3Dアクアテラリウム

立体写真による探訪記と恐竜ジオラマのアクアテラリウムと駄文のブログ

 

天空の聖地

Edit Category ウォーキング
ゴールデンウイーク期間中、天気予報で晴天の日を選んで、以前から訪れたいと思っていた高野山に嫁さんと出掛けることにした。ゴールデンウイークには毎年日帰りでどこかに出掛けており、一昨年は大学最終年度の息子も一緒に伊勢神宮を訪れたが、昨年は“ギックリ腰”でどこにも行けなかった。ゴールデンウイーク期間はどこでも人が多くてごった返すものだが、高地で涼しい高野山で日頃の運動不足を解消するべく、ウォーキングの絶好の機会となれば幸いである。

高野山周辺MAP
高野山周辺MAP

高野山は、和歌山湾から約50km程内陸に位置する伊都郡高野町にある周囲1,000m級の山々に囲まれた標高約900mの平坦地に、壇上伽藍(だんじょうがらん)と称する根本道場を中心とする真言密教の総本山として開かれた宗教都市を形成し、真言宗の開創以来、武家、貴人、町民、貴賎の別なく、数多くの様々な人々から崇敬を受けてきた。現在も、政財界、スポーツ、芸能界等々、各界の様々な人々の崇敬を受け、多くの参詣者を集めている天空の聖地なのである。
高野山全体MAP

平安時代の816年(弘仁7年)嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、明治以前は高野山全体を総本山金剛峯寺と称し、奥之院と壇上伽藍を二大聖地として“一山境内地”とされていた。奥之院には、墓石群のほか慰霊碑や供養塔なども数多くあり、高野山が1200年継承してきた民族や宗教の違いに関わらず全てを受け入れる寛容な精神が宿っている。2004年(平成16年)高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件は、熊野、吉野・大峯と共に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界遺産に登録された。真言宗高野山の中心的寺院である金剛峯寺は、元々高野山の山全体を称し、真言宗の総本山としての高野山と同義であったが、明治になって豊臣秀吉が母親の菩提のため応其上人に命じて建立した青巖寺と興山寺を合併し、寺院の名として金剛峯寺と称するようになった。寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117ヶ寺に及びその約半数は宿坊を兼ねている。

高野山1dayチケット 高野山1dayチケット2

高野山に出掛ける当日は、休日にも拘らず少し早めに起床した。京阪電鉄 京橋駅で、「高野山1dayチケット」を購入し、御堂筋線で淀屋橋~難波へ移動し、南海電鉄 難波駅に到着した。「高野山1dayチケット」は、高野山を訪れる乗客に向けて、京阪電車全線、大阪地下鉄、南海難波~高野山、南海バス高野山路線の乗り放題の乗車券と優待クーポンがセットになったチケットで、4月1日~6月30日の春季と10月1日~11月30日の秋季の期間内の任意の一日に有効になる。

京阪電車 「高野山1dayチケット」

「高野山1dayチケット」は、大阪市交通局・近畿日本鉄道・京阪電気鉄道・南海電気鉄道・能勢電鉄・阪急電鉄・阪神電気鉄道・山陽電気鉄道・北大阪急行電鉄及び大阪高速鉄道(大阪モノレール)が各々の設定料金で発売しており、クーポン券利用可能箇所にも微妙な違いもある。金剛峯寺、金堂、根本大塔、高野山霊宝館の拝観料が2割引となる他、お茶券(金剛峰寺で使用可能)飲食・土産購入割引(1割引)の店舗もある。

南海高野線

南海電鉄 難波駅の高野線ホームで急行電車に乗り、暫く出発時刻を待つことになったが、瞬く間に吊り革も余らない状態になるまで乗客が増えていった。早めに到着したので運良く座れたが、極楽橋に到着するまでの1時間強の道程を“立ったまま”というのはさすがにしんどい。更には関西の大手私鉄の中で、今まで殆ど縁が無かった南海電鉄は、途中停車する駅名もあまり馴染みが無い。社内で河内長野から通う人がいるが、想像以上に大阪市内から離れていたので少々驚いた。

南海電鉄急行(高野山極楽橋連絡) 橋本行き(左)/南海電鉄 真田赤備え列車(右)
急行(高野山極楽橋連絡) 橋本行き南海電鉄 真田赤備え列車

橋本駅を通過すると線路は完全に登山の傾斜に変わり、速度も落ちてゆっくりと進むようになった。満員の電車の車窓から少しだけ見える眺望は刻々と変化していく。真田幸村(信繁)が関ヶ原の合戦の後、父 真田昌幸と幽閉されていたゆかりの地となる九度山駅では、赤備えに六文銭と結び雁金が描かれた仕様の真田赤備え列車が停車していた。ゴールデンウイークでもあり、昨年好評だったNHK大河ドラマ「真田丸」に因んだイベントが催されているのであろう。電車は更に勾配が急な線路を辛そうに進み、ようやく終点の極楽橋駅に到着した。

(交差法)
南海高野線 極楽橋駅①(交差法)
(平行法)
南海高野線 極楽橋駅①(平行法)

(交差法)
南海鋼索線 極楽橋駅①(交差法)
(平行法)
南海鋼索線 極楽橋駅①(平行法)

(交差法)
南海鋼索線 極楽橋駅②(交差法)
(平行法)
南海鋼索線 極楽橋駅②(平行法)

(交差法)
南海鋼索線 極楽橋駅③(交差法)
(平行法)
南海鋼索線 極楽橋駅③(平行法)

南海高野線の終着駅 極楽橋駅との接続便となる南海鋼索線のケーブルカーで高野山駅まで上るのだが、この日は来訪者が多い為、急遽、臨時増便していたので、人が溢れる1便目を見送り2便目に乗車し、最下部の窓ガラスを解放した位置から撮影することが出来た。高野山ケーブル(南海鋼索線)は、標高539mの極楽橋駅と標高867mの880mの間の高低差328mを結ぶ急勾配を5分で一気に上る。

(交差法)
南海高野線 高野山ケーブル①(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル①(平行法)

(交差法)
南海高野線 高野山ケーブル②(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル②(平行法)

(交差法)
南海高野線 高野山ケーブル③(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル③(平行法)

(交差法)
南海高野線 高野山ケーブル④(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル④(平行法)

(交差法)
南海高野線 高野山ケーブル⑤(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル⑤(平行法)

高野山ケーブルの最大勾配は568.2‰(29°22')、最緩勾配でも273.9‰(15°19')は、高尾山ケーブルカー(608‰)立山黒部貫光(587‰)に次ぐ国内有数の急峻な軌道となっている。開業は 1930 年(昭和5年)、1965年(昭和40年)高野山1150年記念大法会に備え、2両連結260人乗りの当時日本最大級の設備を増備した。現在の車両は、当時のものを保守し続けて使用している。

(交差法)
南海鋼索線 高野山駅(交差法)
(平行法)
南海鋼索線 高野山駅(平行法)

極楽橋駅では高野線の列車と接続しており、高野山駅では金剛峯寺などがある高野町の中心部とを結ぶ南海りんかんバスの路線バスと接続している。高野山駅舎は、高野山開創1200年記念大法会に合わせてリニューアルされた。山内へはさらにバスを乗り継いで、バス専用道は女人堂に出る。国道480号を経由して大門へ出る道は時間は掛かるが徒歩でも可能とのことで、歩いてチャレンジしている人をバスの車窓からも幾人か見受けた。

(交差法)
女人堂(交差法)
(平行法)
女人堂(平行法)

女人堂は、女人禁制の時代では女性はこの場所までしか入れなかったとされている。古くは高野山の街道の入口に各々あったらしいが、現在は1つしか残っていない。ここでは、大日如来を祀っている。

(交差法)
浪切不動 南院(交差法)
(平行法)
浪切不動 南院(平行法)

1643年(寛永20年)三代将軍家光が建立した江戸時代の代表的な建築物である徳川家霊台の隣に位置する南院には、弘法大師空海が唐からの帰国途中に嵐に遭った際、師から授かった霊木に“一刀三礼”にて不動明王を刻んで祈願すると不動明王が火焰を放ち、利剣で波を切り裂いて空海一行を導いたと云われる浪切不動明王を御本尊とする。

(交差法)
普賢院(交差法)
(平行法)
普賢院(平行法)

高野山のほぼ中央に位置する普賢院は、紀伊續風土記によると大治年間(1126年~1131年)に覚王親王が高野山に登られた折、念持仏の普賢菩薩を力乗上人に与えて院を開いたと伝わる。高野山の山内では52ヶ寺が宿坊を提供しており、高野山参詣する人の宿坊として、200名を収容できる別棟研修道場「力乗殿」では、各種セミナーや研修会場としても利用されている。

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高野山開創1200年ギャラリー(交差法)
(平行法)
高野山開創1200年ギャラリー(平行法)

高野山開創1200年を記念する主要事業として、1843年(天保14年)に焼失した壇上伽藍の中門(ちゅうもん)が172年振りに再建された。新たな中門は、鎌倉時代の建築様式をもとに東西25m、南北15m、高さ16mの規模で設計され、中門の作業館で檀上伽藍に再建された後、高野山開創1200年記念大法会の初日、平成27年4月2日には、開創大法会開白・中門落慶大曼荼羅供が執り行われた。作業館だった建築物は、現在「高野山開創1200年ギャラリー」として、高野山の様々な写真が展示される空間となっている。

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大門①(交差法)
(平行法)
大門①(平行法)

高野山内への西の入り口となる丹(に)塗りの大門は、高野山全体の総門であり、この場所から数百m下方の旧道の九折谷の鳥居が高野山の総門の前身と云われている。1141年(永治元年)現在の位置に移された際、鳥居から門の形式に変更となり、1230年(寛喜2年)五間二階の楼門に改められたと記録されている。1577年(天正5年)焼失したが、1640年(慶長9年)木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)によって再建された。

(交差法)
大門②(交差法)
(平行法)
大門②(平行法)

現在の大門は、1688年(元禄元年)焼失後に1705年(宝永2年)再建されたもの。1818年(文政元年)屋根、箱棟の修理が行われ、1895年(明治28年)屋根の部分修理および二階の縁廻り、一階側柱の根継が行われており、1986年(昭和61年)全面解体修理が施され、白木の状態であった表面を丹塗りとし、昔の状態に戻された。他にも見たことのない巨大な門は、少々の距離ではカメラのフレームに収まらず、あらためて大門から離れて撮影しなければならないほどの圧倒的な大きさであった。

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大門 金剛力士像 阿形(交差法)
(平行法)
大門 金剛力士像 阿形(平行法)

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大門 金剛力士像 吽形(交差法)
(平行法)
大門 金剛力士像 吽形(平行法)

大門の仁王像(金剛力士立像)は、阿形像の像高は5.46m、吽形像の像高は5.58mあり、奈良の東大寺南大門の仁王像に次ぐ巨像と云われる。向かって右の阿形像は、京都の仏師であり高野山大仏師をも名乗った康意が造立し、吽形像は同じく京都五条の仏師、運長が造立したことが胎内の背位置に留められていた銘札から判明した。

(交差法)
高野山 参詣道路①(交差法)
(平行法)
高野山 参詣道路①(平行法)

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高野山 参詣道路②(交差法)
(平行法)
高野山 参詣道路②(平行法)

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高野山 参詣道路 南峰堂本舗(交差法)
(平行法)
高野山 参詣道路 南峰堂本舗(平行法)

この時点で既に正午を過ぎていたが、予定していた「高野山1dayチケット」の割引対象であった釜飯「つくも」は既に長蛇の列が出来ており、店でも釜飯メニューは暫く時間が掛かる旨を説明していた。ゴールデンウイークなので混むのは仕方ないが、折角の高野山探訪の時間軸を意識して、参詣道路を挟んで斜め向かいにある「南峰堂本舗」で餅や饅頭を購入して腹ごしらえすることにした。焼き餅、草餅、名物の酒饅頭は、餡の味覚が各々違って“美味い”と満足できるものであった。

壇上伽藍
壇上伽藍 境内図

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壇上伽藍 中門①(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 中門①(平行法)

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壇上伽藍 中門②(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 中門②(平行法)

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壇上伽藍 根本大塔②(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 根本大塔②(平行法)

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壇上伽藍 大灯篭・金堂・根本大塔・御影堂(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 大灯篭・金堂・根本大塔・御影堂(平行法)

壇場伽藍(壇上伽藍)は、一般寺院でいう本堂の区画を指しており、国の史跡、世界遺産でもある。弘法大師が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(他方は奥の院)。高野山開創1200年を記念する主要事業として172年振りに再建された色鮮やかな中門を潜ると、境内には根本大塔(こんぽんだいとう)、金堂(こんどう)、御影堂(みえどう)、不動堂(ふどうどう ※国宝)など19の建造物が建ち並び、高野山のイメージの景観が眼の前に広がる。

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壇上伽藍 根本大塔①(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 根本大塔①(平行法)

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壇上伽藍 准胝堂・御影堂・根本大塔(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 准胝堂・御影堂・根本大塔(平行法)

根本大塔は、空海が816年(弘仁7年)高野山開創の勅許を得たのち建立に着手し、没後半世紀を経て完成した。現在の建物は1932年(昭和7年)に着工し、6年後に完成した。真言密教の根本道場のシンボルとして建てられた日本で最初の多宝塔であり、高野山のパンフレットやポスターなどの写真でお馴染である。写真イメージと同じく、晴天の青空が背景となり朱色の鮮やかさが際立つ。この場所を訪れる際、是非天気を確認して訪れることをお勧めしたい。

根本大塔(左)/浄土寺 多宝塔(右)
根本大塔① 尾道市 浄土寺多宝塔①

根本大塔 浄土寺多宝塔 比較
根本大塔(左)・浄土寺 多宝塔(右) 大きさ比較

根本大塔(左)/浄土寺 多宝塔(右)
根本大塔② 尾道市 浄土寺多宝塔②

外観の形状や色彩は、故郷 尾道の浄土寺の多宝塔(国宝)と酷似していると感じていたのだが、高く聳える多宝塔を目の当たりにして、想像を絶する大きさに驚愕した。浄土寺 多宝塔の高さは20.5mに対して、根本大塔は高さ48.5mもあり、見上げる首の角度がまるで違う程、巨大な多宝塔なのである。

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壇上伽藍 金堂(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 金堂(平行法)

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壇上伽藍 御影堂・金堂(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 御影堂・金堂(平行法)

伽藍の中央にある金堂は、1926年(昭和元年)に焼失後、1934年(昭和9年)に再建された鉄筋コンクリート造、屋根は入母屋造の建築で8代目になる。高野山の総本堂として重要な行事の殆どが執り行われ、御本尊は秘仏となっている薬師如来である。

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壇上伽藍 御影堂①(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 御影堂①(平行法)

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壇上伽藍 御影堂②(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 御影堂②(平行法)

弘法大師伝説の三鈷の松や、高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍に存する。御影堂は、弘法大師が住んでいたとされるお堂で、弘法大師の御影が祀られてから御影堂と称されるようになる。御逮夜法会(おたいやほうえ)の後のみ、一般内拝が許されている。

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壇上伽藍 御影堂・三鈷の松・根本大塔(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 御影堂・三鈷の松・根本大塔(平行法)

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壇上伽藍 准胝堂・御影堂・根本大塔・三鈷の松(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 准胝堂・御影堂・根本大塔・三鈷の松(平行法)

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壇上伽藍 准胝堂・孔雀堂(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 准胝堂・孔雀堂(平行法)

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壇上伽藍 西塔(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 西塔(平行法)

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壇上伽藍 山王院拝殿(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 山王院拝殿(平行法)

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壇上伽藍 六角経蔵(交差法)
(平行法)
壇上伽藍 六角経蔵(平行法)

六角経蔵は鳥羽法皇の菩提を弔うため に、皇后の美福門院が、1159年(平治元年)に建立した経蔵である。 美福門院は高野山に深く帰依しており、この経蔵に納める一切経のため、紀州 荒川の荘園を高野山に寄進したことから、荒川経蔵とも称される。基壇付近の把手を押して一周回せば、お経を一回読むことと同じ効果があるとされ、近くに居合わせた人と自然に把手を押した。

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勧学院(交差法)
(平行法)
勧学院(平行法)

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明泉院・増福院(交差法)
(平行法)
明泉院・増福院(平行法)

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高野山 大師教会本部(交差法)
(平行法)
高野山 大師教会本部(平行法)

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釈迦文院前 居眠り小坊主像①(交差法)
(平行法)
釈迦文院前 居眠り小坊主像①(平行法)

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釈迦文院前 居眠り小坊主像②(交差法)
(平行法)
釈迦文院前 居眠り小坊主像②(平行法)

こうやくん「高野山開創1200年記念大法会」のイメージキャラクター  こうやくん

高野山開創1100年記念として1925年(大正14年)に建てられた大師教会では、写経や授戒体験を受けることが出来る。霊宝館前の道沿いのベンチには、小坊主が木魚を枕に居眠りしている石像も設置されており、愛らしい寝顔に癒される。歩いていると小坊主をモチーフにした「こうやくん」を各地で見掛ける。

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金剛峯寺 正門①(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 正門①(平行法)

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金剛峯寺 正門②(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 正門②(平行法)

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金剛峯寺 正門③(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 正門③(平行法)

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金剛峯寺 正門④(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 正門④(平行法)

総本山金剛峯寺は、国の史跡・世界遺産であり、冒頭の説明通り、元々高野山全体の称であったが、現在、1869年(明治2年)青巌寺と興山寺 (廃寺)の2つの寺院が合併したものを金剛峯寺と称している。金剛峯寺内の建物の中で一番古い建造物である正門は、1593年(文禄2年)に再建された。嘗て正門から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけであったとのこと。

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金剛峯寺 主殿 大玄関(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 主殿 大玄関(平行法)

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金剛峯寺 主殿 大玄関・小玄関(交差法)
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金剛峯寺 主殿 大玄関・小玄関(平行法)

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金剛峯寺 主殿 檜皮葺の屋根・天水桶(交差法)
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金剛峯寺 主殿 檜皮葺の屋根・天水桶(平行法)

旧青巖寺(剃髪寺)は、1593年(文禄2年)豊臣秀吉の建立で、1863年(文久3年)再建された。歴代天皇の位牌や高野山真言宗管長の位牌を祀っている。屋根の上に置かれた防火用の水桶は、嘗ては高野山全域で見られたが現在も置かれているのはここのみとなる。主殿の正面には、大玄関・小玄関・一般拝観者入口の三つの入口があり「高野山1dayチケット」の拝観割引券を利用して主殿に入場した。

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金剛峯寺 主殿からの正門(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 主殿からの正門(平行法)

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金剛峯寺 枯山水小庭(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 枯山水小庭(平行法)

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金剛峯寺 蟠龍庭②(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 蟠龍庭②(平行法)

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金剛峯寺 蟠龍庭③(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 蟠龍庭③(平行法)

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金剛峯寺 蟠龍庭④(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 蟠龍庭④(平行法)

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金剛峯寺 蟠龍庭⑤(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 蟠龍庭⑤(平行法)

(交差法)
金剛峯寺 蟠龍庭⑥(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 蟠龍庭⑥(平行法)

襖に柳鷺図のある柳の間は、奇しくも前回記事の八幡山城の城主であった豊臣秀次の自刃の場所となる。回廊から嗜む枯山水小庭に思わず息を飲んだが、更に先に進んだ場所に拡がる蟠龍庭(2,340m2)は、日本最大の石庭として筆舌に尽くしがたい和の情緒に引き込まれる。

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金剛峯寺 新別館(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 新別館(平行法)

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金剛峯寺 御茶と麩菓子のおもてなし(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 御茶と麩菓子のおもてなし(平行法)

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金剛峯寺 蟠龍庭①(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 蟠龍庭①(平行法)

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金剛峯寺 中庭①(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 中庭①(平行法)

(交差法)
金剛峯寺 中庭②(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 中庭②(平行法)

回廊は大主殿、別殿、新別殿が繋がり、弘法大師像が掲げられた新別殿では参拝者への御茶と麩菓子のおもてなしがあり、想像より美味で、心が和むひとときを過ごせた。

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金剛峯寺 参拝者玄関建物二階の修行者住居(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 参拝者玄関建物二階の修行者住居(平行法)

(交差法)
金剛峯寺 会下門(交差法)
(平行法)
金剛峯寺 会下門(平行法)

(交差法)
蓮花院(交差法)
(平行法)
蓮花院(平行法)

(交差法)
高野山 小田原通り(交差法)
(平行法)
高野山 小田原通り(平行法)

会下門は、禅宗様式で、宗時代の禅宗が広まりこのような門が作られた。会下が残っている塔頭寺院も多い。金剛峯寺は会下門と会下(参詣者玄関の建物)は分離している。会下の二階は修行者の住居となる。

奥之院MAP

壇上伽藍とならぶ高野山の二大聖地である奥之院は弘法大師入定の地であり、一の橋から御廟まで2km近い参道を歩いて弘法大師が祀られる奥之院を多くの人が参拝する。杉の木立の合間を縫うように歩く参道は、高地にあることで夏でも涼やかな風が流れており、やがて辿り着く弘法大師御廟は大師信仰の中心聖地となる。奥の院の入り口は一の橋と中の橋の2箇所があるが、正式には一の橋から参拝する。

奥之院道程距離

奥の院参道には、樹齢約700年の杉木立が聳える森林の中、皇族、諸大名をはじめ、文人や庶民にいたるまで、多岐に亘る階層の人々の墓石や祈念碑、慰霊碑が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると云われており、戦国大名の6割以上の墓所が並び、高野山信仰の篤さを窺わせる。

(交差法)
奥之院参道① 一の橋(交差法)
(平行法)
奥之院参道① 一の橋(平行法)

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奥之院参道② 海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔「あゝ同期の桜の塔」(交差法)
(平行法)
奥之院参道② 海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔「あゝ同期の桜の塔」(平行法)

一の橋をわたってすぐ左側の大圓院墓地には、海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔「あゝ同期の桜の塔」が見えてくる。その隣には、映画「あゝ同期の桜」主演の俳優・歌手であった鶴田浩二の墓碑(1987年(昭和62年)没)がある。

(交差法)
奥之院参道③ 司馬遼太郎文学碑(交差法)
(平行法)
奥之院参道③ 司馬遼太郎文学碑(平行法)

司馬遼太郎文学碑は、2008年(平成20年)9月に建立された。司馬遼太郎のエッセイ「歴史の舞台-文明のさまざま」収録の「高野山管見」の冒頭部分「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。山上はふしぎなほどに平坦である。」が刻まれている。

(交差法)
奥之院参道④ 江崎グリコ創業者 江崎利一と従業員物故者墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道④ 江崎グリコ創業者 江崎利一と従業員物故者墓所(平行法)

江崎グリコの創業者、江崎利一と、従業員物故者の墓所。墓石の家紋の部分がグリコのランナーの絵になっている。

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奥之院参道⑤ 八代将軍 吉宗公之墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑤ 八代将軍 吉宗公之墓所(平行法)

八代将軍 吉宗公之墓所と大きく掲げられた場所にはまだ新しい墓石と思われる“大川家の墓”があり、その隣に位置する年季の入った墓石が徳川吉宗の墓と推測する。

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奥之院参道⑥ 苔生した老杉と地蔵尊(交差法)
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奥之院参道⑥ 苔生した老杉と地蔵尊(平行法)

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奥之院参道⑦ 武田信玄 勝頼 墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑦ 武田信玄 勝頼 墓所(平行法)

苔むした朽木の空洞に祀られたお地蔵さんの奥には、石門の奥に並んで武田信玄 勝頼 墓所がある。並んでいる2つの墓の左の大きいほうが信玄、右の小さい方が勝頼の供養塔となる。

(交差法)
奥之院参道⑧ 弘法大師の腰掛け石(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑧ 弘法大師の腰掛け石(平行法)

(交差法)
奥之院参道⑨(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑨(平行法)

(交差法)
奥之院参道⑩ 明智光秀 墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑩ 明智光秀 墓所(平行法)

弘法大師が休憩で腰を掛けたと云われている石を過ぎると伊達政宗、石田三成、明智光秀の戦国武将の墓所が続く。因みに明智光秀の墓、首塚、胴塚は全国に8箇所ほどあり、織田信長の怨念によって、五輪塔を何度立てても割れてしまうという伝承があるとのこと。

(交差法)
奥之院参道⑪ 南海電鉄創業者 松本重太郎翁の墓(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑪ 南海電鉄創業者 松本重太郎翁の墓(平行法)

高野山までの電車~ケーブルカーの鉄道会社南海電鉄の前進、阪堺鉄道の創業者である松本重太郎の墓は、石ではなく青銅製の墓であった。

(交差法)
奥之院参道⑫ 初代市川團十郎 墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑫ 初代市川團十郎 墓所(平行法)

(交差法)
奥之院参道⑬ 中の橋(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑬ 中の橋(平行法)

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奥之院参道⑭ 姿見の井戸(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑭ 姿見の井戸(平行法)

初代市川團十郎 墓所のすぐ近くに奥之院の参道のほぼ中間地点である中の橋がある。中の橋を渡ると汗かき地蔵と姿見の井戸がある。姿見の井戸を覗いた水面に自分の姿が映らなければ3年以内に死ぬという言い伝えがある。

(交差法)
奥之院参道⑮ パナソニック 墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑮ パナソニック 墓所(平行法)

株式会社として建てられた最も古い企業墓が1938年(昭和13年)に建立された松下電器の墓所とのこと。毎年9月に慰霊の法要を開いており、2008年(平成20年)松下電気からパナソニックに社名変更された際に同時に石塔もパナソニックに変えている。

(交差法)
奥之院参道⑯ 越前 結城秀康 霊屋(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑯ 越前 結城秀康 霊屋(平行法)

結城秀康(家康次男)石廟は、重要文化財に指定されており、右側が徳川家康の次男 徳川秀康(松平秀康)、左側が母親であるお万の方の供養塔となる。越前から運ばれた笏谷石(しゃくだにいし)で造られ、当初は極彩色に彩られ、中には総金箔の石塔が収められている。

(交差法)
奥之院参道⑰ 豊臣家 墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑰ 豊臣家 墓所(平行法)

豊臣家 墓所の中で秀吉の墓は中央の大きいもので、1940年(昭和15年)奉公会と称する秀吉を信奉する人々が建てた新しいもの。墓の中には秀吉の衣冠束帯(正装した姿)の木造が収められていると云われている。

(交差法)
奥之院参道⑱ 織田信長 墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑱ 織田信長 墓所(平行法)

本能寺の変で倒れた信長の墓所は全国に20箇所以上あり、長らく奥之院に於ける墓所の位置は不明であったが、近年御廟橋の近くにあると判明した。明智光秀の墓からは1kmほど離れている。

(交差法)
奥之院参道⑳ 御廟橋(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑳ 御廟橋(平行法)

参道を2km弱進んだ位置にお大師さまが鎮座する御廟の入口である御廟の橋が見えてくる。御廟橋(ごびょうばし)は、弘法大師御廟に一番近い橋として36枚の橋板と橋全体を1と数え、金剛界37尊を表している。御廟橋より先は聖域であり、写真撮影は禁止となり、服装を正して一礼して渡ることを作法とする極めて神聖なエリアである。御廟の橋を渡って石段を登ると立派な燈籠堂がある。この中では各種祈願やお守りの授与がされているが、弘法大師が鎮座するのは燈籠堂の更に先の弘法大師御廟となる。燈籠堂の中に入り、左手に進んでいくとお堂の裏に回り込む道を進むと、目の前に弘法大師御廟が現れ、納札箱もあり最後の御礼を納める。

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奥之院参道⑲ 護摩堂(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑲ 護摩堂(平行法)

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奥之院参道⑲ 護摩堂・御供所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑲ 護摩堂・御供所(平行法)

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奥之院参道⑲ 御供所(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑲ 御供所(平行法)

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奥之院参道⑲ 玉川水行場(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑲ 玉川水行場(平行法)

(交差法)
奥之院参道⑲ 水向け地蔵①(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑲ 水向け地蔵①(平行法)

(交差法)
奥之院参道⑲ 水向け地蔵②(交差法)
(平行法)
奥之院参道⑲ 水向け地蔵②(平行法)

お大師さまへの報告が終われば、納経所でお礼参り・満願納経となる。御廟の橋の右手前には、先祖供養の水向地蔵が鎮座しており、多くの人が水を掛けながら参拝していた。御供所の南側 にある頌徳殿では茶処としてお坊さんの説法を聞くことができた。

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奥之院参道㉑ 浅野内匠頭 墓所(交差法)
(平行法)
奥之院参道㉑ 浅野内匠頭 墓所(平行法)

(交差法)
奥之院参道㉒ 花菱アチャコ句碑・落書塚(交差法)
(平行法)
奥之院参道㉒ 花菱アチャコ句碑・落書塚(平行法)

(交差法)
奥之院参道㉓ 平和橋・英霊殿(交差法)
(平行法)
奥之院参道㉓ 平和橋・英霊殿(平行法)

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奥之院参道㉔ 英霊殿①(交差法)
(平行法)
奥之院参道㉔ 英霊殿①(平行法)

(交差法)
奥之院参道㉔ 英霊殿②(交差法)
(平行法)
奥之院参道㉔ 英霊殿②(平行法)

(交差法)
奥之院参道㉕ 沖縄戦戦没者供養塔(交差法)
(平行法)
奥之院参道㉕ 沖縄戦戦没者供養塔(平行法)

(交差法)
奥之院参道㉖ 大東亜戦争無縁戦士之墓(交差法)
(平行法)
奥之院参道㉖ 大東亜戦争無縁戦士之墓(平行法)

(交差法)
奥之院裏参道① UCC上島珈琲 企業墓(交差法)
(平行法)
奥之院裏参道① UCC上島珈琲 企業墓(平行法)

(交差法)
奥之院裏参道② 日産自動車 物故従業員慰霊碑(交差法)
(平行法)
奥之院裏参道② 日産自動車 物故従業員慰霊碑(平行法)

(交差法)
奥之院裏参道③ ヤクルト 企業墓(交差法)
(平行法)
奥之院裏参道③ ヤクルト 企業墓(平行法)

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奥之院裏参道④ 福助 企業墓(交差法)
(平行法)
奥之院裏参道④ 福助 企業墓(平行法)

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奥之院裏参道⑤ 新明和工業 慰霊碑(交差法)
(平行法)
奥之院裏参道⑤ 新明和工業 慰霊碑(平行法)

花菱アチャコ句碑と楽書塚は別々のもので、楽書塚には自由に落書きできるようである。UCCホールディングスの企業墓のコーヒーカップの中は茶色い石になっているとのこと。新明和工業慰霊碑は、アポロ11号を模しており、石碑には、アポロ11号が月面着陸に成功した1969年(昭和44)に建立された。他にも日産自動車、ヤクルト、福助など様々な企業の慰霊碑や供養塔がある。

五輪塔 宝篋印塔

奥之院では五輪塔やと称する形の供養塔や供養墓に混じって宝篋印塔と称する形も見受けられる。五輪塔は、主に供養塔・墓塔として使われる五つの形の物を積み上げた仏塔で、地水火風空の五大元素を表している。空海から300年後に登場した真言宗の中興の祖と云われた覚鑁(かくばん)による真言密教における浄土信仰を主張した五輪九字明秘密釈の「三密」(身密・口密・意密)を実践している即身成仏を完成した姿を表す五輪塔図が起源とされる。

五輪塔 五輪九字明秘密釈の五輪塔図 ストゥーパー 多宝塔

宝篋印塔は円筒や八角などの塔身に方形などの屋根を被せ、先端の棒状の部分は相輪と称される。仏教で言う塔(仏塔)とは、ストゥーパ(卒塔婆)として仏舎利と同義とされる。日本の仏塔には、層塔、多宝塔などがあるが、根本大塔など下が方形で上がお椀を伏せた形の多宝塔は、二重塔より寧ろストゥーパをイメージしており、日本で創建されたものと云われる。宝篋印塔の相輪は、釈迦の遺骨を祀るストゥーパの原型を残した部分である。

(交差法)
奥之院裏参道⑥ 中の橋入口・垂れ桜(交差法)
(平行法)
奥之院裏参道⑥ 中の橋入口・垂れ桜(平行法)

(交差法)
女人堂前 お竹地蔵(交差法)
(平行法)
女人堂前 お竹地蔵(平行法)

(交差法)
高野山バス道路(交差法)
(平行法)
高野山バス道路(平行法)

奥之院の中の橋入口には、頌徳殿でのお坊さんの説法で聞いた“南無大師遍照金剛”の文字が刻まれた塔があった。真言宗では、空海が山岳修行をしていた時代に遍歴した場所であった四国八十八箇所を巡る歩き遍路で“南無大師遍照金剛”を唱えるのは、背後には大日如来が控えており、弘法大師と二人で同行してお遍路を歩くという意図がある。

(交差法)
南海高野線 高野山ケーブル⑥(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル⑥(平行法)

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南海高野線 高野山ケーブル⑦(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル⑦(平行法)

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南海高野線 高野山ケーブル⑧(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル⑧(平行法)

(交差法)
南海高野線 高野山ケーブル⑨(交差法)
(平行法)
南海高野線 高野山ケーブル⑨(平行法)

(交差法)
南海高野線 極楽橋駅②(交差法)
(平行法)
南海高野線 極楽橋駅②(平行法)

“南無大師遍照金剛”とは、御宝号(ごほうごう)と称する真言宗で唱える一番短いお経であり、弘法大師に帰依するという意味である。遍照金剛の名号は、空海が唐に留学し、真言密教を極めた時の灌頂名である。「太陽のごとくすべてを照らす慈悲と、人を幸せにする仏さまの砕けることなき智慧の持ち主」という意味があり、大日如来の別名でもある。

琵琶湖からの比叡山(左)/比叡山延暦寺・高野山金剛峯寺(右)
琵琶湖からの比叡山 比叡山延暦寺・高野山金剛峯寺

【比叡山 延暦寺 法華総持院】
(交差法)
延暦寺 法華総持院(交差法)
(平行法)
延暦寺 法華総持院(平行法)

9世紀初め、空海は入唐求法留学生として、最澄は入唐求法還学生として同じ時に遣唐使使節の藤原葛野麿の船団に加わって唐に渡った。空海は20年の留学の帰国後に真言宗を開いて高野山に金剛峯寺を建てた。最澄は2年の留学の帰国後に、天台宗を起こして比叡山に延暦寺を建てた。

高野山御開創(左)/飛行の三鈷(右)/重要文化財 三鈷杵(下)
弘法大師 高野山御開創 弘法大師 飛行の三鈷
重要文化財 三鈷杵(飛行三鈷杵)

【弘法大師 高野山御開創】
密教の根本道場の地を求めていた弘法大師は、山中で狩人に化身した狩場明神に出会う。弘法大師は狩人が従えていた黒と白の犬に導かれ、天野の社で丹生明神に出会い、ご神領である“高野”を授かる。後に弘法大師は高野山の中心である壇上伽藍に御社を建て、両神を鎮守の神として祀られた。(上記 左)
弘法大師は、唐の名僧 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から密教の奥義を伝授され、日本仏教史に残る最高の栄誉を受ける。帰国の際、唐の明州の浜より真言密教を広めるに相応しい場所を求め、日本へ向けて法具である三鈷杵(さんこしょ)を投じた。後に弘法大師は高野山(現在の壇上伽藍)で松の枝に架かっている三鈷杵を見つけたと云われる。(上記 右)

最澄・空海

経典研究に偏る奈良時代の仏教を批判し、人里離れた山奥での厳しい修行を重視した空海や最澄は、政治と深く結びつき、天才型の空海と真面目な秀才型の最澄の偉業である二つの宗派は平安時代の日本の仏教の双璧を成した。カリスマ的な空海は後継者に恵まれなかったことに対して、理論派の最澄は延暦寺で修行した法然(浄土宗開祖)、親鸞(浄土真宗開祖)、日蓮(日蓮宗開祖)、道元(曹洞宗開祖)、栄西(臨済宗開祖)など名僧を輩出しており、天才と秀才の違いと捉えれば興味深い。

弘法大師像

「弘法も筆の誤り」と云う諺は、弘法大師が天皇の命を受けて応天門の額を書いた際、「応」の字の「心」の上の点を書き忘れたことに由来し、「書道の大家の弘法大師ですら、字を書き間違えることがある。」との慰めの意味に例えられているが、本来は、弘法は書き損じた額を下ろさず、筆を投げつけて点を見事に書き入れたことを「弘法のような書の名人は、直し方も常人とは違う」と慄いた意味とされる。また「弘法筆を選ばず」は、真の名人は道具などを問わずに使いこなすと云う例えであり、いずれも弘法大師を賞賛する諺であった。

奥之院 御廟橋

古来より神々が鎮まる八葉の峰々に囲まれた紀伊山地の奥深くに広がる山上盆地に万能の天才、弘法大師 空海は京の都から遠く離れた自然環境の厳しいこの地を真言密教の道場と定めて高野山を開創し、奥之院に生き続けて現在も瞑想を続けているとされ、生身供と称する儀式によって弘法大師の食事が運ばれており、1200年以上もの間、一日たりとも欠かさず行われていると云う。
空海
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広島県出身、東京⇔大阪間の転勤を繰り返し、現在大阪在住。広島カープ・球場模型・艦船模型が好きなオッサンだが、アクアテラリウムの名人に出会ってから魅力にはまった。以前から興味のあった3Dカメラを購入し、立体的に(あくまで私的に)アクアテラリウムへのチャレンジを記録に残していくのであった。


 
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