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3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

湖畔の名城

Edit Category 3Dカメラ
彦根城

平成から令和への改元を迎えた今年のゴールデンウイークは、10連休という嘗てない長きに亘る休日となったが、直前まで事前に何も計画しない中、東京で一人暮らしの息子も連休中に帰ってくるのか否かもハッキリせず、とにかくのんびり過ごすことにしていた。いざ連休に突入すると、早速、息子から4~5日間帰阪する旨の連絡があり、その間、家族三人で墓参りに行くことと、以前から興味があった滋賀県の彦根城を訪れることを計画した。

現存天守12城
現存天守12城

国宝五城 (左より)彦根城・犬山城・松本城・姫路城・松江城
国宝五城

お城好きであることと併せて、個人的に滋賀県への探訪はお気に入りであったことが、彦根城を訪れる決め手となった。お城に関しては、各地の城を隈なく巡る程、マニアックなレベルではないが、以前、姫路城を訪れて以来、現存天守への興味が高まったことで、彦根城も訪れたい城のひとつとなった。彦根城は江戸時代の姿がそのまま残っている現存12天守のひとつに数えられる城であり、且つ国宝に指定されている。国宝に指定されている天守は、彦根城の他、犬山城松本城姫路城松江城の4城のみとなる。

【長浜城】
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長浜城②(交差法)
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長浜城②(平行法)

【八幡堀】
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八幡堀⑥(交差法)
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八幡堀⑥(平行法)

【延暦寺 法華総持院】
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延暦寺 法華総持院(交差法)
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延暦寺 法華総持院(平行法)

滋賀県には過去に長浜近江八幡比叡山(大津)を訪れたが、滋賀がお気に入りとなった理由は、京都のように混雑せず、奈良と比較して美味しい食材が多く、東海道・中山道・北陸道が合流する陸上交通の要衝として度々戦乱の舞台となったことから、歴史的な観光名所も多い。大阪から所要一時間強のアクセスなので、気軽に日帰りで訪れることができることも訪問頻度に影響している。

滋賀県彦根市

ゴールデンウイーク期間は相当な混雑を予測し、早目に出掛けることにした。JR野江駅を8時過ぎに出発すれば、10時までには彦根城に到着できる。嫁さんと息子がゆっくりと仕度するのを急かしながら何とか予定した便に間に合った。新大阪駅からの新快速はさすがに混んでおり、京都駅を過ぎても満席状態だったが、近江八幡駅の下車で立っている乗客がいなくなり、彦根駅では一気に空席ができるほど多くの人が下車した。

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彦根駅西口前(交差法)
(平行法)
彦根駅西口前(平行法)

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彦根駅西口前 井伊直政公之像(交差法)
(平行法)
彦根駅西口前 井伊直政公之像(平行法)

彦根駅舎の窓からは、駅前お城通りの先に位置する彦根城が見え、彦根駅西口前のロータリーには、赤備えの騎馬武者姿という勇ましい出で立ちの井伊直政の銅像がある。玄関からの景観には、徳川四天王に数えられた井伊直政と城下町としての街の誇りが漂っている。

井伊家の旗印などに使われる“井”の文字を図案化した替紋(左)と“丸に橘”の井伊家の定紋(右)
井伊家 家紋

井伊の赤備え(彦根城博物館)
井伊の赤備え(彦根城博物館)

井伊直政(左)赤備えの井伊直孝隊を描いた「若江合戦図」(彦根城博物館蔵)
井伊直政 赤備えの井伊直孝隊を描いた『若江合戦図』(彦根城博物館蔵)

大名家の家紋には、公式に使われる“定紋”と旗印などに使われる非公式の“替紋”がある。“丸に橘”が定紋としての井伊家の家紋であり、“井”の文字を図案化したものが替紋である。

井伊公出生の井戸
井伊公出生の井戸

遠江国井伊谷(現在の静岡県西部)古くより渭郷と称された地域は、713年(和銅6年)に渭伊郷と改め、井伊谷の地名の由来となる。733年(天平5年)行基龍潭寺(寺号は地蔵寺)を開いたと伝わり、1010年(寛弘7年)元旦、龍潭寺の門前近くにあった八幡宮の井戸の脇に捨てられていた赤子を宮の神官が拾い育てた。井伊家の井桁と橘の家紋は、この井戸と脇に咲いていた橘の花に因んでいると云われる(諸説あり)。

龍潭寺
龍潭寺

神童と噂された赤子は、7歳のときに浜名湖畔の志津城の城主 藤原共資(ともすけ)に養子に出され、後に共資の娘を娶って共保(ともやす)を名乗り、井伊谷に戻って井伊氏を称した井伊共保は、井伊谷城の城主として井伊家の初代当主となった。井伊谷城は、井伊直政が幼少期に過ごした場所で、先代当主 井伊直虎(次郎法師)の頃まで井伊氏の拠点だった。龍潭寺の寺号は地蔵寺であったが、1093年(寛治7年)井伊共保が葬られた際に法号から自浄寺と改められ、平安時代から井伊氏代々の菩提寺となっている。

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彦根城 佐和口多聞櫓(交差法)
(平行法)
彦根城 佐和口多聞櫓(平行法)

駅前お城通りを約500m直進して滋賀縣護国神社前で左折すると、表門橋に向かう内濠沿いのいろは松の沿道の先の佐和口に到達する。佐和口から左手に見える佐和口多聞櫓は、1771年(明和8年)に再建されたもので、重要文化財に指定されている。

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彦根城 内堀沿い ポストの上の彦根城(交差法)
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彦根城 内堀沿い ポストの上の彦根城(平行法)

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彦根城 表門橋(交差法)
(平行法)
彦根城 表門橋(平行法)

馬屋の近くにある佐和口門券売所で、混雑を予測して彦根城博物館への入場券以外のチケットを購入した。販売所の方の話では、この時点で既に天守への入場が90分待ちとのことであった。内堀沿いから表門橋へ向かう途中の売店近くのポストの上の彦根城は、築城390年を記念して設置されたことが記されていた。

彦根城Map

いよいよ表門橋を渡って城内に足を踏み入れると、大勢の人で長い行列が出来ていた。先程、佐和口門券売所では、天守入場まで90分待ちと言われたが、既にこの場所で行列が出来ているとは…。焦って暫く確認すると、彦根城管理事務所にある表門券売所の購入者の列であった。既に入場券を購入済みだったので、そのまま先に進んで入場した。佐和口門券売所で購入したおかげで、混雑の中、多少順番が早くなった。

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彦根城管理事務所 表門橋入口(交差法)
(平行法)
彦根城管理事務所 表門橋入口(平行法)

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彦根城 山切岸石段(交差法)
(平行法)
彦根城 山切岸石段(平行法)

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彦根城 天秤櫓①(交差法)
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彦根城 天秤櫓①(平行法)

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彦根城 廊下橋(交差法)
(平行法)
彦根城 廊下橋(平行法)

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彦根城 天秤櫓③(交差法)
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彦根城 天秤櫓③(平行法)

天守への道程では、行く手を阻む様々な仕掛けに遭遇し、城を攻める側の視点のシュミレーションが味わえて興味深い。大手道の石段と坂を上がって行くと天秤櫓が聳え立ち、道なりに左折すると廊下橋が見えてくる。非常時には落とし橋となる廊下橋を中心にして、天秤の如く左右対称の形状をしていることから天秤櫓と称される。

彦根城 天秤櫓
彦根城 天秤櫓 

日本の城郭でこの形式のものは彦根城のみだが、実は長浜城の大手門を移築したものと云われている。橋は鐘の丸から渡され、廊下橋は架け橋だが、往時は両側に壁があり屋根のある橋で、中の人の動きが外からは見えないような造りであったと云われる。堀に囲まれた彦根城の3つの内2つの門(大手門・表門)からの道が合流するのが、天秤櫓と廊下橋の付近となる。四方を監視する袋小路は、2つの櫓、廊下橋の左右の4か所から集中攻撃を浴びせるよう、城に侵入しようとする敵を壊滅状態に追い込む仕掛けであった。

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彦根城 天秤櫓②(交差法)
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彦根城 天秤櫓②(平行法)

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彦根城 太鼓丸の坂道(交差法)
(平行法)
彦根城 太鼓丸の坂道(平行法)

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彦根城 時報鐘(交差法)
(平行法)
彦根城 時報鐘(平行法)

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彦根城 太鼓丸からの天守(交差法)
(平行法)
彦根城 太鼓丸からの天守(平行法)

太鼓丸の坂道の途中にある時報鐘は、幕末期12代藩主 直亮の時に城全体に響く美しい音色にするべく、多量の小判を投入して鋳造した鐘に造り直され、鐘の丸から太鼓門近くの高台に移された。城下では領民のシンボルとして天守を眺め、時報鐘で時を知る暮らしであったように、城郭の時代の移り変わりの中で往時の音色で奏でながら、今も1日5回定時に鐘が鳴る時報鐘は、「日本の音風景百選」にも選ばれている。隣接する聴鐘庵は茶屋として薄茶(お菓子付¥500)を楽しむことができる。時報鐘の前に立ち、右に太鼓門を見ながら仰ぐ天守の雄姿は格別となる。

彦根城 太鼓門櫓
彦根城 太鼓門櫓 

本丸への最後の関門である太鼓門櫓は、東側の壁が無く、柱の間に高欄のある廊下となる。登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたと云われる。

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彦根城 太鼓門櫓①(交差法)
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彦根城 太鼓門櫓①(平行法)

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彦根城 太鼓門櫓②(交差法)
(平行法)
彦根城 太鼓門櫓②(平行法)

梁などに使われている部材が不揃いで、歪曲したものが混在しているのは、彦根城の建築期間が僅か2~3年しか用意されておらず、建築用の新品資材を調達するのが困難だったことに起因する。建築資材の大半が、滋賀県内にあった他の廃城の廃材によるリサイクル城だったのである。

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彦根城 天守①(交差法)
(平行法)
彦根城 天守①(平行法)

彦根城 本丸
彦根城本丸

太鼓門櫓を過ぎて本丸に至ると正面に天守の全容が見えてきた。牛蒡積みと称する石垣は自然石を使い、重心が内下に向くように作られ、外見は粗雑だが強固な造りの石垣の上に三重の天守の全容が現れる。

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彦根城 天守②(交差法)
(平行法)
彦根城 天守②(平行法)

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彦根城 天守③(交差法)
(平行法)
彦根城 天守③(平行法)

(交差法)
彦根城 天守④(交差法)
(平行法)
彦根城 天守④(平行法)

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彦根城 天守⑤(交差法)
(平行法)
彦根城 天守⑤(平行法)

天守の一層目は大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっている。1層目の軒に並ぶ八つの“への字”形の切妻破風は、大きさと奥行きに変化をもたせ、2層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられている。切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた類い希な美しさを誇る。2階と3階には曲線の花頭窓を配し、3階には高欄付きの廻縁を巡らせるなど、小規模ながらも変化に富んだ外観が特徴となる。
彦根城天守断面

彦根城の天守は、屋根の曲線の調和が美しく荘厳な雰囲気が漂う。梁行に対して桁行が長い長方形で、表門から登ると目に入る東の面、琵琶湖側から望む西の面は、端正な佇まいを見せ、南、北の面は安定した面持ちとなる。天守の構造は、通し柱を用いず各階ごとに順に積み上げる工法であり、櫓の上に高欄を付けた望楼を乗せる古い形式を残している。天守北西側に長い附櫓と更に長い多聞櫓が連なる。

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彦根城 天守入口①(交差法)
(平行法)
彦根城 天守入口①(平行法)

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彦根城 附櫓からの滋賀県立彦根総合運動場(交差法)
(平行法)
彦根城 附櫓からの滋賀県立彦根総合運動場(平行法)

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彦根城 天守入口②(交差法)
(平行法)
彦根城 天守入口②(平行法)

附櫓が天守入口となっている構造なのだが、順番待ちの行列まだまだ長い。城郭付近にある滋賀県立彦根総合運動場の周囲には田園が広がり、のどかな風景を眺めながらひたすら待ち続け、いよいよ天守への入場の順番が巡ってきた。佐和口門券売所で90分待ちと言われたが、略予定通りの時刻での入場となった。

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彦根城 天守からの景観①(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観①(平行法)

(交差法)
彦根城 天守からの景観②(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観②(平行法)

ガイドの説明では、天守内は靴をビニール袋に入れて、順序よく進むことを促された。独特な内部構造は防御能力を考慮しており、階段を上ってくる敵を突き落せるよう、62度という急な角度の階段は、手摺りにしっかりつかまらないと上り下りできないとのこと。そのため、一人ずつしか進むことが出来ないので、入場者が多い日の天守入場は行列を成すほど混雑してしまうのである。

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彦根城 天守からの景観③(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観③(平行法)

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彦根城 天守からの景観④(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観④(平行法)

天守内を進むと、姫路城よりは明るい照明が設置されており、階段も手摺りのあるものが設置されていたが、階段の角度は姫路城とは比較にならないほど厳しく、内部の面積もとにかく狭い。ゴールデンウイークで入場者数も著しく多く、立ち止まってゆっくり撮影する訳にもいかないので、辛うじて天守の窓から見える景観を歩きながらシャッターを押すことに留まった。

特別史跡彦根城跡全図(左)/江戸時代創建時の彦根城(左)
特別史跡彦根城跡全図 彦根城(江戸時代創建時)

彦根城は、滋賀県彦根市に位置する彦根山に築城された平山城(標高136m、比高46m)で、丘を利用した城の中心部は曲輪が直線的に並ぶ連郭式の縄張りとなる。彦根山の別名・金亀山の名から金亀城とも称される。天守は多数の破風を用いて個性的な外観だが、内部は穴蔵もなく、各階が中心の部屋と入側で構成される一般的な構造である。
彦根城周辺地形
彦根城周辺地形

彦根は中山道と北国街道(北陸道)が合流する要衝とされ、京に近いこともありの壬申の乱から関ヶ原の合戦に至るまで、多くの戦いが琵琶湖周辺で繰り返されてきた。豊臣秀吉は石田三成、徳川家康は井伊直政と信任厚い人物を配していることから、天下を目指す者にとって彦根は絶対に押さえておきたい場所だったに違いない。

佐和山城(左)/彦根城と佐和山城跡(右)
佐和山城 彦根城と佐和山城

城の始まりは、1600年(慶長5年)関ケ原の合戦での論功行賞として、徳川四天王のひとりである井伊直政が、徳川家康から石田三成の所領をすべて拝領したことから始まる。直政は、三成の居城だった佐和山城を嫌い、領民から大変慕われていた三成の遺構を破却した上で、新しい政治を行うべく、琵琶湖に近い磯山(米原市磯)に城を移すことを計画した。

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彦根城 天守からの景観⑤(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観⑤(平行法)

その矢先、関ヶ原で受けた鉄砲傷が元で破傷風となった直政は1602年(慶長7年)に死去する。この時、三成の怨霊が直政を死に至らしたと言う噂も広まった。後を継いで佐和山藩主となった嫡子の直勝は、名を直継と改めた。直継は12歳と幼かったため、重臣たちが検討した結果、磯山ではなく東に佐和山、西に琵琶湖を控え、三方を平地に囲まれた金亀山が築城地として定められた。

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彦根城 天守からの景観⑥(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観⑥(平行法)

彦根城は、大阪城の豊臣氏や毛利氏など西国大名に備える戦略的要素を帯びており、実戦向けの城を前提に造られた。伊賀、尾張、美濃、飛騨、若狭、越前の7ヶ国12藩の大名に築城の協力を命じるなどの幕府の支援を受け、1604年(慶長9年)に彦根城を着工する。1957~1969年(昭和32~35年)天守の解体修理に於いて、1606年(慶長11年)の墨書のある建築材の発見や他の史料の情報により、天守の完成が1607年(慶長12年)頃と推定されている。

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彦根城 天守からの景観⑦(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観⑦(平行法)

工事に於いて金亀山の山上にあった彦根寺、門甲寺は山下に移され、周辺の敏満寺(多賀町)、布施寺(長浜市)の寺社や、坂本城小谷城近江八幡城観音寺山城などの古城から石垣や資材を運び、諸国から動員された石工が石垣を築いた。建築材を調査した結果、彦根城の天守は5階4重であった旧天守を移築したことが確認された。井伊家の歴史を記した「井伊年譜」には“天守は京極家の大津城の殿守也”と記され、大津城の天守を移築した可能性が考えられている。

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彦根城 天守からの景観⑧(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観⑧(平行法)

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彦根城 天守からの景観⑨(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観⑨(平行法)

工事は幕府が主導して近隣の大名も人足など負担した為、1614年(慶長19年)大阪の陣からは工事が中断した。その際、家督が直継から弟の直孝に譲られ、1616年(元和2年)工事が再開し、その前年の井伊家は20万石であったが、工事再開の翌年には25万石に加増された。再開した工事は以前の12藩の人夫ではなく、領内の人夫を動員して進められ、1622年(元和8年)頃、天守から東側に山地、西側に琵琶湖を望み、湖水の天然の堀を防御と水運の両面に利用した彦根城の全城郭が完成した。

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彦根城 天守からの景観⑩(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観⑩(平行法)

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彦根城 天守からの景観⑪(交差法)
(平行法)
彦根城 天守からの景観⑪(平行法)

江戸時代を通して藩主が天守を訪れることは殆どなく、豊臣家の滅亡後は、天守は歴代藩主の甲冑などを収納する倉庫として使われ、彦根城は一度も戦うことなく廃藩を迎える。1871年(明治4年)の廃城令により解体の危機を迎えることになる。全国の城が次々と取り壊されていく中、彦根城を解体するための足場まで組まれていたが、1878年(明治11年)北陸巡幸を終えて彦根に立ち寄った明治天皇の勅命により、破却を免れて保存されることになったと伝わる。

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彦根城 天守⑥(交差法)
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彦根城 天守⑥(平行法)

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彦根城 天守⑦(交差法)
(平行法)
彦根城 天守⑦(平行法)

1931年(昭和6年)国宝(旧国宝)に指定され、第二次世界大戦の戦災を免れた後、1951年(昭和26年)6月9日に国の特別史跡に指定され、翌1952年(昭和27年)に現在の国宝に指定された。2006年(平成18年)日本100名城(50番)に選定された。戦後、1957年(昭和32年)から3回に分けて昭和の大修理が行なわれ、1993〜1996年(平成5〜8年)まで平成の大修理を実施し、2007年(平成19年)には国宝・彦根城築城400年祭が開催された。

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彦根城 西の丸からの景観①(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸からの景観①(平行法)

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彦根城 西の丸からの景観②(交差法)
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彦根城 西の丸からの景観②(平行法)

本丸の西側一帯を西の丸と称し、本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置する三重櫓は、更に西に張り出した出曲輪との間に設けられた深い大堀切(尾根を切断して造られた空堀)に面して10m以上にも及ぶ高い石垣の上に築かれている。大堀切の底から見上げる三重櫓は絶壁のようにそそり立ち、西の搦手(裏手)方面からの敵に備えた守りの要であった。三重櫓は、東側と北側にそれぞれ1階の続櫓を“くの字”に付設している。

彦根城 西の丸三重櫓
彦根城 西の丸三重櫓

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彦根城 西の丸三重櫓①(交差法)
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彦根城 西の丸三重櫓①(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓からの景観①(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸三重櫓からの景観①(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓からの景観②(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸三重櫓からの景観②(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓 二重壁の鉄砲狭間(交差法)
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彦根城 西の丸三重櫓 二重壁の鉄砲狭間(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓 階段(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸三重櫓 階段(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓からの景観③(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸三重櫓からの景観③(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓 梁(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸三重櫓 梁(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓からの景観④(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸三重櫓からの景観④(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓からの景観⑤(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸三重櫓からの景観⑤(平行法)

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彦根城 西の丸三重櫓②(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸三重櫓②(平行法)

三重櫓には天守のように装飾的な破風などは無いが、櫓全体を総漆喰塗りとし簡素な中にも気品のある櫓となっている。三重櫓の東側一帯は桜が植えられ、春にはお花見で賑わう。彦根城は桜や紅葉の名所としても知られている他、月明かりに浮かび上がる城の姿は琵琶湖八景にも選定されている。

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彦根城 西の丸大堀切から出曲輪への橋(交差法)
(平行法)
彦根城 西の丸大堀切から出曲輪への橋(平行法)

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彦根城 内濠(交差法)
(平行法)
彦根城 内濠(平行法)

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彦根城 内濠の白鳥①(交差法)
(平行法)
彦根城 内濠の白鳥①(平行法)

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彦根城 内濠の白鳥②(交差法)
(平行法)
彦根城 内濠の白鳥②(平行法)

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彦根城 玄宮園①(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園①(平行法)

黒門橋を渡って白鳥の泳ぐ内濠沿いを進むと玄宮園の入口に至る。玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と称された回遊式庭園である。1677年(延宝5年)4代藩主井伊直興により、槻御殿と称する彦根城の下屋敷として造営が始まり、1679年(延宝7年)完成したと伝えられる。1951年(昭和26年)には玄宮楽々園の名で国の名勝に指定され、庭園部分を玄宮園、御殿部分を楽々園と称している。

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彦根城 楽々園(交差法)
(平行法)
彦根城 楽々園(平行法)

楽々園には、大書院、地震の間、雷の間、楽々の間など、工夫を凝らした部屋が残っている。楽々園の名は「山を楽しみ水を楽しむ」「民の楽しみを楽しむ」という心によるとされ、12代藩主直亮が佐和山や内湖が見える楽々之間を造ってからは、槻御殿という正式名よりも楽々の名が有名になった。

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彦根城 玄宮園②(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園②(平行法)

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彦根城 玄宮園③(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園③(平行法)

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彦根城 玄宮園④(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園④(平行法)

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彦根城 玄宮園⑤(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑤(平行法)

玄宮園は、琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景に因んで選ばれた近江八景を模して造られたとされる縮景園で、大きな池に突き出すように建つ臨池閣、鳳翔台といった建物が特徴的で景観が素晴らしい。樹木や石が巧みに配され、中心の池には4つの島と9つの橋が架かっている。毎年9月中「観月の夕べ」が催され、大名庭園ならではの趣が味わえる。

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彦根城 玄宮園⑥(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑥(平行法)

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彦根城 玄宮園⑦(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑦(平行法)

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彦根城 玄宮園⑧(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑧(平行法)

(交差法)
彦根城 玄宮園⑨(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑨(平行法)

池には船小屋があり、園内で風流に舟遊びの一興を催すこともある。松原内湖に面した庭園の北側には水門が開き、大洞(おおほら)の弁財天堂や菩提寺の清凉寺・龍潭寺への参詣、或いは松原のもう1つの下屋敷である御浜御殿への御成りには、そこから御座船で出向いたようである。

(交差法)
彦根城 玄宮園⑩(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑩(平行法)

(交差法)
彦根城 玄宮園⑪(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑪(平行法)

(交差法)
彦根城 玄宮園⑫(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑫(平行法)

(交差法)
彦根城 玄宮園⑬(交差法)
(平行法)
彦根城 玄宮園⑬(平行法)

玄宮園内の築山に建つ趣のある建物の鳳翔台は、嘗ては藩主が客人をもてなすための客殿であった。鳳翔台から眺める玄宮園の美しさの中で庭園を鑑賞しながらの薄茶(お菓子付¥500)の味わいは格別とのこと。

井伊直弼と彦根城・玄宮園
井伊直弼と彦根城・玄宮園

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彦根城 金亀児童公園内 井伊直弼大老像(交差法)
(平行法)
彦根城 金亀児童公園内 井伊直弼大老像(平行法)

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彦根城 内濠 屋形船(交差法)
(平行法)
彦根城 内濠 屋形船(平行法)

玄宮園を出て表門に向かう途中の金亀児童公園内に井伊直弼大老の銅像がある。1860(安政7)年3月3日朝、江戸城の桜田門外で、水戸浪士ら18人が彦根藩主で江戸幕府の大老 井伊直弼を暗殺した事件は、直弼が天皇の勅許を得ないまま日米修好通商条約を結び、「安政の大獄」で吉田松陰ら尊王派を弾圧し、対立する水戸老公の徳川斉昭に謹慎を命じたことに対する憤激が背景にある。

井伊直弼(左)/桜田門(高麗門)(右)
井伊直弼 桜田門(高麗門)
桜田門外の変(井伊直弼襲撃の図)月岡芳年 画 ※六枚続 国立国会図書館所蔵
桜田門外の変

白昼大老が暗殺された事件後、幕府は公武合体へ政策を転換した。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼は、藩主となるまで彦根城下で過ごしており、当時の屋敷は埋木舎として現存している。彦根城から琵琶湖の沖合約6.5kmに浮かぶ多景島は、軍艦島アルカトラズ島のようにも見える印象的な形状の無人島だが、彦根藩3代藩主 井伊直澄の時代より彦根藩裏鬼門の祈願所であり、桜田門外の変で井伊直弼が横死した際、岩から鮮血が滲み出たとの言い伝えがある。

彦根城博物館パンフレット

今回は混雑を予想して入場を見送った「彦根城博物館」は、1987年(昭和62年)御殿を復元されたミュージアムの内部には、城主井伊家の武具や調度品や茶器などの家宝などが陳列されている。井伊直弼が大変な茶道の名人だったので、茶器には立派なものが展示されており、館内には城主の寝室などを再現した間もあり、能楽堂も再現されている。

彦根城・姫路城(左)/彦根城築城410年祭(右)
彦根城・姫路城 彦根城築城410年祭

彦根城は昭和の戦火も免れて“国宝五城”として現在に至る。世界遺産を採択するユネスコには“唯一無二の価値”との基準があり、姫路城が世界遺産として登録されている現在、同じ日本の城である彦根城の登録は難しくなっているようである。確かに城の規模では姫路城に圧倒されているものの、城の北東にある玄宮園から眺める彦根城は、他の城郭にはない美しさがある。

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彦根城 京橋①(交差法)
(平行法)
彦根城 京橋①(平行法)

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彦根城 京橋②(交差法)
(平行法)
彦根城 京橋②(平行法)

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夢京橋キャッスルロード①(交差法)
(平行法)
夢京橋キャッスルロード①(平行法)

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四番町スクエア(交差法)
(平行法)
四番町スクエア(平行法)

彦根城の京橋口を出て信号を渡った場所には、格子窓に白壁が特徴的な風情ある佇まいの街並みが続く「夢京橋キャッスルロード」があり、江戸時代の雰囲気を演出して賑わっており、丁度ランチタイムだったので、どの店も長い行列ができていた。この通りから一歩横道に足を踏み入れると、大正浪漫をコンセプトにした商店街「四番町スクエア」が広がる。この辺りは人が集まりやすい空間があり、有名なゆるキャラのひこにゃんのイベントが催されていた。
ひこにゃん

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四番町スクエア ひこにゃん①(交差法)
(平行法)
四番町スクエア ひこにゃん①(平行法)

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四番町スクエア ひこにゃん②(交差法)
(平行法)
四番町スクエア ひこにゃん②(平行法)

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四番町スクエア ひこにゃん③(交差法)
(平行法)
四番町スクエア ひこにゃん③(平行法)

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四番町スクエア ひこにゃん④(交差法)
(平行法)
四番町スクエア ひこにゃん④(平行法)

ひこにゃん

ひこにゃんのキャラクターのデザインは、彦根藩2代当主となる井伊直孝をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったという逸話の招き猫と井伊の赤備えの兜がモチーフになっている。2007年(平成19年)彦根城築城400年記念イベントのイメージキャラクターとして登場し、人気を博したひこにゃんは、全国にのゆるキャラブームの火付け役となり、ゆるキャラ界に燦然と輝く人気者となった。

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四番スクエア ひこね食賓館(交差法)
(平行法)
四番スクエア ひこね食賓館(平行法)

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四番町スクエア ひこね食賓館 あ桜(交差法)
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四番町スクエア ひこね食賓館 あ桜(平行法)

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四番スクエア ひこね食賓館 あ桜 クラシタステーキセット(交差法)
(平行法)
四番スクエア ひこね食賓館 あ桜 クラシタステーキセット(平行法)

どこに行っても人で溢れている中、四番スクエアひこね食賓館1Fにある近江牛肉と四万十豚の料理店「あ桜」で昼食の順番待ちの記名をした。30分以上待った挙句、メニューの中から少々高額であったが、クラシタステーキセット(ご飯、お味噌汁、ミニサラダ付き)を注文した。A4ランク以上の肩ロースを使用して肉質はきめ細かく脂は甘い。口に入れるととろけるような味わいと絶品の特製ステーキスースが絡み、実に美味しかった。

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夢京橋キャッスルロード②(交差法)
(平行法)
夢京橋キャッスルロード②(平行法)

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夢京橋キャッスルロード 千成亭 近江牛串・彦根サイダー(交差法)
(平行法)
夢京橋キャッスルロード 千成亭 近江牛串・彦根サイダー(平行法)

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夢京橋キャッスルロード 千成亭 近江牛コロッケ・近江牛メンチカツ(交差法)
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夢京橋キャッスルロード 千成亭 近江牛コロッケ・近江牛メンチカツ(平行法)

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夢京橋キャッスルロード 千成亭 夢京橋店 御神牛像(交差法)
(平行法)
夢京橋キャッスルロード 千成亭 夢京橋店 御神牛像(平行法)

再び、「夢京橋キャッスルロード」に戻り、近江牛の千成亭の近江牛串と彦根サイダー、近江牛コロッケ、近江牛メンチカツを満喫した。千成亭の公式サイトには、井伊直弼は、仏法の教えを忠実に守って牛の屠殺を藩内で禁止し、将軍家や御三家などに毎年贈られる以前迄の慣習が途絶えた。開国問題や将軍後継を巡って対立する水戸藩主 徳川斉昭は彦根牛の味噌漬が大好物で、使者を遣わして頼むが彦根藩は断じて応じない。後年、「桜田門外の変」を引き起こす水戸藩と井伊直弼との不和の遠因との説が語られていることが興味深い。

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夢京橋キャッスルロード 宗安寺 赤門(交差法)
(平行法)
夢京橋キャッスルロード 宗安寺 赤門(平行法)

夢京橋キャッスルロード沿いにある浄土宗の寺院である宗安寺は、井伊道政(南北朝~室町時代の武将)の正室東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪に建立され、佐和山山麓へ移されて宗安寺と改名する。その後、彦根城築城の際、現在の地へ再度移築された。元禄の大火で「赤門」と称される呼ばれる朱塗りの佐和山城大手門を移築した表門が唯一焼け残り、現在の本堂は江戸時代中期に長浜城附属御殿を移築したものと伝わる。本尊の阿弥陀如来は夏の陣の際、大坂城より持ち出された淀君の念持佛であり、境内には豊臣方の武将 木村重成の首塚がある。

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彦根駅ホーム(交差法)
(平行法)
彦根駅ホーム(平行法)

多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった彦根城は、琵琶湖に面したロケーションや天守の美しいフォルムを愛する人が多く、日本の美の“侘び寂び”を感じさせる湖畔の名城である。城下町にも様々な歴史を感じさせる建築物が多く残っており、城郭テーマパークといった趣を感じさせる。彦根駅で乗車した各駅停車の電車は空いており、急ぐ必要もないので、そのまま各駅停車でゆっくりと帰ることにした。4年前のゴールデンウイークに伊勢神宮を訪れて以来、久し振りに親子三人で出掛けた小旅行となる彦根探訪の充実感からか、心地良い眠りの中で帰路に着いた。

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赤備えケーキ(交差法)
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赤備えケーキ(平行法)
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MOTO

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広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
 
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