、1930年(昭和5年)の春に時代を設定した「嵯峨鳥居本町並み復元模型」(3.5m×1m、縮尺200分の1)があった。嘗てこの地にあった愛宕山鉄道の平坦線の開業に合わせて釈迦堂駅から清滝トンネルまでの間の線路沿いに桜を植え、観光資源として大いに宣伝していた昭和初期の愛宕街道の様子を再現している。

愛宕山鉄道 平坦線(左)/愛宕山鉄道沿線案内図(右)
愛宕山鉄道 平坦線愛宕山鉄道 路線図

愛宕山鉄道沿線案内図
愛宕山鉄道沿線案内図

愛宕山鉄道は、現在の京福電気鉄道嵐山本線の嵐山駅~清滝駅の普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅~愛宕駅のケーブルカー(鋼索鉄道)を第二次世界大戦前に運営していた鉄道事業者で、清滝遊園地、愛宕山ホテル、愛宕山遊園地、スキー場などの事業も併せて展開し賑わった。しかし世界恐慌で業績は悪化し、京阪電気鉄道と京都電燈により再建が試みられたが、戦時中に全線が不要不急線として廃線となり、すべての観光施設も閉鎖され、愛宕山地区のリゾート施設は幻と消えてしまった。

(交差法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型④ (交差法)
(平行法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型④ (平行法)

(交差法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型⑤ (交差法)
(平行法)
京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 1930年当時の嵯峨鳥居本地区ジオラマ模型⑤ (平行法)

「嵯峨鳥居本町並み復元模型」には愛宕神社一の鳥居が確認でき、愛宕街道と愛宕山鉄道の平坦線の鳥居本駅を結ぶ階段も確認できることから、鳥居本駅は現在の嵐山高雄パークウェイと清滝道との交差点付近にあったことが判かる。「一の鳥居と茶店」の精巧な模型も展示されており、ちょっとした博物館の様相を呈している。

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 一の鳥居と茶店ジオラマ模型① (交差法)
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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 一の鳥居と茶店ジオラマ模型① (平行法)

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 一の鳥居と茶店ジオラマ模型② (交差法)
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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 一の鳥居と茶店ジオラマ模型② (平行法)

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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 一の鳥居と茶店ジオラマ模型③ (交差法)
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京都市嵯峨鳥居本町並み保存館 一の鳥居と茶店ジオラマ模型③ (平行法)

そろそろ汗も乾いてきたので、再び歩き始めることにしたが、管理人の方に①昼食にお勧めのお店、②参拝にお勧めのお寺を尋ねると、①は、ここから少し先にある茅葺屋根の家屋の鮎料理の「つたや」を ②は、更に先にある愛宕(おたぎ)念仏寺を各々紹介して戴けた。短時間ながら大変お世話になった御礼を述べ、早速、紹介された二つの場所を目指して進むことにした。

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鮎の宿つたや 一の鳥居(交差法)
(平行法)
鮎の宿つたや 一の鳥居(平行法)

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平野屋 一の鳥居(交差法)
(平行法)
平野屋 一の鳥居(平行法)

暫く歩くと見覚えのある風景が目に留まり、赤い鳥居を挟んで二軒の茅葺屋根の家屋が見えてきた。しかも手前の家屋の暖簾には「つたや」と書かれている。どうやらここは、先程、嵯峨鳥居本町並み保存館で観た「一の鳥居と茶店」の精巧な模型の実風景のようだが、模型は「つたや」ではなく、もう一軒の「平野屋」が再現されていたようだ。お昼を過ぎて少々お腹が空いたが、ここはもうひと踏ん張り歩き、愛宕念仏寺を目指すことにし、その後に「つたや」で昼食にすることにした。

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愛宕古道街道(交差法)
(平行法)
愛宕古道街道(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 仁王門(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 仁王門(平行法)

急峻険しい山々に挟まれた愛宕古道街道を暫く歩いていくと、先の方向に清滝に向かう京都の心霊スポットとして有名な「清滝トンネル」が見えてきた。不気味さを感じながら進むと手前の街道脇に愛宕念仏寺の仁王門が見つけることができた。寺の呼称を“あたご“と読まず、敢えて”おたぎ“と読むのは、京都の四条の西院から東山方面を昔は愛宕郡(おたぎごうり)と云い、766年(天平神護2年)聖徳天皇の娘、稱徳天皇の開基により、東山の地に愛宕寺が建立されたことが、この寺の起源であることに由来する。

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愛宕(おたぎ)念仏寺 苔・水(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 苔・水(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢①(交差法)
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愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢①(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢②(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢②(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢③(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢③(平行法)

愛宕寺は平安時代初めは真言宗東寺派の末寺であったが、既に荒れ寺となり、更に近くの鴨川の洪水で堂宇を流失した。醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師)が廃寺同然の愛宕寺を復興させ、千観が民衆から念仏上人と呼ばれたことから愛宕念仏寺と改め、比叡山の末寺となる。鎌倉中期の再建した本堂(重要文化財)は、1922年(大正11年)に現在地へ移築された。厄除け千手観音を本尊とし、別名「千二百羅漢の寺」として、境内に1200躰の表情豊かな石造の羅漢(仏教の聖者、“阿羅漢”の省略形)が並ぶ。ここで初めて拝観料300円を払い境内に入ることにした。

(交差法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢・本堂・多宝塔(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢・本堂・多宝塔(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢・多宝塔②(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢・多宝塔②(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢・本堂(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢・本堂(平行法)

愛宕念仏寺は1981年(昭和56年)、仁王門の解体復元修理を機に寺門興隆を祈念して境内を石造の羅漢で充満させたいと発願され、素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』を始めた。当初は釈迦の涅槃時に立ち会った「五百羅漢」の数に合わせて500躰を目標にしたが、第二結集として700を追加し、発願から10年を経た1991年(平成3年)に「千二百羅漢の寺」となった。時間が経過して羅漢像は緑の苔に覆われたことや素人参拝者の作品により、和やかな雰囲気で訪れる人を迎えてくれる。

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愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢・多宝塔①(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 羅漢・多宝塔①(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 虚空蔵菩薩(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 虚空蔵菩薩(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 ふれ愛観音(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 ふれ愛観音(平行法)

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愛宕(おたぎ)念仏寺 三宝の鐘(交差法)
(平行法)
愛宕(おたぎ)念仏寺 三宝の鐘(平行法)

比較的に狭い境内の山腹の多宝塔には、羅漢像に囲まれて説法する石のお釈迦像が祀られ、その左には「伝教大師像」がある。高台には金色に輝く「虚空蔵菩薩」が下界を見守るように立ち、観音堂の中には、目の不自由な方も心の目と手で触れることの出来る「ふれ愛観音」があり、触れることで心身の痛みを和らげるとのこと。「三宝の鐘」は「仏・法・僧」として音律で仏の心を自然界に伝えるとされ、優しく心地よい音色が響かせた。苔生して表情豊かな羅漢像に見送られながら愛宕念仏寺を後にした。

(交差法)
鮎の宿つたや①(交差法)
(平行法)
鮎の宿つたや①(平行法)

再び一の鳥居まで下り、先程通過した茅葺屋根の家屋の店「鮎の宿 つたや」に入った。この店では、京料理・松花堂弁当・湯豆腐・松茸・筍など、季節料理が味わえる老舗の“鮎の宿”と云うことだが、お品書きに書かれていた“活け鱧丼”を二人とも迷わず即決した。店の真裏を流れる小川の「瀬戸川」の景観と水の音が心地良い部屋に通された。

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鮎の宿つたや②(交差法)
(平行法)
鮎の宿つたや②(平行法)

後日調べて判ったのだが、創業400年の歴史を誇るこの店は、神社の参拝客が憩う門前茶屋として発祥。保津川でとれた鮎を都に運ぶ途中「つたや」の近くの清流で水を替えていたことから、歴史を重ねて鮎料理の名店となり、14代目店主の現在に至るとのこと。なるほど部屋からは小川に面した木製の生簀らしきものを数回確認する板前の姿が見えた。

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鮎の宿つたや③(交差法)
(平行法)
鮎の宿つたや③(平行法)

店員に嵯峨鳥居本町並み保存館の管理人の方にこの店を勧められたことを告げると満面の笑みで窓を開けて活花を見せ「これはその方が生けた花です。いつもお世話になっているんですよ。」と説明された。活け鱧丼も思った以上に多かった鱧と錦糸玉子が絡み、上品な味わいで大変美味しく感じられた。店を出る際には、厨房から丁寧な挨拶の声が掛かり、思った以上に板前の人数が居ることが判った。

(交差法)
嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区④(交差法)
(平行法)
嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区④(平行法)

嵯峨鳥居本を来た道を逆に下る。嵯峨鳥居本は、江戸時代中期には「鎮火の神」として信仰を集める愛宕神社の門前町として栄え、農家、町家の他に茶店なども建ち並ぶようになる。因みに鳥居本の地名は、愛宕神社の鳥居前に位置するからではなく、8月15日に行われる「京の大文字」こと五山の送り火での「鳥居形」の曼荼羅山の梺に広がる町並みから由来している。

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嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区⑤(交差法)
(平行法)
嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物郡保存地区⑤(平行法)

嵯峨鳥居本は、 愛宕街道に沿って仏野念仏寺を境に愛宕神社一の鳥居に近い上地区には藁葺き屋根の農家風の民家が多く、下地区は町家風民家が並んでいる。このように農村的景観(農家風)と都市的景観(町家風)が共存し、奥嵯峨の美しい自然と一体となって街道沿いに建ち並ぶ風趣のある佇まいが特色である。しかし、一方では時代の流れと生活基盤との調和に苦慮する面もあり、幾つかの売家も見受けられた。

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清涼寺(嵯峨釈迦堂)本堂①(交差法)
(平行法)
清涼寺(嵯峨釈迦堂)本堂①(平行法)

来た道を更に逆走し、何気に二尊院参道入口付近を左に折れて進むと行く手の先に巨大なお寺が見え清涼寺の西門に達した。清涼寺は、山号を「五台山」と称する浄土宗の古刹で、別名「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれている。元々現在の場所は、源融(みなもとのとおる:嵯嵯峨天皇の第12皇子で光源氏のモデルといわれている)の山荘「棲霞観」があったが、源融の没後に山荘を棲霞寺としたのが清涼寺の起源と云われる。

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清涼寺(嵯峨釈迦堂)本堂②(交差法)
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清涼寺(嵯峨釈迦堂)本堂②(平行法)

987年(寛和3年)奝然上人が宋より持ち帰ったと云われ、三国伝来(インド~中国~日本)で渡ってきた栴檀(せんだん)の香木から作られた釈迦如来立像を安置するため、愛宕山を中国の五台山(中国山西省にある仏教の聖地)に見立て、愛宕山麓に「大清涼寺」の建立を計画したが志半ばで没し、弟子の盛算が棲霞寺の釈迦堂を以って五台山清涼寺を建立して釈迦如来立像を安置した。浄土宗の開祖・法然上人もこの清涼寺に参籠している。

国宝 釈迦如来立像 ※像の高さ162cm(左)/五臓六腑のレプリカ(右)
釈迦如来立像(国宝)釈迦如来立像の五臓六腑

1953年(昭和28年)国宝指定の調査で、釈迦如来立像の背中に蓋が発見され、胎内には五色の絹製の五臓六腑や経巻が収納されていたことで「生身如来」「小さな正倉院」とも称され、1000年前の中国では人間の胎内構造を把握していた事を示し、解剖学的にも貴重な資料と云える。又、レントゲン写真撮影により、額には銀製の一仏が嵌め込まれ、目には黒水晶、耳には水晶が入れてあり、この尊像の霊魂として水月観音の彫られた鏡が封入されていることも確認できた。釈迦如来立像と体内納入品はすべて国宝に指定された。

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清涼寺(嵯峨釈迦堂)多宝塔(交差法)
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清涼寺(嵯峨釈迦堂)多宝塔(平行法)

現在の本堂は1701年(元禄14年)徳川五代将軍綱吉、その母桂昌院、大阪の豪商泉屋(住友吉左衛門)らにより再建された。西側には法華経に由来する多宝塔、法隆寺夢殿を模した聖徳太子殿、狂言堂、宝物を収蔵展示する霊宝館、奝然上人墓、源融墓、嵯峨天皇と檀林皇后の宝塔などがあり、昭和55年、大阪城の三ノ丸跡地の発掘現場から出土した豊臣秀頼公とみられる遺体の首が、秀頼公再興の由緒を持つ当寺に昭和58年に納められ本堂横に祀られている。

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清涼寺(嵯峨釈迦堂)仁王門①(交差法)
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清涼寺(嵯峨釈迦堂)仁王門①(平行法)

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清涼寺(嵯峨釈迦堂)仁王門②(交差法)
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清涼寺(嵯峨釈迦堂)仁王門②(平行法)

「五臺山(五台山)」と書かれた額が掲げられている仁王門は、1776年(安永6年)再建されたものだが、両脇の赤い阿形吽形一対の金剛力士像は室町後期のものと伝えられる。1987年(昭和62年)に京都府指定文化財となった。左右の巾が10m余、高さ約18.3mもある豪壮な雰囲気の門は、八本の太い丸柱で支えられた大屋根と下の屋根の間の楼上に十六羅漢が祀られているが観ることはできない。

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嵯峨天龍寺立石踏切(交差法)
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嵯峨天龍寺立石踏切(平行法)

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京都嵐山オルゴール博物館(交差法)
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京都嵐山オルゴール博物館(平行法)

愛宕念仏寺は比較的規模が小さく敷地も狭い寺だったが、清涼寺の巨大な伽藍と広大な境内はダイナミックな迫力を感じる。仁王門からまっすぐ南へ進めば渡月橋に突き当たる。JR山陰本線が通る踏切を渡ると右手に京都嵐山オルゴール博物館があり、更に真っすぐ進んで漸く京福電気鉄道 嵐山本線 嵐山駅(京福嵐山駅:※北野線と併せて嵐山線、通称嵐電(らんでん)と呼ばれる)まで辿りついた。猛暑にも拘らず午前中の時間帯とは比較にならない賑わいを感じた。

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京福電気鉄道嵐山本線嵐山駅①(交差法)
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京福電気鉄道嵐山本線嵐山駅①(平行法)

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京福電気鉄道嵐山本線嵐山駅②(交差法)
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京福電気鉄道嵐山本線嵐山駅②(平行法)

京福嵐山駅は、1910年(明治43年)3月25日、嵐山電車軌道(京福電気鉄道嵐山本線の前身)が四条大宮~嵐山間を開業した時に開設し、その後、1929年(昭和4年)~1944年(昭和19年)では前出の愛宕山鉄道との共同使用駅となっていた。駅舎は、平成14年10月26日に大幅にリニューアルされ、現在は「嵐山はんなり・ほっこりスクエア」として大変な賑わいを見せている。

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渡月橋④(交差法)
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渡月橋④(平行法)

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渡月橋⑤(交差法)
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渡月橋⑤(平行法)

一日を通して、猛暑の中にも拘らず想像以上に結構な距離を歩けたこと、無計画で気ままに歩いたコースながら効率的且つ印象的な探訪となった。心地よい疲労感を感じながら、阪急嵐山駅から大阪に向けて帰路についた。奥嵯峨鳥居本の町並みは美しいが、この景観を安定継続的に保有するには、様々な苦労や課題が推察される。嘗ては交通機関が発達し、大規模なリゾート開発により時代を先取りしたが、戦争を機にその後は不便な方向に逆行するという奇異な展開を辿った。時間が惜しいのか、奥嵯峨を貸切タクシーで訪れる人をこの日良く見掛けた。

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人力車③(交差法)
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人力車③(平行法)

振り返れば、以前の大阪生活と違って京都各所を訪れる機会が増えた。京都観光の王道とも云える東山・祇園、花見の時期に訪れた哲学の道・銀閣寺・平安神宮、京阪電鉄のフリーチケットを利用した比叡山、鳳凰堂が改修工事中で各地を巡った宇治、人が多すぎて僅かな滞在時間で引き返した鞍馬、等々、各々が特徴的で印象深い。(鞍馬探訪以外で)すべてに共通していることは、結構な距離を歩いたことと、殆どが無計画な探訪にも拘らず、充分楽しめたことである。知っていたつもりの場所だが、実際に訪れてみると意外な感動や発見を齎すものである。

京都市マップ
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ホタルの庭園

Edit Category 3Dカメラ
大阪城の北側、大川との間に緑の一帯があり、この辺りは野田村の漁師の網干場だったことから網島と呼ばれ、大川・寝屋川・平野川の交差する地のため常に水害に悩まされていたと云う。都島区の南西端に位置するこの街には嘗て「網島御殿」と称される邸宅があった。高い壁が巡っているため周囲からは判り難いが、大阪市公館、藤田邸跡公園(桜之宮公園)、藤田美術館、太閤園とその姿を変えた「網島御殿」は、都会の中のエアポケットを形成している。

藤田男爵邸宅跡庭園群
大阪城(右奥)の北側(赤色の点線部分)に広がる藤田男爵の邸宅跡の庭園群。
左から太閤園(旧東邸)、旧藤田邸庭園(旧本邸)、大阪市公館(旧西邸)

「網島御殿」と総称された藤田邸は天王寺茶臼山の住友本邸と並び、大阪を代表する豪壮な和風邸宅であり、格式高い料亭「淀川邸」は、庭園を眺めながら日本料理の神髄を味わうことができる。四季折々に美しい表情で彩られ、約7,000坪の広大な敷地に日本庭園を持つ太閤園は、「初夏の癒し」をテーマに毎年ホタル鑑賞会として、“太閤園『Healing Night ほたる物語』”を行っており、夜の庭園は昼とは全く表情が変わり、幻想的な雰囲気が漂うとのこと。

太閤園『Healing Nights ほたる物語』

梅雨の季節で不安定な天候だが、ホタル観賞に興味を抱き、自宅から比較的近場にあるこの太閤園を雨天覚悟で訪れてみることにした。因みにホタル鑑賞の入園は無料である。太閤園は都会では珍しくホタルが自生し、24時間体制で庭園内の小川の水を循環させ、水温が上昇させぬようホタルの幼虫が小川に戻る時に棲みよい環境づくりが行われきた。庭園内に設置した「ろ過設備」の効果が現れ、都心のホタル観賞スポットとして毎年多くの人が訪れている。

taikouennlogo.jpg

太閤園

京橋から大川の方向に向かって暫く歩き閑静な通りを抜けると、道路を挟んだ向こう側に高い壁で囲まれた場所が見えてきた、と同時に小雨もポツリポツリと降り始めた。ここまで来れば是非とも日本庭園を堪能したいが、最悪、夜まで雨が続くようであればホタル観賞は諦めなければならない。しかし庭園入り口から入園した頃には、すっかり雨は止み、入り口の門を潜ると、萌黄色の木々や紫陽花も美しく趣きのある建屋のある庭園が目の前に拡がった。

藤田傳三郎 1841年(天保12年)~1912年(明治45年)(左) / 1959年(昭和34年)開業当時の太閤園(右)

藤田傳三郎          開業当時の太閤園

この辺りの広大な一帯は、明治期の大阪経済界の大立者であり、多彩な事業を通じて日本の近代化をリードした実業家、藤田傳三郎男爵とその子息の邸宅として一体的に整備された区域なのであった。その敷地面積は、この街の約7割を占め、一部が現存しており、明治から大正初期文化の華やかさを今に残している。
【料亭『淀川邸』車寄】
(交差法)
太閤園 料亭『淀川邸』車寄(交差法)
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太閤園 料亭『淀川邸』車寄(平行法)
【石造 仁王像】
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太閤園 庭園入口 石造 仁王像 二躯(交差法)
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太閤園 庭園入口 石造 仁王像 二躯(平行法)
【庭園入口】
(交差法)
太閤園 庭園入口(交差法)
(平行法)
太閤園 庭園入口(平行法)

藤田傳三郎没後は、長男平太郎が住んだ本邸跡が現在市管理の公園と藤田美術館、次男徳次郎の住んだ東邸跡が太閤園、三男彦三郎の住んだ西邸跡が大阪市公館として現在に至る。新本邸を中心に西邸、東邸と豪壮を誇った邸宅の殆どは、1945年(昭和20年)の戦災によって失われたが、玄関前に落ちた焼夷弾が不発弾となり、唯一残された東邸は、現在も大正ロマンの香り漂う太閤園として一般開放され、日々多くの人が訪れる。
【鹿威し】
(交差法)
太閤園 庭園入口 鹿威し(交差法)
(平行法)
太閤園 庭園入口 鹿威し(平行法)
【料亭『淀川邸』「大炉」】
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太閤園 料亭『淀川邸』「大炉」(交差法)
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太閤園 料亭『淀川邸』「大炉」(平行法)
【別館『ガーデンホール・テラス』】
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太閤園 別館『ガーデンホール・テラス』(交差法)
(平行法)
太閤園 別館『ガーデンホール・テラス』(平行法)

藤田傳三郎は、幕末の1841年(天保12年)、長州藩で酒造業を営む藤田右衛門の四男に生まれた。16歳で長兄が投げ出した醤油醸造業を引き受け三年間で建て直した後、国事に奔走し、1864年(元治元年)京都で志士として働いた。藩内では勤皇派として活躍する。隣家で三歳年上の高杉晋作が組織した奇兵隊に参加し、山県有朋や井上馨らとも知り合っている。
【睡蓮池】
(交差法)
太閤園 睡蓮池①(交差法)
(平行法)
太閤園 睡蓮池①(平行法)

(交差法)
太閤園 睡蓮池②(交差法)
(平行法)
太閤園 睡蓮池②(平行法)
【飛び石の石橋】
(交差法)
太閤園 飛び石の石橋(交差法)
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太閤園 飛び石の石橋(平行法)

その後、30歳前後で大阪に出て製靴業を皮切りに征討軍の物品調達を引き受け、軍靴に留まらず軍服、軍食糧、人夫、軍夫の請負などで大いに儲けた。明治政府は、陸海軍の要職をほぼ独占していた藩閥政府であり、薩長土肥(薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩)出身の実業家が政商となり、明治初期の資本形成による財閥へと発展していく。明治維新後、沈滞していた大阪経済は、1877年(明治10年)西南戦争が始まったことで一挙に息を吹き返した。
【紫陽花】
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太閤園 紫陽花①(交差法)
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太閤園 紫陽花①(平行法)

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太閤園 紫陽花②(交差法)
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太閤園 紫陽花②(平行法)
【雪見燈籠】
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太閤園 雪見燈籠(交差法)
(平行法)
太閤園 雪見燈籠(平行法)

西南戦争による戦争成金では、東の三菱創始者である土佐藩の岩崎弥太郎は、政府から新式の汽船10隻の注文を受け財閥への基礎を築く。他方、西の横綱は長州閥を代表する政商 藤田傳三郎であり、月収わずか五円の時代に三百万の巨富が懐に転がり込んだと云われる。1876年(明治9年)、後に土木建設など多彩な分野で事業展開する藤田組を組織する。建設・土木、鉱山、電鉄、電力開発、金融、紡績、新聞、などの分野の経営を手懸けた。
【料亭『淀川邸』「残月」】
(交差法)
太閤園 料亭『淀川邸』「残月」(交差法)
(平行法)
太閤園 料亭『淀川邸』「残月」(平行法)
【石仏】
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太閤園 石仏①(交差法)
(平行法)
太閤園 石仏①(平行法)

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太閤園 石仏②(交差法)
(平行法)
太閤園 石仏②(平行法)

大阪紡績(現在の東洋紡)、阪堺電車(現在の南海電気鉄道)、宇治川電気(現在の関西電力)を設立するなど、今日の多くの名門企業の前身を築いた一方では、北浜銀行頭取の岩下清周、三井の大番頭の中上川彦次郎、大阪毎日新聞(現・毎日新聞)の創業者・本山彦一、久原房之助、鮎川義介など錚々たる有能な経営者を数多く育てている。
【料亭『淀川邸』「紹鴎」】
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太閤園 料亭『淀川邸』「紹鴎」(交差法)
(平行法)
太閤園 料亭『淀川邸』「紹鴎」(平行法)
【瓢箪柄の石】
(交差法)
太閤園 瓢箪柄の石(交差法)
(平行法)
太閤園 瓢箪柄の石(平行法)

藤田傳三郎は、明治期の関西財界の重鎮で、号を香雪と称す我国民間人で初めての男爵でもある。美術品の収集家、慈善事業家、数寄者としても名高い。茶の湯の道にも秀でており、美術品コレクターとしても有名である。その子息である長男平太郎、次男徳次郎、三男彦三郎も同様に実業家、数奇者として知られている。
【料亭『淀川邸』「羽衣」】
(交差法)
太閤園 料亭『淀川邸』「羽衣」(交差法)
(平行法)
太閤園 料亭『淀川邸』「羽衣」(平行法)

明治維新後の西洋文化の導入により、国内で重宝されていた美術品の多くが海外へ流出した。この状況を憂いた藤田傳三郎は「自ら美術品を蒐集し、国宝の散逸を防がなければ、後日必ず悔いるであろう」と自らの財力を傾け、仏教美術や茶道具を中心とした作品を保存展示しているのが、1954年(昭和29年)に開館された「藤田美術館」である。財団法人 藤田美術館として法人化された美術館には、藤田傳三郎と長男平太郎、次男徳次郎が収集した国宝9件、国の重要文化財51件を含む名品5000点の東洋古美術品が保存展示されている。

網島御殿の旧本邸に位置する藤田美術館(左)と旧西邸に位置する大阪市公館(右)
藤田美術館大阪市公館

西邸を受け継いだ「大阪市公館」は、戦中の1943年(昭和18年)に大阪市立実業会館として利用したが、建物は戦災により焼失。1959年(昭和34年)に日米市長・商工会議所会頭会議が大阪で開催されるのを機に、迎賓館として建築された。現在、海外からの賓客は南港のWTCの迎賓館で饗すが、この公館でのパーティーを望む総領事への対応や姉妹都市歓迎レセプションや大阪市民表彰式など、国内外を問わず、各種式典、会議、表彰式の場として今も賓客の接遇などに使われてきた。現在、大阪市公館の歴史的経過と周辺環境を踏まえ、2014年より、本館と既存の庭園を活かした一般開放事業契約が決定した。

(交差法)
太閤園 滝(交差法)
(平行法)
太閤園 滝(平行法)

藤田邸跡は、築山や石積みなどの当時を忍ばせる庭園の一部が良好な状態で残っていたことから、庭園遺構部分を出来る限り保存または復元し、桜之宮公園の一部として整備した。作庭者は、梅園梅叟という庭師で、平坦な地形に起伏に富んだ地形を人工的に創り出した。南北方向の築山、滝、流れ等を基本的な構造とし、特に高い滝石組からの流れや築山中央の流れとその両側の急峻な築山の組み合わせが庭園の中心となり、2003年(平成15年)12月19日に「旧藤田邸庭園」として大阪市の名勝の指定を受けている。

(交差法)
太閤園 中庭(交差法)
(平行法)
太閤園 中庭(平行法)

藤田傳三郎は、網島にある元々寺院の所有地だった日本郵船会社大阪支店長屋敷を購入し、1893年(明治26年)ころから邸宅や庭園の建設整備が始まり、1916年(大正5年)に全体が完成した。藤田傳三郎は完成を見届けることなく、1912年(明治45年)3月30日に亡くなった。藤田邸は、近代和風と呼ばれる建築では、規模や格式において我国でも最上級の部類とされている。
【一枚岩の石橋 諸縁吉祥の橋】
(交差法)
太閤園 一枚岩の石橋『諸縁吉祥の橋』②(交差法)
(平行法)
太閤園 一枚岩の石橋『諸縁吉祥の橋』②(平行法)

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太閤園 一枚岩の石橋『諸縁吉祥の橋』③(交差法)
(平行法)
太閤園 一枚岩の石橋『諸縁吉祥の橋』③(平行法)

太閤園の庭園背後に見えるOBP(大阪ビジネスパーク)所在の超高層ビル クリスタルタワー(1990年竣工、地上37階、高さ157m)が、大阪の都心に位置することを再認識させると同時にレトロな庭園との対比した構図の妙を演出している。

【庭園とクリスタルタワー】
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太閤園 一枚岩の石橋『諸縁吉祥の橋』①(交差法)
(平行法)
太閤園 一枚岩の石橋『諸縁吉祥の橋』①(平行法)

庭園が売り物の1つの太閤園には当時を伺がわせるものが残る。築山式回遊庭園に石仏、塔、灯籠、優雅な庭石、東大寺の塔の礎石として平安時代に創られたと言われる大伽藍礎石や西日本一と言われる一枚岩の石橋などには、小豆島や生駒山などから集められた自然の奇石・珍石を庭石に使用され、手入れされた植栽と共に訪れる人を堪能させる。
【不惜身命の泉】
(交差法)
太閤園 『不惜身命の泉』(交差法)
(平行法)
太閤園 『不惜身命の泉』(平行法)
【心願成就の網島稲荷】
(交差法)
太閤園 『心願成就の網島稲荷』①(交差法)
(平行法)
太閤園 『心願成就の網島稲荷』①(平行法)

(交差法)
太閤園 『心願成就の網島稲荷』②(交差法)
(平行法)
太閤園 『心願成就の網島稲荷』②(平行法)

更には、華光寺別院 瀧本光静氏 鑑定による庭園内の運気上昇スポットを鑑定してもらい、庭園内には、一枚岩の石橋「諸縁吉祥の橋」の他、「不借身命の泉」「心願成就の綱島稲荷神社」の3カ所を開設している。「不借身命の泉」では手を濡らし、「心願成就の綱島稲荷神社」で祈り、「諸縁吉祥の橋」を渡って記念撮影するという風水の観点より導き出されたパワースポットにより、庭園を訪れた人の運気上昇を祈願する。
【割烹『瓢箪』】
(交差法)
太閤園 割烹『瓢箪』①(交差法)
(平行法)
太閤園 割烹『瓢箪』①(平行法)

(交差法)
太閤園 割烹『瓢箪』②(交差法)
(平行法)
太閤園 割烹『瓢箪』②(平行法)

JR京橋駅から少し離れているが、広い庭園にはフォトスポットが多く、歴史ある建物が魅力的で、和洋折衷の披露宴が行える会場として根強い人気がある。数多くの会場を保有しており、良日には相当な数の挙式や披露宴が催され、庭園ライブカメラでその様子が確認できる。両親の挙式を縁に親族の集まりや家族の記念日などで代々太閤園を利用する人も多いとのこと。1959年(昭和34年)に開業し、55周年を迎える今年はお得なプランも数多く用意している。

【ガーデンチャペル『ヴァンベール』】
(交差法)
太閤園 ガーデンチャペル『ヴァンベール』(交差法)
(平行法)
太閤園 ガーデンチャペル『ヴァンベール』(平行法)
【十三重石塔とガーデンチャペル】
(交差法)
太閤園 十三重石塔 ガーデンチャペル『ヴァンベール』(交差法)
(平行法)
太閤園 十三重の石塔 ガーデンチャペル『ヴァンベール』(平行法)

スペインのアンダルシア地方にある教会をモデルにした白亜のガーデンチャペル ヴァンベールは、厳かなパイプオルガンの音色とやさしい光に包まれ、歌声や拍手がチャペル中に響きわたるよう天井が高く設計しており、広大な庭園に佇むチャペルでは、オルゴールコンサート、パイプオルガンコンサート、ゴスペルコンサートなども催される。

太閤園 鳥瞰図
太閤園 鳥瞰図

さて肝心のホタルだが、嫁さんと二人で庭園の睡蓮の池の淵にあるベンチで、夕刻からゆっくりと暮れゆく景色を眺めながら、静かにホタルの光の鑑賞時刻を待つことにした。待ち時間前半の一時間は略二人きりの空間であったが、後半一時間で少しずつ人が増えてきて、20時頃には周囲は30名強の人で溢れていた。

(交差法)
太閤園 庭園の緑①(交差法)
(平行法)
太閤園 庭園の緑①(平行法)

ホタルの幻想的な光は、オスとメスが出会うための合図であり、メスの弱い光に対してオスが強い光を放つプロポーズとしてのロマンチックなホタルの光を眺めながら、風情ある夏の夜を過ごす日本の風物詩となっており、一般的に観賞時期は、ゲンジボタルは5月~7月、ヘイケボタル6月~8月と云われている。

(交差法)
太閤園 庭園の緑②(交差法)
(平行法)
太閤園 庭園の緑②(平行法)

二時間ほど待ち続けた庭園の睡蓮の池には結局ホタルは現れず、太閤園の案内係員から「奥のチャペル付近でホタルが観ることが出来ますので順番に並んで下さい。」と云われ慌てて列に並んだ。今まで特等席と思って二時間待ったベンチの場所は、どうやら無意味だったようである。多くの人が並ぶ列を少しずつ進むと単体のホタルの光が見えてきた。奥には万一のためにホタルを確保した大きな虫かごもあり、青白く点滅するホタルの光を見つけて堪能しながら長く続く列は進行していった。

(交差法)
太閤園 割烹『瓢箪』③(交差法)
(平行法)
太閤園 割烹『瓢箪』③(平行法)

とかくホタルの撮影は難しいと云われ、三脚固定による20~30秒間の露光による撮影が要求される。更にはカメラの感度、絞り、シャッタースピードの微調整も必要になる。微かな期待を込めて、感度やホワイトバランスを調整し、何度も3Dカメラのシャッターを押したが、やはり何も写っていなかった。残念ながら、その時の雰囲気に近い画像をお借りしてお伝えするしか方法が無い。

ホタルの光イメージ
ホタル

梅雨の雨を何とか免れ、太閤園の優雅な日本庭園を無料で満喫すると共に夕刻から二時間強待ち続け、何とか目的のホタル鑑賞まで漕ぎ着けることができた。その後は、太閤園の料理を我慢してひたすら我慢した空腹を満たすため、京橋の庶民的な店で食事をして帰路に就いた。

大阪市公館リニューアル「ザ・ガーデンオリエンタル大阪」イメージパース
大阪市公館リニューアルイメージ

大川沿いは、中之島とともに「水都大阪」のシンボル的エリアとして、春の桜、夏の天神祭など多くの市民に愛される水辺の賑わい空間である。2014年は更に「水辺の魅力拠点」を演出するため、秋にリニューアルされる大阪市公館は「ザ・ガーデンオリエンタル大阪」としてお披露目となる。生まれ変わる大川沿いから目が離せないが、食事は今まで通り京橋界隈の気軽な店で済ますことに変りはなさそうである。
 
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広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
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