3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

五輪の仮説

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2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が決定した。決選投票で60票を獲得して過半数の票を得た東京が36票のイスタンブールを破り、1964年(昭和39年)の東京オリンピック以来56年ぶりの夏季オリンピック開催地に選ばれ、同一都市での2度目の開催はアジアでは初となった。

2020年の五輪開催を引き寄せた東京招致団 ※都内で行われた招致出陣式
東京五輪誘致団

正式名称:第32回オリンピック競技大会(The Games of the XXXII Olympiad)は、全28競技を2020年7月24日(金)~8月9日(日)で開催され、正式名称:第16回パラリンピック競技大会(Tokyo 2020 Paralympic Games)は、全22競技を2020年8月25日(火)~9月6日(日)で開催される。

56年ぶりの東京オリンピック開催決定の瞬間 ※アルゼンチン・ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会にて
東京五輪決定の瞬間

個人的には、近年のオリンピックを夜中まで起きてテレビ観戦して寝不足に陥る程、入れ込むことは無いのだが、個性的な建造物、中でも取分け巨大なスタジアムには元々興味がある為、オリンピックの大会ごとのメインスタジアムの建設コンペにもWEB上で注目していたこともあった。

北京オリンピック(2008年)メインスタジアム(左) / ロンドンオリンピック(2012年)メインスタジアム(右)
Beijing London Olympic Stadium

1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックは、私がこの世に誕生して、一年半後に開催された大会だけに覚えている訳が無く、後々にテレビ放映で観た市川昆監督の『東京オリンピック』(1965年東宝作品)などの映像の印象しか無いが、自分自身が生活経験のある東京で繰り広げられるオリンピック大会そのものと開催までの都市の変化やスタジアム建設の経緯などに注目しながら、間違いなく最も身近に感じられるオリンピックが、最も印象的なオリンピックになることを期待して已まない。

『東京オリンピック』(1965年東宝作品)ポスター
『東京オリンピック』(1965年東宝作品)

2020年夏季オリンピックが東京開催となったことは、経済再生を掲げる安倍政権にとって願ってもない「追い風」になると云われる。五輪関連施設、高速道路などのインフラ整備や、観光立国の実現、フルハイビジョンの約4倍の画素数規格「4K」や約16倍の画素数規格「8K」の普及加速など、さまざまな経済効果が見込まれると仮説されているが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックやその後の幻となったオリンピック構想を振り返りながら、その“仮説”を思い巡らせてみることにする。2020年の東京オリンピック競技大会までにこのブログが継続しているか否かは全く自信もなく保証もできないが、自国開催を巡る変化や開催後も語り継がれる事象を目の当たりにし、後年にこの仮説を読み返してみると面白いかも知れないと考えたのである。

1964年(昭和39年)東京オリンピック
東京オリンピック

まず前回の東京オリンピックから振り返るが、実は第二次世界大戦前に幻となった東京オリンピック大会の存在を知り驚愕した。1936年(昭和11年)当時の「五大国」の1つに数えられた日本の首都の東京(当時は東京市)での1940年(昭和15年)大会開催が、国際オリンピック委員会(IOC)で決定し、それ以降には開催の準備が進められていたものの、1937年(昭和11年)7月の盧溝橋事件勃発以降、日本に対する国際的な批判の高まりを背景として、東京でのオリンピック開催に反対する動きが各国で強まり、日本政府は1938年(昭和13年)7月に東京大会開催返上を決定した。1940年(昭和15年)大会の代替地として、オリンピックの招致合戦で東京の次点であったフィンランドの首都であるヘルシンキが予定されたが、第二次世界大戦の勃発によりこちらも中止となった。

1940年(昭和15年)幻の東京オリンピックのポスター(左) / 東京オリンピック開催を祝う人々(右)
Tokyo1940.jpg  幻の東京オリンピック

同じ段階で、皇紀2600年(神武天皇が即位を元年とする紀年法で、西暦1940年に当たる)記念祝典行事として、東京で万国博覧会を開催することを既に決定していたのだが、同様の理由で開催の延期を決定している。この計画は”中止”ではなく”延期”とされていたので、30年後の大阪万博はこれと同じ『日本万国博覧会』という正式名称がつけられた。

皇紀2600年(1940年) 東京国際万国博覧会の月島に計画された会場模型
東京国際万国博覧会 会場模型 

翌年の1941年(昭和16年)真珠湾攻撃により太平洋戦争に突入する日本は、開戦前年にオリンピック大会と万国博覧会を開催を決定していたことにあらためて驚かされ、その後の日本の行く末を鑑みれば、景気が良く勢いを増していく世相と戦争へ突き進んでいく世相との紙一重の恐ろしさを思い知らされる。

東京国際万国博覧会の月島会場完成予想図
東京万博会場完成予想図

1940年大会の開催権を返上した東京は1960年(昭和35年)のオリンピックに立候補したが、開催地投票でローマに敗れた。次に1964年(昭和39年)の大会に立候補し、1959年(昭和34年)5月26日に西ドイツのミュンヘンにて開催されたIOC総会において欧米の3都市を破り開催地に選出された。アジア地域初であると同時に有色人種国家における史上初のオリンピックとなった。

1964年(昭和39年)東京オリンピックのポスター
Tokyo 1964 poster

歴史的には、第二次世界大戦で敗戦し急速な復活を遂げた日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持った。又、1940年代~1960年代にヨーロッパ諸国やアメリカによる植民地支配を破っていたアジアやアフリカ諸国が次々と独立を成し遂げ、それらの国の初出場が相次ぎ、過去最高の参加国数(93ヶ国)となった。オリンピック大会期間中にソ連書記長のフルシチョフが解任され、中国が初の核実験を行い、アメリカ、ソ連、イギリス、フランスに続く5番目の核保有国となるなど、激動の大会となった。

1964年(昭和39年)10月10日 東京オリンピック開会式
Tokyo1964.jpg

1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックは、戦後日本の復興を象徴する歴史的大事業であった。東京オリンピック開催が日本にもたらした影響としては、東京オリンピック開催を契機に競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資が行なわれ、日本経済に「オリンピック景気」と云われる怒涛の勢いの経済成長をもたらしたのである。東京オリンピック開催までの集中的な開発内容の多くは、都市機能とし現在も利用されているものも多く、云わばこの時代に今日の東京の屋台骨が築かれていたと云っも過言ではない。

YS-11(左) / 東京モノレール(中) / 東海道新幹線(右)
YS-11MonorailShinkansen.jpg

開催地の東京では、オリンピック開催に相応しい近代都市に大改造する絶好の機会となり、競技施設のみならず地下鉄やモノレール、ホテル、首都高速道路など様々なインフラ整備が行なわれた。8月には日本初の国産旅客機YS-11が初離陸し、9月9日には “聖火号”と称するYS-11が、沖縄(当時アメリカ統治下)~鹿児島間をオリンピックの聖火を乗せて到着した。羽田空港~浜松町を結ぶ東京モノレールは開会式前の9月17日に開業した。都市間交通機関の中核として、当時7時間掛かっていた東京(首都圏)~名古屋(中京圏)~大阪(京阪神)を3時間(開業年度は4時間)で結ぶ東海道新幹線が開会式9日前の10月1日に開業した。競技や施設を観る旅行需要が喚起され、日本を代表するホテルオークラホテルニューオータニもオリンピック開催期間の外国人滞在客を見込んで建設されている。

開業時のホテルオークラ(左) / 開業時のホテルニューオータニ(右)
Hotel Ohkura Hotel New Ohtani

首都高速道路の建設は急ピッチで進められ、東京国際空港(羽田空港)から国立競技場(その先の新宿まで開業)まで繋がり、途中で銀座・東京駅(呉服橋)・皇居周縁・国会議事堂・霞ヶ関官庁街などの主要施設を経由する高速道路ルートが大会前に完成したが、用地買収の期間を省くために日本橋川上空などが利用され、日本橋も首都高速道路の高架の下に隠れる事となり、東京都心部の親水空間は減少した。道路整備事業の一環としては、隅田川の佃大橋が開通し、これに伴い隅田川最後の渡し船「佃の渡し」が廃止された。道路のみならず通勤ラッシュの混雑が深刻化していた鉄道も整備の対象となり、地下鉄 日比谷線や東西線の新設、国鉄 中央線(中野~荻窪間)の高架下、オリンピックのマラソンコース決定に伴う京王線の地下化が施された。

日本橋の上の首都高速道路の高架工事
nihonbashi.jpg

更にこのオリンピックの特筆すべき点は、海外に向けてテレビ中継された最初のオリンピックであったことである。1936年のベルリンオリンピックが初めてテレビ中継された大会ではあるが、ドイツ国内のみの放映であった。日本でテレビの本放送が開始されて約10年経過し、このオリンピック放送を見るためのテレビ購入の飛躍的増加し、既にテレビ普及率は87.7%に達していた。テレビ購入者が増えたため「テレビ番組」の視聴者も多くなった。尚、このオリンピックは、カラー放映もされたが、カラーテレビの普及率は僅か1%未満とまだまだ低かった。

東京オリンピックを中継するテレビ(左) / 当時のテレビの広告(右)
1964television.jpg   television1964.jpg

この当時の様子は、シリーズ三作目となる『ALWAYS三丁目の夕日’64』で、東京オリンピック開催時の情景を描かれており、戦後19年目にして見事な復興を遂げ、高度経済成長の真っ只中で活気に溢れ、オリンピック開会式の10月10日、航空自衛隊のブルーインパルスのアクロバット飛行による五輪マークの飛行機雲が、秋晴れの空に浮かび上がった。

ブルーインパルスのアクロバット飛行による五輪マーク 実写(左) / 『ALWAYS三丁目の夕日’64』のCG再現シーン(右)
ブルーインパルスの五輪

その素晴らしい光景を眺めながら夕日町(架空の街)の人々が、日本は更に良くなっていくと希望に満ち溢れるシーンは、原作のテーマとも合致しており印象的である。

当時の東京は高層建築物は少なく、都内各所から五輪マークの飛行機雲が見えたと云う。
ALWAYS三丁目の夕日’64

因みに開会式で聖火を点灯した最終ランナーの広島県出身の早稲田大学競走部 坂井義則選手は、広島に原爆が投下された1945年(昭和20年)8月6日に誕生し、それから19年後には、逞しきアスリートに成長したことを誇示する演出であったとのこと。

聖火を点灯した最終ランナー 坂井義則選手
Olympic Flame

『ALWAYS三丁目の夕日』シリーズ第一作目では東京タワーの建設~完成が描かれ、第二作目では、日本橋の真上に首都高速道路が開通する事を示唆する場面があり、第三作目でオリンピック開催や開通直後の東海道新幹線が描かれている。こうしてみれば、東京スカイツリー東京ゲートブリッジが完成し、玄関としての東京駅も歴史と先進性が融合した魅力ある駅舎に再生され、世界最大のメガシティとして整備された状況での東京オリンピックの開催決定など、当時の東京の状況を彷彿させる。

2012年(平成24年)に完成した東京ゲートブリッジと東京スカイツリー
ゲートブリッジスカイツリー

残念ながら、東京~大阪間を最速67分で結ぶと試算されている超電導磁気浮上式リニアモーターカー「中央新幹線」は、東京~名古屋間は2027年の先行開業、東京~大阪間の全線開業は2045年の予定となっており、2020年の東京オリンピック開催には間に合わない。

超電導磁気浮上式リニアモーターカー 現在は42.8Kmへの実験線延伸工事と実用化確認試験段階
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日本の高度経済成長期は、1955年(昭和30年)~1973年(昭和48年)の18年間とされ、1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、その真っ只中でもあり、折り返し地点だったのかも知れない。

1957年(昭和32年)の東京
高度経済成長期

1970年(昭和45年)の大阪万博が終ると景気の後退が顕著になり、急成長による日本の輸出増大は貿易摩擦に発展した結果、1971年(昭和46年)ニクソンショックを招き、1973年(昭和48年)に第4次中東戦争が勃発し原油価格が高騰したことで、オイルショックが発生。日本は戦後初のマイナス成長を記録し、高度経済成長期は終焉を迎えることになる。

1970年(昭和45年)の大阪万博 ※日本万国博覧会(EXPO'70)
大阪万博


その後の安定成長期を乗り越え、バブル経済、バブル崩壊、リーマンショックなど経済の紆余曲折の流れにおいても日本はオリンピック誘致を目論んでいた。これらのオリンピック構想は、破竹の勢いの高度経済成長期での東京オリンピックとは異なり、経済回復の起爆剤を期待したものであることは間違いない。このたびのオリンピックの東京誘致において、五輪招致団メンバーによるIOC委員への東京をアピールした最終プレゼンのスピーチは秀逸だったが、幻となったこれらのオリンピック構想における仮説の繰り返しが、招致プランを導く模索検討にさまざまな教訓をもたらしている筈である。

滝川クリステルのプレゼンスピーチ 「おもてなし」の心をアピール
OMTENASI.gif

【名古屋オリンピック構想】
名古屋誘致活動のポスター(左) / ソウルオリンピックのポスター(右)
Nagoya1988 logo Seoul-1988-Olympics-logo.jpeg 
ドーピングが話題になった男子100m ベン・ジョンソン(右端)
Seoul1988.jpg
1988年夏季オリンピックの開催を愛知県名古屋市で目指していた構想。名古屋市千種区の平和公園にメインスタジアムを建設し、愛知県、岐阜県、三重県の東海3県の広域開催が計画されていた。1981年のIOC総会での決選投票により、52:27で韓国のソウルに決定し開催は実現しなかった。招致活動が行われた1977年から1981年当時は冷戦下だったため、日本オリンピック委員会の分析では、北朝鮮と親交が深いソ連や東欧諸国はソウル開催となった場合不参加となるであろうと予想し、楽観ムードが漂っていた。それに対して韓国はIOC委員への接待を激しく設けて逆転に結びつけた。

【大阪オリンピック構想】
大阪誘致活動のポスター(左) / 舞洲スポーツアイランドのメイン会場プラン(右)
Osaka 2008 poster Osaka2008.jpg
2008年夏季オリンピックの開催を日本からの立候補都市を大阪市と横浜市で選考した結果、1997年の日本オリンピック委員会(JOC)総会での決選投票により、日本からの立候補都市は大阪市(大阪オリンピック構想)に決定して誘致を目指していた構想。メイン会場は大阪市北港(此花区)にある人工島の舞洲におき、総合スポーツ公園「舞洲スポーツアイランド」にメインスタジアムやサッカー場、体育館(舞洲アリーナ)など主要な競技施設を集約するほか、インテックス大阪や長居公園陸上競技場(長居スタジアム)など市内各地の既存スポーツ施設で開催することを目指した。開会式は天神祭の開催に合わせて7月下旬に実施することも計画されていた。「世界初の海上オリンピック」も目玉としていた。2001年7月の第112次IOC総会での投票により中国の北京市に決定し、開催は実現しなかった。

【2016年東京オリンピック構想】
東京誘致活動のポスター
Tokyo-2016-Olympics-logo.jpg
2016年夏季オリンピックの開催を日本からの立候補都市を東京都と福岡市で選考した結果、2006年のJOC総会での決選投票により、日本からの立候補都市は東京都に決定して誘致を目指していた構想。東京都知事の石原慎太郎が提唱し、招致活動が進められていた。実現すれば、日本の夏季オリンピックでは1964年の東京オリンピック以来52年ぶり、日本では長野市(長野県内各地)で1998年冬季オリンピックが開催されて以来18年ぶり、21世紀になってからは日本での初開催となる筈であった。また、アジアでは初の夏季五輪の2回開催を目指していたが、2009年にコペンハーゲンで行われたIOC総会の開催都市の第2回目の投票で最小得票数だったため落選し招致に失敗した。
2016年東京オリンピック誘致競技場プラン ※多くは2020年大会に引き継がれる。
TOKYO2016.jpg

【広島・長崎オリンピック構想】
メインスタジアムとしての広島ビッグアーチ増設案 / 秋葉忠利広島市長(手前右側)と田上富久長崎市長(奥左側)
Hiroshima2020.jpg Japanese cities Hiroshima and Nagasaki considering joint bid to host 2020 Olympic Games
「平和の祭典」と称されるオリンピックを世界初の被爆都市である広島市と長崎市で開催することで「核兵器廃絶」と平和の尊さを世界に訴えるという主旨で、オリンピック憲章にある1箇所開催原則を覆そうとした日本で初めての構想であり、実現すれば近代オリンピックの歴史で初めての複数都市での共同開催になる。誘致理念より全国様々な人から賛同されたが、秋葉忠利広島市長と田上富久長崎市長だけで構想を固めて唐突に発表し、IOC及びJOCから即刻却下された為、共催実現に向けた具体案は何も提示されなかった。その後、長崎市が共催断念し、広島市単独での開催構想も秋葉の後任松井一實広島市長により招致断念が発表された。奇しくもその二日前に東京都知事選挙で再選された石原慎太郎が2020年夏季オリンピックへ立候補の意欲を表明し、石原慎太郎が知事職を辞職した後、後任の猪瀬直樹が招致委員会の会長を引継ぎ、東京開催決定に至っている。

2020年東京オリンピック競技会場全体図
Tokyo2020olympiczone.jpg

2020年の東京オリンピックは都心部やベイエリアを中心とした半径8Km圏内で、全35競技会場のうち28会場を配置するコンパクト仕様。施設もできるだけ既存の物を活用した上で、競技場や選手村の建設・改修に要する総工費を約4500億円と見積もっているとのこと。再開発が進む東京湾岸の東京・晴海に建設が予定されている選手村は、約1万7千のベッドを備えた複数の居住棟の建設が計画され、オリンピック終了後はマンションに転用される。東京都は早ければ平成26年度に事業者を公募・選定する予定とのこと。この晴海付近は昨年まで実際に家族で生活していた家の近隣地域であり、馴染みのある場所でもある故に、個人的には今後の変貌への期待と共に開発後の変化に対する複雑な想いが交錯することを今から予測している。

昨年まで三年間生活した東雲・豊洲・晴海地区
東雲・豊洲・晴海地区

このオリンピックのメイン会場となる「新国立競技場」は2018年に完成予定で、開会式、閉会式、陸上、サッカー、ラグビーの会場として使用される予定。1964年の東京オリンピックに合わせて作られた現在の国立競技場を建て替える。収容人数は8万人、総工事費は1300億円。屋根は開閉式で雨天にも対応する。またサッカーなど球技開催時は陸上トラックの部分に観客席が移動する仕組みを備えている。2019年に開催されるラグビー・ワールドカップでの使用も決定している。

2020年 東京オリンピックのメインスタジアム新国立競技場 完成予想図(外観)
新国立競技場

新国立競技場のデザインは、曲線、直線をダイナミックに扱う斬新な作風で、2004年には「建築界のノーベル賞」と称されるプリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)を受賞している建築家ザハ・ハディド(Zaha Hadid)の作品が激戦の末に選ばれた。建設計画については、予算オーバーを危ぶむ声もあると云う。

2020年 東京オリンピックのメインスタジアム新国立競技場 完成予想図(内観)
新国立競技場内観

1964年の東京オリンピックをはじめ、さまざまな名勝負の舞台となってきた現在の国立競技場は2018年の建て替え完成に向け、2014年の7月から解体工事が始まる。

2014年7月から解体工事が始まる現在の国立競技場
国立競技場

余談ではあるが、大友克洋氏の名作『AKIRA』(1982年12月20日~1990年6月25日『週刊ヤングマガジン』連載作品)が、2020年の東京オリンピック開催を予言していたことが巷で話題になっている。1982年、東京は「新型爆弾」により崩壊。これが世界大戦争のきっかけとなり、世界は荒廃していく。2019年。東京湾上には、超高層ビルが林立する新首都「ネオ東京」が建設されており、その繁栄は爛熟の極に達していた。いまだ再建されていない「旧市街」でも2020年の東京オリンピック開催を機に再開発工事が進められようとしていたのだが、再建途中の首都が再び破壊される危機にも直面する。1980年代には既に未来に対するネガティブな発想を抱き始めた時代風潮も影響しているが、『AKIRA』での予言のように、世界の終末への序章のような世界観は想像したくない。

『AKIRA』 ネオ東京の地図(左) / 『AKIRA』 2020年開催予定の東京オリンピックのメインスタジアム(右)
NEO TOKYO AKIRA Tokyo2020

敗戦後の焼け野原状態から奇跡の復興を遂げた日本は、高度経済成長という名の巨大なタイムマシーンと化して未来に向かってモーレツなスピードで疾走した。高速道路や新幹線が整備され、国際都市として生まれ変わった東京でオリンピックが開催され、それは過去のSF小説や少年雑誌の未来予想画報の世界が着実に現実化していくような日々であった筈だ。果たして2020年の東京オリンピック開催が、未来の日本にどんな仮説を示していくのだろうか・・・・・。

「HORIZON CAR」小松崎 茂・絵(昭和35年)ジェットエンジンやプロペラの付いた近未来の弾丸超特急なのである。
小松崎茂イラスト
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2D⇒3D化中毒

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相互リンク先のkim uraさんから教えていただいた前回記事の2D⇒3D化ソフト“seeneon”にすっかりハマッてしまい、前回同様、幼い頃に慣れ親しんだ画像の中から、あらためて立体視してみたい画像を次々に生成していった。

(交差法)
長嶋茂男(交差法)
(平行法)
長嶋茂男(平行法)
1974年10月14日、巨人軍のみならず日本プロ野球界を牽引してきたスーパースター長嶋茂雄引退試合の画像。懐かしい後楽園球場で行われた巨人対中日のダブルヘッダーの第一試合終了後にファンに手を振りながらグラウンドを一周する姿である。長嶋茂雄のデビューと共にプロ野球人気が盛り上がったことから、日本の高度経済成長期とイメージが重なる描写が多く、この引退試合は、高度経済成長の終焉と併せて、長らく無敵であった巨人軍連覇がV9で途絶えたことを強烈に印象づけた。引退セレモニーのスピーチでは「我が巨人軍は永久に不滅です!」という言葉を残したが、翌1975年のシーズンは巨人軍監督として指揮を採り、球団史上唯一のリーグ最下位に陥り、同じ後楽園球場での10月15日の広島最終戦で広島球団初優勝の胴上げを目の前で許し、巨人中心のプロ野球の勢力地図が大きく変化していくことを予感させる序章となった。


作業していく中で気付いたのだが、近景にあるものから赤色系統の濃い色を塗り、遠景ほど色が薄くなる方法を用いていたが、seeneonで生成してみると、crossとparallelのタイトル表記が逆になっていたことを不思議に感じていた。

(交差法)
ultraseven(交差法)
(平行法)
ultraseven(平行法)
『ウルトラセブン』(昭和42~43年放映)は『ウルトラマン』(昭和39~40年放映)を一歩進めたコンセプトで地球防衛軍の組織描写をメインにすべてがクレードアップした特撮番組であった。反面、『ウルトラマン』の牧歌的な雰囲気や明るさ、朗らかさは影を潜め、クールな感覚でよりSF色の濃い内容となり、それは陰と陽の関係であった。王、長嶋に例えると、『ウルトラセブン』が王、『ウルトラマン』が長嶋であり、当時のONが無敵であった様にこの二作品は、日本の誇る特撮ヒーロードラマの最強シリーズなのであった。『ウルトラマン』終了後、東映制作による『キャプテンウルトラ』が半年間に渡って放送され、その間に制作体制が固められ、「敵は宇宙からの侵略者に統一する」という方向性が示された上で、新たな路線を目指すために試行錯誤が続いた。本作の舞台は1987年の近未来と設定されているが劇中では明言されていない。


このソフトの使用方法が詳しく紹介されているサイトによれば、本来は、近景ほど薄い色に塗るのがこのソフトの標準作業らしく、私はまったく真逆の色塗り方法を選択していたようである。

『トラ・トラ・トラ』(1970年作品)映画ポスター
Tora! Tora! Tora!

(交差法)
Tora! Tora! Tora!(交差法)
(平行法)
Tora! Tora! Tora!(平行法)
太平洋戦争の火蓋を切った1941年12月8日(米国日付は7日)真珠湾奇襲作戦の全貌を描いた大型戦争映画『トラ・トラ・トラ』(1970年作品)における故田村高廣(写真右端)演じる淵田美津雄総隊長(海軍中佐)機である97式艦上攻撃機での一コマである。ハワイ オアフ島に達したあたりで、真珠湾上空に敵機が皆無であることから、「水木(兵曹)発信。我奇襲に成功せり!トラ・トラ・トラや!!」と云う関西弁が印象的な名場面が甦る。日本側場面は当初、黒澤明で進められていたが、20世紀フォックスの製作陣との衝突により降板させられ、舛田利雄・深作欣二を後任監督にするなどのハプニングもあったものの、日米両国の動きとその立場を公平且つリアルに描いていることから、日本では高い評価を受け、熱狂をもって受け入れられた。当時、米国での興行成績は振るわなかったが、『パール・ハーバー』(2001年作品)が、戦争映画としては設定・考証面で史実を無視あるいは大幅に脚色した演出が多くなされており、特に滑稽とも言える日本軍の描写やCG処理の乱用が物議を醸し出したことで、本作品の真価があらためて評価されることになった。


しかし、近景は色濃く、遠景は色薄く塗るやり方が、幼い頃からの水彩画手法にも馴染んでおり、結果的に立体視できる画像ができれば良いのだ、と割り切り、ファイル保存時のタイトル表記さえ間違えなければ、特に問題はない、と考えるようにし、やり方を変えることなく、3D画像生成に取組み続けた。

(交差法)
riderkick(交差法)
(平行法)
riderkick(平行法)
初めて1号・2号の仮面ライダーが共演したのが昭和47年1月1日に放送された第40話「死闘!怪人スノーマン対二人のライダー」である。ヨーロッパに行っていた本郷猛(1号)が帰国参戦して一文字隼人(2号)と初共演を果たし、続く第41話「マグマ怪人ゴースター 桜島大決戦」ではタイトル通り鹿児島の桜島でロケが行われ、仮面ライダー全作品中トップの30.1%という高視聴率を記録した。このとき登場する初期のピンクの眼とは異なる赤い眼の1号ライダーをファンは「桜島1号」と呼び特別な愛着を抱いている。元々、第9話、第10話の撮影中に本郷猛役の藤岡弘がバイク事故で出演不可能になるというアクシデントが起きていなければ、ダブルライダーの勇姿は拝めなかったし、『仮面ライダー』としてのロングラン放映(昭和46~48年放映)も実現しなかったのかも知れない。

仮面ライダー2号 仮面ライダー1号・2号 仮面ライダー1号



嫁さんと大学が夏休みで帰阪している息子は、訳の判らない赤鬼のような人物画の色塗りを必死に続けていることに対して、冷ややかな視線を感じていたが、完成した3D画像を眺めて、“オオ~っ”という感激からなかなか抜け出すことができず、どうやら中毒症状をおこしてしまったようである。

(交差法)
マジンガーZ(交差法)
(平行法)
マジンガーZ(平行法)
巨大な人型ロボットに主人公が乗り込み操縦するという、「巨大ロボットアニメ」と呼ばれる分野での初めての作品である永井豪の『マジンガーZ』(昭和47~49年放映)は、後の『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』等の起源となる日本テレビアニメの歴史において大きな節目となった。当初マジンガーZは単独では空を飛べず、機械獣の出現場所まで駆けつけるジレンマに苛まれたが、ジェットスクランダーとの合体によりマッハ3(改造後マッハ4.5)の飛行能力を得て弱点を完全に克服した。この作品の大ヒットによって“超合金”や“ジャンボマシンダー”などの関連玩具が爆発的に売れ、水木一郎の唄う主題歌レコードも、日本で70万枚を超える大ヒットとなり、商業的な面でのシステムを確立したという点でも画期的であり、日本アニメ及びそのキャラクタービジネスにとって重要なターニングポイントになった記念碑的な作品と云える。


お盆休みには尾道に帰郷し、親父の墓参りや出身高校の同窓会にも出席して、有意義な時間を過ごすことが出来たのだが、時間が空いたときには、殆ど無意識にパソコンでバッファ画像を作成し、真っ赤に色づけする作業を暫く連続で繰り返した為、作業そのものが夢の中に出てきたこともあるぐらいハマッてしまったのである。

(交差法)
The Rolling Stones(交差法)
(平行法)
The Rolling Stones(平行法)
ローリング・ストーンズが1981年に行った全米ツアーの模様を記録したドキュメンタリー映画『Let‘s Spend the Night Together』の画像。『帰郷』(1978年作品)で、ローリング・ストーンズの曲を流したハル・アシュビー(Hal Ashby)監督の作品。『Rocks Off』のタイトルで1982年に西独で公開され、ついで『Time Is On Our Side』と改題。エンバシー・ピクチャーズが配給権を得て、70ミリにし、『Let‘s Spend the Night Together』の題でアメリカ公開した。撮影されたのは、アリゾナ州のサン・デヴィル・スタジアムとニュー・ジャージー州のメドウランズ・アリーナの2個所。未だ現役バンドと云う驚異のローリングストーンズだが、当時38歳のミック・ジャガー(Mick Jagger)とキース・リチャーズ(Keith Richards)のライブ映像は、躍動感溢れる全盛期のパフォーマンスと云える。


さすがに夢に出てきてからは、“これはきっとやりすぎに対する警告なんだろうなぁ”と謙虚に受け留め、現在やりかけの画像を最後に暫く冷却期間を置こう、と思うのだが、気がつけば更なる新しい画像のバッファ色塗りをスタートしているのである。

(交差法)
Bruce Lee(交差法)
(平行法)
Bruce Lee(平行法)
『燃えよドラゴン』(英題:Enter the Dragon、中国語題名:龍爭虎鬥、日本では「龍争虎闘」とも表記される)※1973年作品 でのブルース・リー。少林寺の武術の達人が妹の仇を討つために武術大会の行われる孤島の支配者と対決するストーリーは添え物に過ぎず、カンフー・アクションを前面に押し出したブルース・リー映画の集大成となっている。ミスター・ハン(シー・キエン)の義手の爪により傷を負いながらもハンを追い詰めていくブルース・リーの勇姿が印象的な作品。1973年7月20日に、ブルース・リーは、『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ・ティン・ペイ(丁珮) の香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んでベッドに横になったが、そのまま昏睡状態に陥った為、クィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認され、32歳の生涯を閉じた。『燃えよドラゴン』でアクションスターとして世界的に知名度が上昇した時、既にブルース・リーは亡くなっていた。死後、『ドラゴン危機一発』などの過去の映画が世界中に配給された。


それ故、seeneonに出会ってからは、完全な寝不足に陥り、偏頭痛も自覚する。おそらく立体視の確認で目も相当疲れたであろうし、真っ赤な画像ばかり見ているために色彩感覚も軽く麻痺しているのかも知れない。残念ながら嫁さんは、立体視が殆ど出来ないので、前回の記事内容に関しても、一体、何を書いているのか、サッパリ判らないとのことだった。

(交差法)
Dragon(交差法)
(平行法)
Dragon(平行法)
前回の『人面犬』に続く、架空の生き物シリーズは、ブルース・リーの後と云うこともあり、過去の記事でも取り上げたドラゴンの幼体。コラージュとしてのクオリテイが高い写真だが、奥行きが短い設定故に3D化においては独特の難しさがあった。ドラゴンはトカゲに似た、或いはヘビに似た強く恐ろしい伝説の生物であり、鋭い爪と牙を持ち、その多くは翼があって空を飛ぶことができ、口や鼻から炎や毒の息を吐くとも云われているが、ヨーロッパとアジアでは解釈やイメージは異なるものの、各々での共通点が多いことも架空ながらも神秘的な生物と云える。写真では、口から火を吐いたような描写もあり、小さくて可愛いが、凶暴な面も伺える。


結局、中毒化したことで、前回を上回る8枚の3D画像を作成していた。前回同様、細かいことを云えばキリが無いのだが、seeneon向きの元画像か否かは、大体見極めできるようにはなったことが大きい。今後は中毒にならない程度に楽しむこととにし、夢の中までこの作業を行うことが無いようにしていきたいものである。

簡単!秀逸!! 2D⇒3D化ソフト

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私のブログと相互リンクを貼らしていただいている『街角の小さな倉庫』のkim uraさんは、自ら3D漫画を作成している方で、いつもブログにコメントをいただいているのだが、先日、下記のようなコメントをいただいた。

簡単立体写真作成ソフト見つけました♪
http://kimmiyagiok.cocolog-nifty.com/blog/omocyabako2.html
若かりし頃の奥さんとのデート写真の立体化にどうぞ(奥さんでなくても)使えます!!!


と云う内容のものだった。

seeneonによる3D化手順
seeneon 3D化

早速、ご案内のサイトに行き、内容を確認すると、seeneonと云うソフトは、2D写真を二枚準備して、片方をバッファ画像として色で高低差を区別して塗り、このソフトで生成すれば、簡単に3D画像が出来上がるとの触れ込みのものだった。正直、本当かなぁ?とにわかに信じがたい面もあったが、土曜日の朝目覚めて、ボーッとした状態で特にやることもなかったので、早速チャレンジしてみることにした。しかし、これが思わぬハプニングを招いてしまったのだ。

(交差法)
1977 World Series(交差法)
(平行法)
1977 World Series(平行法)
レジー・ジャクソン(Reginald Martinez Jackson)の1977年のワールドシリーズ ヤンキースVSドジャースの時のバッテイングフォーム。ヤンキースが3勝2敗と王手をかけて迎えた第6戦で3打席連続本塁打、5打点の大活躍により、“ミスターオクトーバー”と称され、いつまでも語り継がれる伝説を残した。


seeneonのダウンロードがなかなかうまくいかず、周囲にある“今すぐ無料ダウンロード”の案内をクリックしてしまったため、急にパソコンが重くて動きにくくなり、挙句に「スパイウェアが検出されました。お使いのPCがクラッシュ寸前。OKをクリックして無料修理。」とのメッセージが常に表示された。後から判ったことだが、どうやら詐欺まがいで悪評高いSysweek社のReg Clean Ploと云うソフトを売りつける為の手口だったようで、その間、再起動を何度しても立上げ不能と表示されたり、回復不能と表示されるなど、やきもきする状況に陥いってしまったのだ。一体何をやってるんだ俺は、と云う気持ちになりながらも何とか難を逃れることが出来、気がつけば、kim uraさんのコメントを読んでから、既に5時間ぐらい経過していた。

(交差法)
山本衣笠(交差法)
(平行法)
山本衣笠(平行法)
我が広島東洋カープの二人の永久欠番、山本浩二(写真右)と衣笠祥雄(写真左)。当時の対戦相手はこの二人に何度も辛酸を味わった。カープ黄金期を牽引した両雄は、決して天才型の選手ではなかったが、共に攻・走・守のバランスの採れたプレイスタイルと人間味溢れる存在感がファンを魅了した。


余計なことしたから、こんなことになったのかなぁ、と一旦落胆したのだが、まだseeneonのダウンロードまで漕ぎ着けず、kim uraさんに返信することもできず、夕食後にとにかくダウンロードできるまで再チャレンジし、何とか入手することができた。seeneonに付属している説明書を読みながら、いろいろ試してみたがなかなかうまくいかず、その日の内に何とか返信すべく、以下のような苦し紛れの文面に留めた。

kim uraさん、毎度です。
seeneonのダウンロードからスタートして、 数時間格闘していました。
バッファ画像の作成がうまくいかず、 なかなか難しく感じましたが、
元画像の選択がハマれば、かなり面白い写真が出来そうです。
暫くがんばってマスターしてみます。
ありがうございました。


(交差法)
キングコング対ゴジラ ポスター(交差法)
(平行法)
キングコング対ゴジラ ポスター(平行法)
キングコングの映画製作権を取得した東宝が、会社創立30周年を記念して制作し、ゴジラシリーズ映画史上、空前の観客動員数を記録した大ヒット作品『キングコング対ゴジラ』(1962年制作)の再々上映(1977年上映)のときのポスターデザイン。デフォルメされた大胆な構図が印象的である。伏線と登場人物のキャラクターが充分に活かされた脚本と、コミカル且つダイナミックな演出が秀逸。


翌日の朝からあまり気負わずチャレンジしてみることにし、バッファ画像を少しずつ微調整していくたびに、オオーッと思わず唸るような立体画像に仕上がってきた。気がつけば、嫁さんから「お昼御飯よ~っ!」と数回呼ばれるほど、集中していた。このソフトに取り組んでみて良く判ったことは、まずどんな元画像を選択すべきかの適性を見極めることであることを痛感した。バッファ画像の色塗りは細かくて複雑な被写体は色塗りが困難で、塗っていくうちに被写体の輪郭が判らなくなり、3D画像にしたときに高低差表現がズレてしまうことである。又、背景画像は、被写体と距離が離れていて、尚且つ、単色で色塗りしやすい単純な画像が向いていることが判ってきた。

(交差法)
ultramanA(交差法)
(平行法)
ultramanA(平行法)
放送開始後、1話~13話の『ウルトラマン』のスーツは、“Aタイプ”と称され、FRP樹脂製マスクの表面に、口を動かせるよう合成ゴム=ラテックスをコートする形で作成され、(ポリエステル樹脂で裏打してあり、口元だけ抜いてある)マスクの凸凹感とスーツのシワと共に、スーツアクターの古谷敏のスタイルの良さと独特のファイティングポーズが、3D画像化ではリアルに再現される。


午後からは、完全に集中して作業し、合計7つの2D画像を3D画像化した。このソフトは、生成画像の大きさまで調整できるが、最終的にPING画像では、大変重くなる為にブログへのアップロードが不可なので、JPEG画像に変換して保存することにした。夕食の頃には、私の返信に対してkim uraさんから、以下のようなコメントが届いていた。

数時間格闘・・・・さすが”凝り性”ですね~。
前からこの手のソフトはあったのですが”完全3D”やる事は同じなのですが、かなり重かったです 。
左右視差に限定したのがよかったのかも知れません。
頑張って下さい、投稿待ってま~す。


(交差法)
thunderbird2(交差法)
(平行法)
thunderbird2(平行法)
2065年の未来の世界を舞台にした国際救助隊[IR](International Rescue)と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して救助する活躍を描くイギリスのテレビ番組、『サンダーバード』と云えばこの機種に尽きる。サンダーバード2号のデザインとコンテナごとの搭載メカの活躍は魅力満載で、実在するようなリアリティを感じた当時の少年たちの多くは、イマイ社製のプラモデル制作に夢中になった。


昨日の返信時には、結構なプレッシャーを感じていたが、この頃には微調整すればブログへのアップロードも可能な段階まで来て少し安堵していた。細かい仕上がりに関して云えばキリが無いが、初めて使用する割には、いい感じに仕上がった。しかし、振り返ってみると土曜日の朝から殆どパソコンの前に座りっ放しだったが、kim uraさんからの情報提供により、実に楽しめる有効なソフトを入手できたことを心より感謝したい。

(交差法)
高倉健(交差法)
(平行法)
高倉健(平行法)
高倉健は、1964年から始まる『日本侠客伝シリーズ』、1965年から始まる『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝シリーズ』などの任侠映画で人気を博した。当時の眼光の鋭さ、彫りの深い顔、筋肉質の身体が、立体画像で更に迫力を増して迫ってくる。実にカッコいい!その後、日本映画や海外との合作映画において、多くの大作、話題作で主役を務め、日本を代表する映画スターとなる。


裸子立体化する画像は、幼い頃から慣れ親しんできた画像の中から、ブラウン管テレビや映画館のスクリーン、或いは人工着色のプロマイドや雑誌などで見てきた物などを3D画像化でリアリティを感じる楽しみが出来た。特にノスタルジックな画像に関しては、過去のモノを再現したり、蘇らせたりさせるようなワクワク感がある。これは当分ハマってしまいそうである。

(交差法)
人面犬(交差法)
(平行法)
人面犬(平行法)
以前、WEBで見つけた『人面犬』。コラージュ写真としての処理が秀逸で面白すぎる。何かを訴えたいような“人間の眼”にたまらない哀愁があり、立体化してみることで決して実在しない架空の動物でさえ、目の前にいるような錯覚を覚えてしまうお気に入りの写真。

3Dテレビがやってきた!

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昨年の12月に東京⇒大阪に引越して以来、荷物も片付き、新しい住居にも慣れてきた矢先に11年間愛用してきたプラズマテレビの様子が突然怪しくなってきた。電源をオンにしてもなかなか画像が映らず、電源ランプの点滅が暫く続くのである。一度、画像が映れば暫くは安定するのだが、2~3日の間に画像が映る時間が顕著に少なくなってきたのである。いよいよテレビの寿命がやってきたようだ。週末には早速 家電量販店に行き、3Dテレビを購入したのである。

テレビを購入する際の判断基準として、今までの画面より大きなテレビが当然欲しくなるもので、42インチ⇒55インチをターゲットに選ぶことにした。メーカーの拘わりは無かったのだが、録画機能が充実した機種より、高画質を求めることにしたが、巷では3Dテレビの売れ行きは今ひとつ盛り上がっていないが、3D画像マニアとしては、思い切って3D機能にも拘わってみることにした。

SONY BRAVIA KDL-55HX950(左) と 3D専用メガネ(右)
SONY BRAVIA KDL-55HX950

その結果、SONY BRAVIA KDL-55HX950を購入した。このテレビはBRAVIAシリーズの最上位モデルで、”BRAVIA史上最高画質モデル”を謳ったSONYのフラッグシップモデルなのである。従来機種との大きな違いは、直下型LEDバックライトと新インテリジェントピークLEDを採用することで、従来モデルと比べて明るさを更に強調できるようになり、4倍速駆動の液晶パネルと、超解像技術X-Reality PROの搭載により、非常になめらかで残像感のない美しい映像を実現するとのことだ。仕組みは良く解らんが、店頭で他の機種と比較しても明らかに画像にメリハリがあり、印象的な画像に映るのである。デザインもガラス一枚型パネルと円形スタンドが印象的で、他メーカーとデザインと比較して個性的で高級感があり、全体のフォルムが秀逸でお気に入りなのである。

我家のテレビ遍歴 Victor 29型ブラウン管テレビ(左上) NEC 42型プラズマテレビ(右上) SONY 55型3D液晶ハイビジョンテレビ(下)
テレビジョン遍歴

突然のテレビ購入で思わぬ出費ではあったが、結婚して以来、今回のテレビ(リビング用に限り)が三台目になるのだが、55インチという大きさにも拘らず、最も安価であったことが何よりも驚きである。

結婚したときに購入した最初のテレビは、Victor の29インチのブラウン管テレビで、当時各メーカーが競うように29インチテレビに技術を結集していた時代の製品である。”インテリアート”と名付けられたこの製品は、額縁のようなフォルムとリモコンで回転することで画面の向きを変えられる機能があり、当時人気の浜田麻里と云うロックボーカリストによるテレビCMも流れていた。店頭で見た瞬間デザインが気に入って購入し、それなりに高価ではあっが、結果的に11年間使用することができた。

二台目のテレビは、まだまだ薄型テレビが”高嶺の花”だった頃、今更ブラウン管テレビでは如何なものかと思いプラズマテレビを購入した。NECの家庭用プラズマテレビの最終機種だったので、値引き率も高かったが、それでも今では考えられない高価な製品であった。地上デジタルチューナーも搭載されておらず、ハイビジョン規格にも達していない機能だったが、画像レベルはつい最近でも違和感ないほど高い機種であった。購入して一年立たない時期にいきなり画像が映らなくなり、保険適用期限ギリギリでパネルを交換し、間一髪で無料修理できたが、そのときのメーカーの方曰く、7~8年が寿命とのことであったが、このテレビも結果的に11年間使用することができた。

あらためて想えば、いずれの二台のテレビも良く働いてくれた。本当にご苦労さまと労いたい。


NEC 42型プラズマテレビ
(交差法)
旧テレビ(交差法)
(平行法)
旧テレビ(平行法)

ありがたいことに、購入した日の夜には自宅に届き、早速画面を堪能することができた。3Dメディアに最も積極的なSONYだけに右目/左目それぞれに表示する映像を1920×1080のフルハイビジョン映像にすることで、3D映像もフルハイビジョン映像で鑑賞できることも他メーカーと違うところである。現在、BSチャンネルで『世界遺産 3D』と『3D☆3D(サンデー・サンデー)』という3D対応プログラムがあるが、いずれの番組のスポンサーがSONYということも3D機種への入れ込み方への違いの表れと云える。

SONY 55型3D液晶ハイビジョンテレビ
(交差法)
新テレビ(交差法)
(平行法)
新テレビ(平行法)

家電量販店であらためて驚いたのは、現在、40インチ以上の殆ど機種には、3D機能が当たり前に搭載されていることだ。専用メガネを使わず3D画像を鑑賞できる機種は乏しく、まだまだ途轍もなく効果だが、専用メガネで鑑賞する上では、垣根が取り払われた段階になったとも云える。実際、『世界遺産 3D』をこのテレビで観れば、かつて味わったことのない臨場感を堪能できるのだ。

3Dマニアの私にとって、待望のテレビが我家にやってきた!!

近所の気さくな寿司屋

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本格的な夏の暑さの到来だ。せっかくの休日なのにどこかへ出かける意欲さえ湧いてこない。仕方がないので、せめて昼食ぐらいは、近所の気さくな寿司屋に行くことにした。

ららぽーと豊洲
アーバンドッグららぽーと豊洲の外観

我家から徒歩12~13分の場所にアーバンドッグららぽーと豊洲がある。スーツ、私服、靴、本、CDやDVDなど、生活用品の多くはこのショッピングモールで調達している。意外に他では販売していないものも置いてあり、割安品もそれなりに充実しており実に重宝している。周囲のみならず遠方からの客が多いのもなるほど肯ける。

(交差法)
ららぽーと豊洲①(交差法)
(平行法)
ららぽーと豊洲①(平行法)

(交差法)
ららぽーと豊洲②(交差法)
(平行法)
ららぽーと豊洲②(平行法)

銀座や日本橋の百貨店のような高級感は無いのだが、老若男女を問わず、買い物、食事、映画などを楽しめるようになっているためとにかく家族連れが多い。子供に大人気のキッザニア目当てに遠方から訪れてる雰囲気の親子を有楽町線の電車の中でも良く見かける。

(交差法)
ららぽーと豊洲③(交差法)
(平行法)
ららぽーと豊洲③(平行法)

(交差法)
ららぽーと豊洲④(交差法)
(平行法)
ららぽーと豊洲④(平行法)

ららぽーとの内装は一見シンプルだが、敷地内を遠くからでも見渡せるような広々とした奥行のある空間が印象的である。昨年の東日本大震災以降、節電の為に内装照明は控えているものの、自然光をうまく取り込める構造になっているため、殆ど違和感を感じない。元来エコを意識した構造なので、結果的にタイムリーに対応できているように感じる。

週末にはとにかく多くの人で賑わう商業施設だが、空間が広いので窮屈な印象が殆どない。服も店舗があるのでゆっくりと気に入ったモノを見つけることができる。周辺に暮す人々にとっては無くてはならない”自慢の場所”なのである。

しかしそんなららぽーとの中に異彩を放つ一角がある。この場所が我々の目的地である『豊洲漁港 寿し常 市場内店』なのである。

この店は”長く営んできた市場の中の魚屋店主が幼馴染の大工仲間と一緒に改装して寿し屋を始めた …”という設定なのだそうだ。回転寿司でなく、寿司職人の前にはカウンターがあり、その後ろには大衆食堂のようなテーブルと丸椅子が並ぶ。昭和をイメージする看板や古びたトタンの内装と無造作に置かれた生簀や水槽がある。ららぽーとの最新の内装とはまるで対照的で、本物の市場内を連想するような雰囲気を醸し出す空間なのである。

(交差法)
ららぽーと豊洲「寿司常」①(交差法)
(平行法)
ららぽーと豊洲「寿司常」①(平行法)

(交差法)
ららぽーと豊洲「寿司常」②(交差法)
(平行法)
ららぽーと豊洲「寿司常」②(平行法)

こうして3Dカメラで撮影してみると、この店の内装のゴチャゴチャ感が予想外の効果になり、大変面白い立体写真になった。ご覧のような、決して敷居の高くない、庶民的、且つ活きの良いモノが揃っているような雰囲気に引き寄せられ、この店はいつもいっぱいのようである。その分、店員の注文確認などはいつもバタバタして落ち着かない感じがするが、そのことも庶民的雰囲気を醸し出すことに一役買っているのかも知れない。

(交差法)
ららぽーと豊洲「寿司常」③(交差法)
(平行法)
ららぽーと豊洲「寿司常」③(平行法)

(交差法)
ららぽーと豊洲「寿司常」④(交差法)
(平行法)
ららぽーと豊洲「寿司常」④(平行法)

さて肝心の寿司の味に関して云えば、築地を中心にした中央区、江東区、千代田区は競争も激しく、レベルもピンキリの中で、気軽に寿司を楽しむにはまずまずのかなと思う。何しろ、東京の寿司は大阪より断然美味いという意識が強く、気軽な寿司屋のコストパフォーマンスにも満足している。

近くには名高い『すきやばし次郎 豊洲店』もあり、一度訪れてその味に唸ったこともあるが、『豊洲漁港 すし常 市場内店』の良さは、お椀の付いたお得なセットメニューがあり、カウンターでしっぽりと寿司をいただくよりは、お得に好きなメニューを気軽に楽しむ店なのかなぁと感じる。

敢えて云えば、セットメニューは一度に数種類の寿司が出てくるので、好きなものほど後回しにする私の習性では、大好物を少し鮮度が落ちてからいただくことになることが少し気に掛かるところ。

料理の写真を撮影してから食べるというのがどうしても違和感があるので、寿司の写真がないのだが、その辺はご容赦いただき度。

Merrell chameleonⅡ

食後にはウォーキングに最適な靴を求めてららぽーと内を探しまくったが、少し高価だが、履き心地、デザインとも気に入ったモノが見つかった。MERRELL CHAMELEON Ⅱと云う商品で、GORE-TEX製で防水性、通気性にも優れているとのこと。よ~し、これで真夏でもウォーキングを再開する気が起きてきたぞ。

しかし・・・・、夏の暑い日にゆっくりと寿司食べた後、冷房の効いた空間で気に入った靴を探す。やはり、ららぽーと豊洲は、無くてはならない”自慢の場所”なのである。
 
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Author:MOTO
広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
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