3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

いにしえの都

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奈良市には、過去に一度だけ訪れたことがある。結婚前、現在の嫁さんとおつきあいするようになって、確か初めて訪れたのが奈良公園だった。当時はまだ20代、古い寺院などには殆ど興味を示さず、東大寺も興福寺も訪れなかったのだが、何故、大阪からわざわざ奈良公園を訪れたのか、お互いどちらから奈良公園に行こう、と切り出したのか、実はまったく思い出せないのである。無責任なようだが、当時から相当な時間が経過した証でもあり、現在、こうして夫婦仲良く(?)いろんな場所を探訪している事実に勝るものは無いと結論付けることにした。さて、この度探訪先を奈良に決めた理由は、昨年、鎌倉を訪れ、『鎌倉の大仏』を拝観した際に『奈良の大仏』も是非とも実物を観てみたいと思い、そのことをあらためて思い出したのである。突然の行動ではあるが、奈良市の観光定番コースに絞れば、大阪から昼過ぎに出発しても夕刻までには戻れるだろうと思い、早速、布施から近鉄急行に乗り、約30分で『近鉄奈良』に着いた。

東大寺MAP
東大寺大仏殿map

最初に訪れた『東大寺』は、旧平城京の京極大路に位置する華厳宗大本山で、728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まりと云われている。。華厳宗大本山。741年に聖武天皇が護国信仰に基づいて国分寺の建立を命じられた際、金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と称した。743年になり聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、745年に金光明寺にて造営が開始された際、東大寺となった。大仏は752年に開眼供養が行なわれたが、大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年になる。その後1180年に平重衝によって、1567年には松永久秀によって伽藍が焼失。現在の伽藍は1709年に再建されたものである。境内には「奈良の大仏」として名高い盧舎那仏坐像が安置されている大仏殿(国宝)、東大寺創建当時の遺構を残す転害門(国宝)、鎌倉時代復興の代表作である南大門、鐘楼、三月堂、二月堂(いずれも国宝)といった数多くの著名な建造物と共に、戒檀院の四天王像、南大門の運慶・快慶合作の金剛力士立像など天平時代や鎌倉時代を代表する優れた仏像の多くを観ることができるのも、東大寺の魅力である。

(交差法)
東大寺南大門(交差法)
(平行法)
東大寺南大門(平行法)

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東大寺の鹿(交差法)
(平行法)
東大寺の鹿(平行法)

東大寺の正門である『南大門』は、天平創建時の門は平安時代に大風で倒れた。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。1199年(正治元年)に上棟し、1203年(建仁3年)には門内に安置する仁王像とともに竣功した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿に相応しい日本最大の山門である。参道には、奈良の象徴でもあり、神様の使いとされる鹿が自由に歩いている。

(交差法)
東大寺南大門金剛力士立像(交差法)
(平行法)
東大寺南大門金剛力士立像(平行法)

南大門の『金剛力士立像(国宝)』は、1180年(治承4年)の南都焼き打ちの後、東大寺再建の際、重源上人が南大門に納める為、特別に念願して造らせたもので、鎌倉時代初頭の1203年(建仁3年)に僅か69日間で造像されたと云われて巨大像。阿像と吽像には作風に違いがあり、最近の調査で阿像は定覚・湛慶の、吽像は運慶・快慶の作であることが判った。金剛力士像の配置は、他の寺のそれとは異なり、左右が逆で、かつ正面を向いておらず、横向きで相対しているが、理由は謎のままである。大仏様の門を守るにふさわしい巨大で凄まじい憤怒の姿は、訪れた人を圧倒する。

(交差法)
東大寺参道(交差法)
(平行法)
東大寺参道(平行法)

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東大寺中門・八角灯篭(交差法)
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東大寺中門・八角灯篭(平行法)

南大門をくぐると、前方に中門・回廊に囲まれた『東大寺大仏殿(金堂)』が見えてくる。鏡池に姿を映して聳える大仏殿は、目の前の中門に遮られてそれほど大きくはない。しかし、西端の入口から一歩回廊内に踏み入れ、大仏殿を見上げる時、世界最大規模の木造建築の迫力を実感することになる。大仏殿は過去2回、鎌倉時代と江戸時代に再建されている。現在の大仏殿は江戸時代に公慶上人が勧進して将軍徳川綱吉とその母桂昌院の賛助を得て再建されたものであり、高さ・奥行きは創建時と変わらないが、正面は鎌倉時代の大仏殿と比較して、約2/3に縮小している。

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東大寺大仏殿『金堂』①(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』①(平行法)

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東大寺大仏殿『金堂』②(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』②(平行法)

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東大寺大仏殿『金堂』③(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』③(平行法)

※大仏殿の概要(現在)
・一重裳階付き寄棟造り、本瓦葺き、正面銅版葺き唐破風付き
・東西57.01m、南北50.48m、高さ48.742m

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東大寺大仏殿『金堂』盧舎那仏坐像①(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』盧舎那仏坐像①(平行法)

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東大寺大仏殿『金堂』盧舎那仏坐像②(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』盧舎那仏坐像②(平行法)

大仏殿の中に入ると『奈良の大仏』と親しまれている毘盧遮那仏(盧舎那大仏像)が、その勇姿を現わす。743年(天平15年)に聖武天皇の詔によって鋳造されたもので、開眼法要は9年後の天平勝宝4年の4月。永禄年間、松永久秀と三好三人衆との戦禍で焼失した大仏殿は、その後、元禄時代まで140年もの長きに亘って再建されることはなかった。上半身の殆どを失った大仏は、徐々に鋳造されてはいたが、頭部を欠く大仏は、露座に木造銅版張りの無残な姿を曝していたのである。公慶上人の献身的勧進によって復興されたが、往時の大仏殿を再建するに必要な資金も巨木も集めることが出来なかった。頭部は江戸時代、腕は桃山時代の作と云われ、台座の連弁には壮大な蓮華蔵世界が毛彫りで刻まれている。当初の大仏はこの毛彫り図から想像して、今の大仏よりは、もっと大らかで気品あるものであったらしい。大仏殿は確かに巨大な建築物だが、あまりに至近距離で大仏を見上げる為、大仏全体像をカメラに収めることが困難であった。

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東大寺大仏殿『金堂』盧舎那仏坐像③(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』盧舎那仏坐像③(平行法)

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東大寺大仏殿『金堂』盧舎那仏坐像④(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』盧舎那仏坐像④(平行法)

※毘盧遮那仏の概要
・工事に携わった延人数:260万人余り(当時の日本の人口の約半数と云われる。)
・鋳造に使用された銅:449t
・鍍金に使用された金:440kg
・像高:14.98m
・台座高:3.05m
・重さ:380t(推定)

【虚空蔵菩薩像】
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東大寺大仏殿『金堂』虚空蔵菩薩像(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』虚空蔵菩薩像(平行法)

【如意輪観音菩薩像】
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東大寺大仏殿『金堂』如意輪観音菩薩像(交差法)
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東大寺大仏殿『金堂』如意輪観音菩薩像(平行法)

【広目天像】
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東大寺大仏殿『金堂』広目天像(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』広目天像(平行法)

【多聞天像】
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東大寺大仏殿『金堂』多聞天像(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』多聞天像(平行法)

大仏の両脇には向かって左に虚空蔵菩薩像、右に如意観音像が置かれている。ともに江戸時代に作られた木造仏像である。更には大仏殿の四隅を守る四天王のうち西北隅に広目天像、東北隅に多聞天像が置かれている。

【東大寺大仏殿 奈良時代再現模型】
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東大寺大仏殿『金堂』奈良時代再現模型①(交差法)
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東大寺大仏殿『金堂』奈良時代再現模型①(平行法)

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東大寺大仏殿『金堂』奈良時代再現模型②(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』奈良時代再現模型②(平行法)

虚空蔵菩薩像の後ろには、精密で大型の木造建築模型が設置されており、奈良時代の東大寺が大仏殿の東西の位置に、高さ100mに及ぶ七重の塔が建っていたことを再現したものである。この七重の塔は再建が幾度も検討されたが、木造でこの高さの建築物は現在の建築法に抵触するとのことで再現不可能とのこと。

【奈良時代の東大寺全景図】
奈良時代の東大寺再現図

【過去の巨塔と現存国宝仏塔の高さ比較】
過去の巨塔と現存国宝仏塔の高さ比較

大阪万博 EXSPO’70 (昭和45年)では、『古河パビリオン』として、鉄筋製の東大寺東塔の華麗な姿が再現された。

大阪万博 EXSPO’70 『古河パビリオン』東大寺東塔再現

江戸時代再建時の大仏殿の模型では、正面玄関の上にあった扉が、大仏様のお顔を外からも見れるように工夫された窓だったことが伺える。

(交差法)
東大寺大仏殿『金堂』江戸時代再建時模型(交差法)
(平行法)
東大寺大仏殿『金堂』江戸時代再建時模型(平行法)

昨年、鎌倉の高徳院を訪れ『鎌倉の大仏』を実際に観る事が出来たが、比較されることが多いこの二つの大仏は、創建された時代が奈良時代と鎌倉時代、約500年もの開きがあり、鎌倉の大仏は、奈良の大仏に比べると頭が大きく、横から見るとうつむき加減の猫背になっており、これは鎌倉時代の仏像の特性でもあり、時代による流行が、二つの大仏の形の差になったことが推察できる。奈良の大仏が部分的に何度も作り直されていて、建立当初のものは殆ど残っていないのに対して、鎌倉の大仏は、補修はされているものの、その殆どが創建当時のままだと云われる。但し、現在の鎌倉の大仏は二代目で、最初に造られた鎌倉の大仏は木造で、完成後数年で倒壊し、現在の青銅のものに造り替えられており、今日まで補修を重ねながら残っている。

【奈良の大仏・鎌倉の大仏 比較】
奈良の大仏・鎌倉の大仏 比較

奈良の大仏である毘盧遮那仏の「施無畏与願印」は、上に上げた右手が「施無畏印」で、参拝者の恐れを除いて救おうとする仏の意思を表し、下に下げて手のひらを参拝者に見せている左手が「与願印」で参拝者の願いを叶えようとする仏の意思を表す印相である。一方、鎌倉の大仏である阿弥陀如来の「阿弥陀定印」は、「上品上生印」とも呼ばれ、最高の悟りの状態であることを表わす印相である。

盧遮那仏と阿弥陀如来仏

次に訪れた『春日大社』は、768年(神護景雲2年)、平城京の守護の為創建されたのが始まり。平安時代前期には現規模の社殿が整った。皇室の尊崇も篤かったが、庶民の信仰も集め、多くの灯籠が奉納された。春日大社の神殿はとくに春日造と称され、現在の本殿は1863年(文久3年)に再建されたもので、古神宝類と共に国宝となっている。若宮神社、南門など多くの社殿と神宝が重要文化財に指定。1998年(平成10年)に、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録された。

春日大社MAP
春日大社map

春日大社への表参道は、鎮守の森として太古の森林が生い茂る神秘的な空間である。まさにパワースポットとして雰囲気を醸し出しており、鹿を観ながら森林浴するのも心地良い。だんだんと森が深くなって、灯籠も立派になってくると、春日大社の建物が見えてきて、やがて鮮やかな朱色の南門に辿り着く。

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春日大社 春日の杜(交差法)
(平行法)
春日大社 春日の杜(平行法)

(交差法)
春日大社 南門(交差法)
(平行法)
春日大社 南門(平行法)

(交差法)
春日大社 中門・御廊(交差法)
(平行法)
春日大社 中門・御廊(平行法)

春日大社の参道から『飛火野』と称する総面積約660ha(ヘクタール)の広大な公園に出た。古くは『春日野』とも呼ばれ、御蓋山を仰ぐ古代祭祀の地であり、万葉の昔には貴族たちが、打球(ポロ)をしたことが知られ、平安時代にも王朝人の憧れで、 特に若菜摘み、花見など春の遊びの名所であった。古代の人の信仰と自然を愛する心が体感できるような優雅な雰囲気が伝わってくる。芝生の美しい広々とした野原が広がり、その中に一際立派な楠の大木が目立つが、これは、1908年(明治41年)陸軍大演習後、飛火野で催された饗宴の際の明治天皇の玉座の跡に、記念植樹されたものだとのこと。この美しい芝地では、鹿が優雅に群れ遊ぶ姿を観ることができる。

(交差法)
奈良公園 飛火野(交差法)
(平行法)
奈良公園 飛火野(平行法)

広大な芝地を抜けると『浅茅が原』と称する春日参道の景勝地がある。重要文化財の円窓亭や片岡梅林、鷺池の水面に映える『浮見堂』があり、桜や紅葉が楽しめる名所となっている。浮見堂は、1916年(大正5年)に建てられた、桧皮葺(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂。今の姿は、1994年(平成6年)に修理されたもの。鷺池の岸から純和風の橋が掛かっていて、渡っていくと中で座って景色を眺められるようになっている。この辺りは、観光客の姿もそれほど多くなく、地元の犬の散歩コースになっているようなところだが、写真を撮っている人や人力車もよく来るので、「隠れスポット」の憩いの場所として知られる。

(交差法)
奈良公園 浮見堂・鷺池①(交差法)
(平行法)
奈良公園 浮見堂・鷺池①(平行法)

(交差法)
奈良公園 浮見堂・鷺池②(交差法)
(平行法)
奈良公園 浮見堂・鷺池②(平行法)

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奈良公園 浮見堂・鷺池③(交差法)
(平行法)
奈良公園 浮見堂・鷺池③(平行法)

(交差法)
奈良公園 人力車①(交差法)
(平行法)
奈良公園 人力車①(平行法)

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奈良公園 人力車②(交差法)
(平行法)
奈良公園 人力車②(平行法)

(交差法)
奈良公園 浅茅が原(交差法)
(平行法)
奈良公園 浅茅が原(平行法)

浅茅が原を抜けると、閑静な場所に桧皮葺の茶席風建物が点在しており、しばらく歩くと『興福寺』の五重塔が見えてきた。興福寺は、京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山階寺が前身。飛鳥を経て、710年(和銅3年)平城遷都に伴い、藤原不比等によって現在地に移転され、興福寺と名付けられた。以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄した。奈良時代初期には四大寺の一つにあげられ、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めた。1180年(治承4年)の平重衡の南都焼討ちによって焼失した堂塔は、鎌倉時代に復興を遂げたものの、その後の相次ぐ失火や火災によって大半の建物を失った。

興福寺MAP
興福寺map

境内には光明皇后創建とされる興福寺五重塔(室町時代再建・国宝)、聖武天皇創建とされる興福寺東金堂(室町時代再建・国宝)、三重塔(鎌倉時代再建・国宝)、元明天皇・元正天皇創建とされる興福寺北円堂(鎌倉時代再建・国宝)の国宝建築物をはじめ、興福寺南円堂(江戸時代再建・重要文化財)、興福寺国宝館、中金堂などが立っている法相宗の総本山。また多くの天平時代の仏教彫刻の名品など、国宝40点 重要文化財19点、国内にある国宝仏像彫刻の17%を展示していることにあらためて驚愕する。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産にも登録されている。現地に着いたのが16:40で、国宝館には、あまりにも有名な阿修羅像などが展示されているのだが、残り20分(閉館17:00)では、じっくり観ることができないことと、撮影一切禁止だったので入館は諦めることにした。

(交差法)
興福寺 五重塔・東金堂(交差法)
(平行法)
興福寺 五重塔・東金堂(平行法)

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興福寺 五重塔(交差法)
(平行法)
興福寺 五重塔(平行法)

(交差法)
興福寺 南円堂(交差法)
(平行法)
興福寺 南円堂(平行法)

興福寺の南側の石段を降りると『猿沢池』が見えてくる。周囲360mのこの池は、興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつとなっている。興福寺では、万物の生物を慈しみ、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める「放生会」と称する宗教儀式があり、その行事の放生池として、749年(天平21年))に造られた人工池であるとのこと。

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興福寺 五重塔・猿沢池(交差法)
(平行法)
興福寺 五重塔・猿沢池(平行法)

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興福寺 南円堂・猿沢池(交差法)
(平行法)
興福寺 南円堂・猿沢池(平行法)

ここまで、森林や芝地を経由してきたが、市街地のすぐ近くまで来たことを実感できた。予定していた東大寺春日大社奈良公園興福寺と云う定番コースを満喫でき、最後は、すぐ傍に位置する『ならまち』と称する奈良市の都市景観形成地区を目的もなく散策してみることにした。この界隈は、狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。略全域が元興寺の旧境内にあたるとのこと。町屋の原型を保ちつつ現代風に改装された飲食店や雑貨店、公共文化施設、社寺が町内各地に点在することから、奈良の新たな観光スポットとして各方面から注目を集め、細かく入り組んだ路地を歩きながら歴史的風情を楽しむ観光客で賑わっている。

ならまちの精肉店『おかにし』
(交差法)
ならまち 精肉店『おかにし』(交差法)
(平行法)
ならまち 精肉店『おかにし』(平行法)

雰囲気のある通りを歩いても、ケチな性分故に小洒落たカフェなど見向きもしない。お土産品の仏像などには相当心が動かされたが、「修学旅行生じゃあるまいし・・・」と嫁さんに諌められ、購入を諦めた。お互いに考えが一致したのは、『おかにし』という精肉店の行列に足が止まり、メンチカツ(テイクアウト)を購入した。肉屋のメンチカツだけあって、美味しいお肉の味がした。日も暮れてきたので、二人とも好物の「柿の葉寿司」を買って近鉄電車で大阪に戻った。

東大寺空撮

奈良は二度目の探訪であり、一度目は東大寺も興福寺も訪れなかったのだが、不思議に“懐かしい”感覚が湧いてくる。邪馬台国の所在地には諸説あるが、卑弥呼の時代(3世紀前半)から、奈良が我国の中心的な地域であったことは明確である。古墳時代・飛鳥時代・奈良時代と続いた奈良の地は、都として日本の礎を築いてきた場所であったことが“歴史の息吹”と共に“日本の心の故郷”を訪れた人々に感じさせるのだと、勝手に解釈している。奈良には1300年以上も経過した物が多く残っており、感覚的に歴史を捉えることができる場所でもある。

奈良の大仏

奈良と京都はいずれも日本を代表する古都であるが、京都は、“古都”のイメージ通りで、数多くの社寺が存在し、街の規模も大きく、飲食店やお土産物屋さんも豊富。大きな博物館や二条城など、社寺だけではない楽しみ方もでき、海外からの観光客なら尚更、古都のイメージを堪能できる場所なのかも知れない。一方の奈良は、京都ほど観光客で溢れ返るような大混雑はないが、飲食店・お土産物屋・宿泊施設・大きな商業施設なども少なく、物足りなさを感じる面もある。一方で奈良には、堂々たる社寺建物や心を癒やす仏像、街を歩く鹿の姿など、“いにしえの都”のイメージがあり、「古き良き日本の原風景」として不思議に心が落ち着く歴史街道であり、そう考えれば、我々と同じく夫婦で散策する姿を良く見かけたことも頷ける。

JR西日本『三都物語』キャンペーン

JR西日本は、1990年(平成2年)に『三都物語』と称して、新幹線や新快速で繋がる 京都・大阪・神戸を纏めてアピールすると同時に、各々のエリアには、私鉄ではなく、新幹線や新快速の利用をアピールするキャンペーンを打ち出したが、日本の礎を築いてきた“いにしえの都”を自負する奈良市民は“三都”の対象外の扱いに憤慨したと云う。三都物語のキャンペーンが始まった当時のJR西日本の大和路線や奈良線においては、近鉄路線に完敗状態であったこともあり、意図的に奈良を対象外にしたとも云われている。谷村新司が歌ったCMソングが印象的でイメージも強いこともあり、余計に奈良市民には憤りを感じる想いに苛まれたかも知れない。しかし近年においては、2010年に奈良県で開催された平城遷都1300年記念事業(平城遷都1300年祭)の公式マスコットキャラクターが、奇妙な容姿の為に物議を醸し出したことで、思わぬ話題性で知名度が高まり、2011年より奈良県のマスコットキャラクターとなった『せんとくん』は予想外に健闘していると云えるのではないだろうか。

せんとくん
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お花見ロード探訪記

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そもそもトレッキングシューズを購入したことから始まった。先般、阪急西宮ガーデンズMERRELL(メレル)のセールがあるを知り、以前私が購入したCHAMELEON II STORM GORE-TEX XCRの履き心地が良いと聴いた嫁さんが、この機会に購入したいということになり、CHAMELEON ARC2 GORE-TEXというレディース専用に決めたのだが、これに触発されて、私もどうしてもMERRELLの靴がもう一足欲しくなり、MOAB MID GORE-TEX XCRを購入し、季節や目的地や服装によって、二足のトレッキングシューズを使い分けて履くことにした。

MOAB MID GORE-TEX XCR(左)とCHAMELEON ARC 2 GORE-TEX(右)
MOAB MID GORE-TEX XCR CHAMELEON ARC 2 GORE-TEX

お揃いではないが、同じメーカーのシューズを夫婦で同時期に購入し、花見の季節も到来したとなれば、必然的に夫婦で出掛ける発想になり、思いつくまま週末に桜の名所に行ってみようということになった。夫婦二人きりなので、桜の木の下に陣取り、酒や食事を堪能するスタイルの花見などではなく、ウォーキングを兼ねて桜を堪能できる場所をひたすら歩き、気に入った風景をカメラに収めるといった花見スタイルで、三週連続の週末に新しいシューズを履いて出掛けたのである。

(交差法)
鶴見緑地公園①(交差法)
(平行法)
鶴見緑地公園①(平行法)

最初の週末に訪れた『鶴見緑地公園』は、大阪市と守口市に股がる大阪を代表する公園。1990年(平成2年)には、『国際花と緑の博覧会(花の万博)』が開催され、イベント終了後の会場跡地約126haに、咲くやこの花館、いのちの塔(展望塔)、陳列館ホール(大阪市立環境学習センター※通称・生き生き地球館)、水の館ホール(現在は花の万博20周年を機に愛称をハナミズキホールと命名)、体育館である鶴見スポーツセンター、風車を残して都市公園として再整備された。なお、風車は博覧会開催以前から存在したものである。広大な敷地内では、花と緑がおりなす豊かな自然を満喫でき、気軽にスポーツ・レクリエーションを楽しむことができる。現在の住まいから近いのだが、公園内の国際庭園はアップダウンもあり、巡回すれば結構な距離になる。各国の庭園を再現した国際庭園では、大阪の街には希な非日常的空間であるためか、コスプレのロケーション撮影が頻繁に散見される。

(交差法)
鶴見緑地公園②(交差法)
(平行法)
鶴見緑地公園②(平行法)

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鶴見緑地公園④(交差法)
(平行法)
鶴見緑地公園④(平行法)

(交差法)
鶴見緑地公園⑥(交差法)
(平行法)
鶴見緑地公園⑥(平行法)

現在のこの場所を公園にする計画は、1941年(昭和16年)に既にあったのだが、長年この一帯はゴミ処理場として利用された。大阪市は、1989年(平成元年)の市制100周年事業としての国内博覧会を開催する方向で、このゴミ処理場を公園にするために準備が進められ、鶴見緑地では1984年(昭和59年)から、博覧会に向けてのイベントが定期的に開催されていた。

(交差法)
鶴見緑地公園⑤(交差法)
(平行法)
鶴見緑地公園⑤(平行法)

当初は、1970年(昭和45年)大阪で万博を開いている為、次の大型国際博覧会は他都市開催が妥当としていたが、環境問題が深刻化する中、博覧会のテーマーが国の政策とも合致し、国際博覧会として1990年に開催されることが決定した。計画当初時の日本経済は冷え込んでいたが、1980年代後半辺りから日本経済はバブル景気を迎え、民間企業からの施設参加(資金提供等)は順調に推移、また民間企業からの寄付金の総額は国際博覧会史上最高を記録するなど、国内で大小数々のイベントが催されたバブル期でも国内最大規模の催事である。

(交差法)
鶴見緑地公園③(交差法)
(平行法)
鶴見緑地公園③(平行法)

私は『国際花と緑の博覧会』には行かなかったのだが、まだ独身の頃、現在の嫁さんとこの鶴見緑地公園を何気に訪れたことがある。その後、結婚二年目に鶴見区に引っ越してからは、休日に度々利用する公園となった。野外の心地よさに触発されて息子が初めて歩いた記念の場所でもある。博覧会へのアクセス路線として日本初の鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄として建設された『長堀鶴見緑地線(当初は鶴見緑地線)』は、現在の私の通勤路線として利用している。先月、息子が帰郷した際、久しぶりに家族三人で国際庭園をウォーキングするなど、我家族にとっては“原点”とも云える公園なのである。

(交差法)
鶴見緑地公園⑦(交差法)
(平行法)
鶴見緑地公園⑦(平行法)

次の週末に訪れた『毛馬桜之宮公園』は、大川の毛馬洗い堰(ぜき)から下流の天満橋まで延長4.2kmの河川敷を利用した河岸公園で右岸には造幣局や泉布観など明治初期を代表する建築物がある。桜並木は天満橋から桜之宮橋(銀橋)辺りを中心に、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラなど約4,800本が植えられており、夜遅くまでたくさんの花見客で賑わう。右岸沿いには造幣局、泉布観などの明治初期を代表する建物が並び、大川の流れに沿ったプロムナードに桜並木が続く。

(交差法)
毛馬桜之宮公園①(交差法)
(平行法)
毛馬桜之宮公園①(平行法)

(交差法)
毛馬桜之宮公園②(交差法)
(平行法)
毛馬桜之宮公園②(平行法)

(交差法)
毛馬桜之宮公園③(交差法)
(平行法)
毛馬桜之宮公園③(平行法)

この辺りは、昨年12月に訪れた、中之島の大阪市役所前~中之島公園で開催される『OSAKA光のルネサンス』の会場と川伝いに繋がっており、夜のイルミネーションとは、また違う風情で、河川敷の桜並木の向こうには、大阪城や大阪ビジネスパークが見え、都会のオアシスを感じられる場所でもある。川には船から桜を楽しめるクルーズが頻繁に行き来していたが、どの船も満席状態であった。

(交差法)
毛馬桜之宮公園④(交差法)
(平行法)
毛馬桜之宮公園④(平行法)

(交差法)
毛馬桜之宮公園⑤(交差法)
(平行法)
毛馬桜之宮公園⑤(平行法)

(交差法)
毛馬桜之宮公園⑥(交差法)
(平行法)
毛馬桜之宮公園⑥(平行法)

(交差法)
毛馬桜之宮公園⑦(交差法)
(平行法)
毛馬桜之宮公園⑦(平行法)

最後の三週目の週末は京都まで足を伸ばし、『哲学の道』近辺を訪れることにした。『哲学の道』は、五山の送り火で名高い大文字山の麓を疏水に沿って、若王子橋から銀閣寺橋へと続く約1.5kmの散策路。哲学者・西田幾多郎や田辺元が、思索にふけりながら歩いたことからこの名が付けられたと云われている。「思索の小径」と呼ばれていたものが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったとされており、1972年(昭和47年)に正式な名称となった。日本の道100選(1986年度に歴史性および親愛性を基準に53本、1987年度に美観性および機動性を基準に51本の道路を選定。※実際は104本選定)にも選ばれている散歩道である。春には数百本のソメイヨシノが花のトンネルを造り、多くの花見客が訪れる。6月にはホタルが飛び交うなど、豊かな自然を満喫できる。道沿いには若王子神社、大豊神社、霊鑑寺、安楽寺など由緒ある寺社も点在している。風に吹かれて桜の花びらが舞う、散り際の美しさも実に見事である。

(交差法)
哲学の道①(交差法)
(平行法)
哲学の道①(平行法)

(交差法)
哲学の道②(交差法)
(平行法)
哲学の道②(平行法)

(交差法)
哲学の道⑤(交差法)
(平行法)
哲学の道⑤(平行法)

『銀閣寺』は金閣寺と並ぶ京都楼閣建築の代表寺院。正式名称を慈照寺。室町幕府8代将軍の足利義政が文明14年(1482年)に開いた山荘である。足利義政の祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)を参考に、東山文化の代表東山山荘を造営した。義政はここを拠点に様々な文化を育んだ。1994年(平成7年)には「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されている。

(交差法)
銀閣寺①(交差法)
(平行法)
銀閣寺①(平行法)

銀閣寺の象徴「観音殿」は、金閣寺の金ピカ「金閣(舎利殿)」の色彩に比べて一見地味である。金閣寺は艶やか、銀閣寺は渋く「侘び・寂び」の趣。何故、銀閣と呼ばれているのに銀色ではないのか?という疑問に、応仁の乱などの財政難で銀箔が貼れなかったとか、実は昔は銀箔が貼られていた、という諸説があった。しかし科学調査の結果、銀が検出されなかった為、元々銀箔は貼られていなかったことが、2007年に発表された。

(交差法)
銀閣寺④(交差法)
(平行法)
銀閣寺④(平行法)

諸説はあるが、現在『銀閣寺』と称される有力な説は、
(1)義政の祖父が建てた北山文化の代表的建造物「金閣(舎利殿)」に対して「観音殿」は東山文化の代表的建造物、双方とも足利家の別荘・隠居所であったことから、江戸時代に2つを比較する呼称として"金閣"の名に対して"銀閣"と云われた。
(2)銀閣と称されるのが江戸時代以降のことであると云う推察から、錦鏡池と云う庭の池が月の光を反射して、黒漆塗りの外壁を銀色に輝かしたからという説に加えて、江戸時代に銀沙灘と向月台が作られ、これらもまた月光を浴びて白く光り輝く観音堂の様子を形容したことから銀閣、観音堂を含めた寺院全体を銀閣寺と云われた。
とされている。

(交差法)
銀閣寺②(交差法)
(平行法)
銀閣寺②(平行法)

戦国時代末期には前関白近衛前久の別荘にもなったが、これは慈照寺の歴代住持に近衛家出身者が多かったことによる。前久の死後は再び相国寺の末寺として再興された。1952年(昭和27年)には庭園が 特別史跡および特別名勝に指定された。庭園の木の美しさも然ることながら、庭園の順路の山肌には日本風情が漂う見事な苔が堪能でき、先般、アクアテラリウムの苔を新しく入れ替えた際と同様に、まるで緑の絨毯のような苔の美しさを再認識することが出来た。日本庭園の美は、苔の美の追求でもあると云える。

(交差法)
銀閣寺③(交差法)
(平行法)
銀閣寺③(平行法)

桜の花と周囲の景観を楽しみながら歩き、哲学の道は若王子神社に到達した。程良く汗をかいたので、桜の花のアイスクリームを食べながら少し休憩した後、まだまだ時間も歩く余裕もあったので、『平安神宮』、『岡崎公園』を目指して歩くことにした。

(交差法)
哲学の道③(交差法)
(平行法)
哲学の道③(平行法)

(交差法)
哲学の道④(交差法)
(平行法)
哲学の道④(平行法)

『平安神宮』は、1985年(明治28年)に平安遷都1100年祭に第50代桓武天皇を御祭神として創建された。神苑は約3万㎡の池泉(ちせん)回遊式庭園で、東、中、西、南の4苑にわかれ、四季折々の花を楽しむことができる(国の名勝に指定)。社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したものである。大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模している。その内側の左右の殿舎は朝集堂の再現である。外拝殿は朝堂院の正殿である大極殿(左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)を模している。

(交差法)
平安神宮①(交差法)
(平行法)
平安神宮①(平行法)

(交差法)
平安神宮②(交差法)
(平行法)
平安神宮②(平行法)

『岡崎公園』は、1985年(明治28年)開催の第4回内国勧業博覧会跡地の一部を公園地として指定されたもので、京都市を代表する総合公園の一つ。公園内にある代表的な施設としては、京都市美術館、京都市動物園、琵琶湖疏水やインクライン、京都府立図書館などがある。公園周辺には前出の平安神宮をはじめ、京都会館、京都市勧業館(みやこめっせ)、京都国立近代美術館など、様々な文化交流施設が集積している。明治時代に完成した疏水により,琵琶湖から毎日約200万㎥の水が引かれるようになり、当時最新の技術を取り入れた疏水は、この地に紡績,伸銅,機械,タバコ等の工業に生かされるとともに、風土に溶け込んで景観を形づくり,東京奠都で落胆していた京都市民への希望の光となったとも云われている。蹴上インクライン及び南禅寺水路閣は国の史跡に指定され,哲学の道のゲンジボタルとその生息地は京都市の文化財として登録されており,哲学の道及び岡崎公園周辺などとともに,市民や京都を訪れる人々にとって名所の一つとなったのである。

(交差法)
岡崎公園①(交差法)
(平行法)
岡崎公園①(平行法)

(交差法)
岡崎公園②(交差法)
(平行法)
岡崎公園②(平行法)

以前、東山~祇園を訪れた際にも感じたが、とにかく京都は観光客が多く、特に海外からの訪問者でいっぱいである。況してや桜の季節ともなれば顕著となり、写真撮影もなかなか思うようにならない面も多い。大阪からは比較的近いので、天気の良い日を選ぶことが出来るが、海外からの観光客は、必ずしも晴天に恵まれるとは限らない。翌日に関西地区は激しい雨に見舞われたことと、桜の花への影響を併せて鑑みれば、例え大勢の観光客であれ、晴天の中での京都散策が何よりであることを痛感した。それにしてもよく歩いたものだ。しかも三週連続で花の写真を撮影する散策など、過去にも経験ないのだが、場所は違えど徐々に桜の花の咲き具合の変化も感じられ、春の到来を直に感じる機会になった。新しいシューズの履き心地は上々であったが、さすがにお花見ロードの最後の京都のコースは、帰りの京阪電車が満員で座れなかったこともあり、疲労困憊で帰路についた。
 
04 2013
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広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
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